3-3

「これじゃあ、戦争をしたがっているって思われるのも当然だ」

 ダクトを通って地下の格納庫に辿り着いたぼくは、そこにそびえ立つ巨体を見上げた。アーサーが見つけた設計図。その実物が並べられている。でかい。そして、一機だけじゃない。この格納庫だけで八機も。既に試作から量産へ、段階を移しているってこと。

「これだけ量産されているっていうのに、特務大尉殿は何にも知らなかったのかよ?」

 ロバートだけじゃないだろう。恐らくこれは、アーバン大鉄橋に配属された者だけが知る兵器なのだ。だからこそ、設計図を隠し撮りする価値がある。

「これを博覧会に出展するなら、確かに目玉になるな」

 まあ、その線は薄いだろうけど。

「エワルド、聞こえる?」アンジェリカの声だ。「格納庫に着いたのなら、上を探して。管制室の窓が見えるはず」

 普段なら自分の手際の良さを目一杯に自慢するところだろうが、アンジェリカの声は事務的だ。〈リコン〉を操っている間は思考回路に余計な負荷がかかるから、感情表現にリソースを割く余裕がない。機材や兵器を影に、通路を行き来するエンジニアや警備兵の視線を掻い潜る。大窓の付いた壁面はすぐに見つかった。

「これだけの数を、よくもまあ」ロバートの声だ。「隠し通せたもんです」

「管制室の通信機に細工できた。聞き取れる?」

 これはアンジェリカの声だ。

「そこは人徳というやつだ。ただ歳を重ねてきたわけじゃない」

 ノイズは酷いが、それでもジーンの声だと聞き分けられる。

「その部屋に監視カメラは無いか?」

「天井からぶら下がっているのがそうかも知れない」

「それにも細工できたら満点だ」

 ぼくは格納庫に並んでいる兵器に飛び移った。

「我々は〈タロス〉と呼んでいる」

「〈タロス(巨人)〉、ね」相槌してやっても、ジーンにぼくの声は聞こえない。

 甲殻類みたいな節足。節足から人間の胸部みたいな上体によじ登る。頭はなくて、鶏冠みたいな突起と大砲が載っていた。大砲の根元には大砲を旋回させるための回転盤があって、鶏冠の後ろには配線整備用の羽目板がある。ぼくはその羽目板を抉じ開けた。

「資金繰りだって大変なはずだ」ロバートの声。「軍用費は毎年、削減されているでしょう」

「金の出所は軍用費じゃない。スポンサーがいるのさ」

「外部からの資金調達は違法です」

「そうだな」とジーンが答えたあと、アンジェリカが「どうして?」とぼくに聞いた。

「クーデターが怖いからさ」

 小麦色の線が束になっていて、それを辿ると途中で枝分かれしていた。それぞれの先は暗くて見えないけれど、多分、四足を制御する信号の伝達路になっているのだろう。外見からでは搭乗口らしきものは見当たらなかったから、〈タロス〉はきっと遠隔操作する兵器のはずだ。外から命令を受けて動くなら、制御装置を弄れば、ぼくたちにも操れるかも。

「何に使うんです?」

 ジーンは笑った。「率直だな」

 ロバートの問いに答えたのは、ジーンとは別の声だった。

「君は今の平和がいつまでも続けばと願ったことはないかね」

「……アンソニー・ブラッド」

 ぼくは耳を疑った。アンソニー? あの、アンソニーか?

「監視カメラに接続できた」とアンジェリカ。

 ぼくはさっき喋っていた奴の顔を見せてくれって頼む。

「知ってるの?」

「会ったことはないけど」

 預金口座を持っているか借金をしたことがある者ならみんな、あいつの肖像画を銀行のロビーで見たことがあるはずだ。国営銀行総取締役、アンソニー・ブラッド。老化で刻まれた肌の皺や弛みを無視すれば、カメラが捉えたその顔は、後退した頭髪の生え際や丸く膨れた鼻先みたいな、画家が美化しなかった特徴を概ね兼ね備えていた。

 銃を振り回す柄でもないだろうに、銀行家がどうしてこんなところにいる?

「先の戦争でわたしたちはボードエルが強国の地位足る存在だと周辺諸国に示し、十を超える和平条約を締結してみせた」アンソニーは、それを自分が成し遂げたことのように言った。「数十年に渡る今の世の平和は、権力に支えられたものだということだ。他者の戦意を削ぎ、服従させるこの力を持続させるには、強固な社会構造の形成と維持が欠かせない。王政の在り方が正にそうだ。市民が代表者による統治に疑問を感じれば城は崩れる」

 それから、ジーンが続けた。

「〈豊穣会〉と我々は呼んでいる。組織の枠組みを越えた、この国の平和を望む者たちの集まりだ。我々には、先人が築き上げたこの国の地位を引き継ぐという使命がある」

「〈タロス〉はその使命を果たすための力だ」と、アンソニー。

「ジーン大将もアンソニー氏も、その一員だと?」

「そして、これからは、君も我々の同志だ」

 断ったらどうなるか。ロバートは尋ねないし、ジーンも口にはしなかった。ぼくの方も、大した興味はない。それよりも、だ。〈豊穣会〉とかいう連中はどうしてこんな陰謀めいたことを企てたのか。ボードエルが強国だってことを他国に誇示するためだけなら、こんな四足の兵器なんか要らない。沖では警備のために、周辺諸国が束になってかかってきても容易く追い返せる規模の艦隊が領海内巡回しているし、毎年各国の有力者を招待して催す技術博覧会は、自分たちがどれだけ優秀かってことをひけらかすためのものだ。

 外部に誇示する力はもう要らない。となれば、この力(タロス)は身内に向けたものってこと。ロバートも、気づいたはずだ。アーバン大鉄橋は防衛の最先端。国の中枢から最も離れたところ。後ろめたいことを隠すなら打ってつけなんだから。

 奥の配線を確かめるため、ぼくは羽目板を開けてできた〈タロス〉の穴に、華奢な身体を捻じ込んだ。服を汚すなとアンジェリカは警告した。もう手遅れだけど。

「わたしたちと共に、この国という秩序を維持し、繁栄と平和を築き上げよう」

 アンソニーの声色は、聴衆の喝采を期待する独裁者のように高揚した。

「断れない雰囲気を匂わせて、意思表示を求めるというのは、意地が悪い」

「おれたちのやっていることには賛同できないと?」

「こんなものを見せられれば、戦争をしたがっていると思われるのも当然だ」

 期待外れの返事に、アンソニーは「疑り深さも、時と場合を選んだ方がいい」と怒鳴った。

「おれは――」ロバートの語気が些か強くなった。「力で周りを黙らせれば、和平を維持できるというのは、思いあがりじゃないかと言ってるんだ」

「現に我々は続けてきたんだ。君が生まれるよりも前からな」

「今までのやり方がこれからも通用するというのは、その裏で何が育っているかを知らない者の言い草だ。逆らう者を虐げて築いた平和は、恨みや怒りで土台が腐る」

「恨みや怒り、ね」アンソニーは嘲笑と共に言った。「アーサー・グリーンのことを言っているんだろうがな。彼は我々の一員だ。一員だった」

 おっと。いよいよ、本題が聞けそうだ。

「『だった』と言ったな。それは何時までのことだ?」

「君が手に入れた写真を撮るまでさ」

「世間にバレたら、余程まずいもののようですな。……だから、わたしを懐柔しようと?」

「言っただろう」と、ジーン。「君の忠誠心に関心したと」

「その点、アーサー・グリーンは駄目な男だった」アンソニーは苦々しい顔をした。「メルツェルに恨みがあると言うから信用してやったものを――」

「父親の蘇生と引き換えに寝返った」

「そこまで調べがついているか」ジーンは感心した様子だ。「寝返る前に、アーサーはメルツェルの研究所から膨大な資料と設計図の写しを持ち帰った。〈タロス〉はそれを我々が形にしたものだ」

「あなたたちとメルツェルは、どういった関係なんです?」

「かつては奴も〈豊穣会〉の一員だった。それが今や、大儀を忘れ、耄碌した憐れな男さ」とアンソニーが言う。

 燃えるような憎しみも命を賭した希望も、アーサーが抱いたものは全部、老人たちの内輪揉めに食い潰されたってことか。

「落ち着いて、エワルド。今は冷静でいなくちゃ」

「過ぎた力を手にして、あいつはそれに取り憑かれた」とジーンは言った。「〈血流網式意思伝達装置〉。あいつはそう呼んでいた」

 ロバートは言葉を失い、ぼくは〈タロス〉の配線を弄る手を止めた。

「基は〈外殻義肢〉とやらを操作するための医療用技術だったそうだな。意思と駆動機関を連動させるためのその技術を使って、メルツェルは他のものも操れないかと考えた」

 その一つが、筋肉だ。知っている。そのために、メルツェルはベイカー精神病棟に篭って、動く死体を量産した。

「我々は研究に没頭するメルツェルに何をしているのか追求したが、奴は自分の計画を明かそうとはしなかった」

「だから、アーサーを利用して、それを暴こうとしたのか」

 アンソニーが「その言い方は平等じゃない」と言った。

「たった一人でアーサーがメルツェルから設計図を盗み出せたと思うか? 我々の協力があったからこその成果だ。我々がアーサーを利用したと言うのなら、アーサーだって我々を利用した。そして、奴は我々を裏切った。殺されたのは自業自得さ」

 詭弁だな。金と人脈を貸したくらいで偉そうに。実行したのはアーサーで、お前たちは安全圏から出ることなく彼が手にした以上の利益を得たんだろう?

「大尉は死についてどう思う?」とジーン。

「なんですか。急に」

「軍人として生きているんだ。考えたことくらいはあるだろう。死は全てを踏み躙る。築き上げたものの重さも、抱えていた崇高な思いも、詰め込んだ膨大な知識も。……おれたちが生きている間に得たもの全ては、朽ちて消える」

 アンソニーがあとに続く。「どうして我々はそんな運命を背負わされているのかね?」

「知らんさ。そういう風に生まれたからとしか言えん」

「そういう風に生まれた」アンソニーはロバートの言葉を反芻した。「その通りだ。そういう風に生まれたというだけで、我々は自分たちが積み上げたものを死によって奪われる」

「自らの生まれが、おれたちの道を阻むというのなら、培ったものをもって、これを克服せねばならん」

 ジーンの言葉の直後。〈タロス〉の深部に潜り込んだぼくは、その真相に辿り着いた。

 これが、メルツェルの設計したものだって? くそっ。ぼくの技術を、こんなことのために使いやがって!

「出番だ。挨拶をしろ」

 アンソニーに呼ばれて現れた男は、骨と皮だけでできているんじゃないかと疑うくらい細身の初老の男だった。顔の半分は碗状の呼吸器で覆われており、呼吸器から垂れるチューブと接続した乳母車型の歩行補助機を引いている。

「ケビン・メイヤー軍曹だ」

 ジーンに紹介されたケビンは震える腕を挙げて敬礼した。

「彼が全ての〈タロス〉の管理を担っている」

「その身体で?」

 アンソニーはケビンの傍に寄り、彼の肩を抱いた。

「この身体でだ」

 抱き寄せられたケビンは身体を大きく揺らす。ケビンは咳き込み、アンソニーは笑いながら彼を解放した。

「恵まれた肉体を持つ君なら、わたしのこの身体を見て、こう思うんじゃないか? 神は過ちを犯したと」

 ロバートは首を振った。「痩せているだけだろう。肉を食え、肉を」

「わたしは明らかな失敗作だ。生まれたときから落伍者として一生を終える運命を決定付けられた。この身体は、わたしを地面に這いつくばらせる。そういうしがらみなのさ」

 喋り慣れていないみたいに、ケビンは咳き込んだ。自分の胸を擦り、呼吸が落ち着いたところで、彼は再び口を開いた。

「這って縋るだけのわたしを立たせてくれたのが、人の叡智だ。呼吸器が酸欠に喘ぐわたしの苦しみを癒し、この補助機がわたしの世界を広げてくれた」

 ケビンは乳母車みたいな補助機とやらを引きずりながら、よたよたと窓辺へと歩く。

「世話をかけるばかりで、自分は誰かの重荷にしかなれないと思っていたわたしは、自分が誰かの……何かの役に立てるときを常々待ち望んでいた。こんな身体でも、生かされているんだ。報いが欲しかったんだよ。共に生きた者たちに恩を返す機会を望んでいた」

「いわれのない枷を、彼は背負い続けてきた。しかし、ケビン軍曹は生まれながらの不遇をものともせず、崇高な魂を燃やし続けてきた。彼だけではない。我が国の礎となる勇敢な戦士。戦いの中で生きた者たち全てがそうだった。彼らは偉大な精神を持ちながらも、ヤワな生身のせいで、その力を発揮することなく燻っていた」

 アンソニーは振り返ってロバートに訴える。その瞳は悲哀を語り、口を怒りで歪ませる。現実は悲劇的で、理不尽で、凄惨なものだということを強調するように。ぼくに言わせれば、アンソニーは役者に向いていない。

「頑強な意思に架せられた血肉の脆さは残酷だ。その魂がこれから成すべきことも、広く伝えられるべき経験も、たった一発の銃弾や刃物の一刺しで、物言わぬ肉片に成り果てる」

 そうアンソニーが言ったあと、ジーンが口を開いた。

「強靭で代替可能な肉体。それこそが、我が国を担う兵士に相応しい身体なのだ」

「あんたは事務員じゃないんだろう?」ロバートはケビンに聞いた。

「兵士です。これからの戦士を象徴する、ね」

「彼は戦場に立つ男だ」アンソニーも胸を張る。「もう一つの身体を使うことで、彼は戦いを全うする力を手に入れた。それが〈タロス〉だ」

 メルツェルが〈血流網式意思伝達装置〉を使って動かそうとしていたもう一つのもの。それがこの〈タロス〉だ。こいつは、アンジェリカの身体を動かす機構を、そっくりそのまま積んでいる。

「乗り込むにしたって、その身体では、衝撃に耐えられないだろう」

「そうじゃないんだよ、ロバート。〈タロス〉それ自体が、ケビン軍曹の身体になるんだ」

「例え話のつもりではなく?」

「あの兵器……身体には血が通っていて、ケビン軍曹は自分の魂をあれに乗り移す。〈血流網式意思伝達装置〉が血を通じて人の思考を四肢に伝え、動作として表現するんだ」

 ぼくは〈棺桶〉に入ってアンジェリカの身体を操っているし、ケビンも相応する何かで〈タロス〉を操る。一見、同一視されそうだけど、そうじゃない。こいつの中には、アンジェリカの〈棺桶〉に相当する魂の拠り所がなかった。〈タロス〉自体は核となる精神のない、抜け殻なんだ。だけど、身体を制御するには、魂が欠かせない。エネルギーの燃焼と歯車の回転はただのシステムだ。何を望み、どうするか。車が向かう先は、ハンドルを握る運転手にかかっているし、人生に意味があるのは、そこに意思があるからだ。

 この身体にとって、ぼくは車でいうところの、操縦装置。内側で各部の機能を管理・連動を担って、運転手がハンドルとペダルの操作だけで運転できるようにしている。その操縦装置が意思を持ってるから、今は他のことに気を散らせているアンジェリカの目を盗んで、ちょっと身体を借りて好き勝手やっているってだけ。

「まさか、服を汚す以上のことをしでかしてないでしょうね」

 ぼくが思っているだけのことに、外から口出しするのは止めてくれ。

「今は一心同体じゃない」

 アンジェリカの魂が宿るから、この身体は動いていて、ぼくっていう操縦装置があるから、アンジェリカは常人を越えた力を制御できる。

 だけど〈タロス〉には魂が宿っていない。血が通うだけの置物だ。ならば、その魂はどうするか。答えは簡単だ。ケビンが〈タロス〉の魂そのものになる。魂を身体から引き剥がして、別の容器に詰め替えるってこと。魂の抜けた身体はどうなるか。答えは単純だ。墓場を掘り返してみればいい。

「わたしは、肉体の束縛から解き放たれる」

「身体を棄てるってことか?」

「ええ。この身体には愛想が尽きました。とはいえ、この計画に志願したのは、自分の境遇から逃避したいからではありません。これは前進なのです。人類の更なる繁栄。わたしはその始まりの一歩なんですよ」

 この世に生まれたからには、自分の命や時間を価値ある何かに捧げたいっていう思いにつけこんで、ジーンたちはケビンを利用しようとしている。肉体の脆弱さを克服できるって唆された人たちが、砲を携えた身体に乗り移り、巨大な脚で通りの草木や、石畳の道を蹂躙していく。彼らの行進が行き着く先は何だ? 憎むべき相手を指示されて、相手を理解する間も与えられず、人生を操られる彼らはどこを目指す?

ぼくは乱暴に〈タロス〉の配線を引き抜いた。

 仮初の使命を与えられたケビンは歓びと希望の中にいる。いるんだろう。だけど、復讐心と生首を犠牲に建てられたこいつを、ぼくは正義とは呼べないし、そもそも、ぼくは人間を人間でないものに作り変えようとしていたわけじゃない。〈外殻義肢〉は誰かに成り変わるためのものじゃなくて、自分を取り戻すためのものだった。

「新人類の誕生だ」アンソニーは言った。「これまで、人が成し得なかった死の克服。ロバート、君はその瞬間に立ち会うんだ」

 くそっ。何が新人類だ。ぼくは、こんな化け物を作ろうとしたんじゃない。畜生。

アンソニーは奥側の壁へと進み、服のポケットから鍵を取り出すと、壁面の鍵穴に差し込んだ。両開きのドアが開く。ケビンが、よたよたとドアに向かって歩き出す。人間を生まれ変わらせる金属の子宮。ケビンがその部屋に踏み入ると、照明が彼を照らした。

 中には数人の研究員がいて、部屋の中央には、瓜のような金属製の大きい容器があった。容器の背後には柱を軸に、太さの違う無数のケーブルが絡まっている。ケーブルは天井を突き抜け、別の場所に繋がっていた。

 アンソニーに促され、ケビンは容器に収容されていく。ロバートの奴、何を突っ立って見ているつもりなんだ。今すぐ彼を止めろよ!

「彼はあれで救われる?」アンジェリカの呟く声が頭に響く。

「身体が変わったところで、背負ってきた人生をなかったことにできるわけじゃない」

 さよなら。クソったれな世界。容器の中のケビンは微笑んだ。

 ケビンを収容した容器が蓋を閉じた。寝返りも打てないような隙間の中で、彼は何を期待しているんだろうか。詩人が詠う騎士物語りを聞く子供のような、羨望の眼差し。虚弱体質では舞台に立つことすらできないような武勇伝。ケビンは容器の中で目を閉じた。深い、深い眠りに就く。実感を言えば、他人の目を通して見る景色っていうのは、一晩の間に見る夢のようなものだ。広がる景色は誰かの感性を通した姿で、ぼくが感じるように見る景色とはどこか違う。ぼくはアンジェリカのことを良く知っているつもりだし、アンジェリカだってぼくのことを知っている。一緒に暮らしているぼくたちの間ですら、感じ方の違いはあるのだ。〈タロス〉に備わる、周辺認識用のガラスレンズ越しの世界に、人の心が戸惑わないはずはない。

 ぼくは、ボタン一つで自分に戻ることができる。だけど、ケビンは与えられた肉体で、指示されたようにものを感じ、言われた通りに仕事をこなし、それが使命だって思い込まされる未来が続く。人間を人間でないものに変える技術で、人の心を押さえつけ、部品にすることが、彼の望みだったのか?

 こんなことに加担するために、ぼくは何年もの歳月を費やしたのか?

 止めてくれ。ケビン。自分を捨てるな。自分を見限らないでくれ。

「エワルド」メアリーの声が響く。「だから言ったじゃない。人は信用できないって」

「エワルド」アンジェリカの声が響く。「あれは、あなたのせいじゃない」

 だけど、あれはぼくが生んだ技術だ。

「いいえ。あなたが生んだのはわたし。あんな野蛮な巨人じゃないわ」

 格納庫内に轟音が響いた。〈タロス〉の周囲に組み上げられた足場を、誰かが駆け足で通っていく。物が落ちる音。室内のどこかに仕掛けられた拡声器にノイズが奔る。資材運搬用の車両のエンジンが唸る。〈タロス〉の腹の中にいたぼくには、何もかもが突然だった。羽目板を除けてできた穴から顔だけ出して、外の様子をうかがうと、格納庫の壁面だと思っていた一部が開いていて、淡い月明かりが差し込んでいた。

 黄色の警告ランプがそこら中で点滅している。

「試運転の準備じゃないか」

 すぐ側に人がいるのを見つけて、ぼくは慌てて身をかがめた。

「ジーン大将からはまだそんな命令出てないぞ」

 言いながら、作業員たちは搬入口の方へ歩いていった。

「何者だ!」搬入口付近で、別の誰かが叫んだ。「警備だ。警備を呼べ!」と、また別の声。

 昇降機を使って降りてきた警備兵が、通用口を抑えていた兵士と合流して搬入口に駆けていく。辺りに置かれた資材や機材を遮蔽物代わりにしながら、兵士たちは銃を構えた。

 月明かりを背に、一人の男が歩いてくる。自分に向けられた銃口なんか気にもならないようで、男の足取りは堂々としていた。格納庫の照明が男を照らす。その顔を見たぼくとアンジェリカは目を丸くした。

 搬入口から現れたその男は、死んだはずの男だった。

「デレク・グリーン……」

 死体の入場を見下ろすロバートは言った。

「……ヨハン・メルツェル」

 ぼくはタロスの腹の中で、怒りを押し殺すのに必死だった。

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