3-2
「ジーン・ブロワーって、どんな奴なんだ?」
これからぼくたちが顔を拝みに行くその男について聞くと、アルマはこう答えた。
「戦場でしか生きられない男です。寝ているとき以外は、食事のときでさえも、牙を研ぐことに費やしている」
「中々の歳なんだろう?」
「彼と同年代の人の大半は政治家に転向するか、軍と取引のある会社から顧問という肩書を貰って、悠々自適に引退生活を楽しんでいますよ。とはいえ、彼の態度を尊敬する者ばかりではありません。煩わしく思っている者もいるでしょうね」
「椅子が空かないと、次の奴が座れないからな」
「平穏に飽きて戦争をしたがっているって評判です。……あなたもそうなんですか?」
「戦いが好きなわけじゃない」
「だけど、死に急いでる」
「まさか。人生の意義なんて求めちゃいないが、赦せない奴が生きている間は死ねない」
「アルマが言っていた建物、見つけたよ」
アンジェリカの言葉で我に返って、ぼくは目の前のことに意識を戻す。アーバン大鉄橋の周囲には宿舎や司令塔、流通業者の管理する倉庫の他に、軍用の格納庫が幾つかある。アルマは言ってた。
「アーバン大鉄橋は洋上の敵に対処するための施設ですから、艦砲射撃の標的にならないよう、指令室は地下に築かれています。ですが、ここ。外見はただの倉庫です。しかし、ここに基地内の大半の通信配線が集約されている」
「ジーン・ブロワーは、その地下にロバートを招待した?」
「恐らくは」
ロバートの事務室に届けられた一通の手紙。封蝋はジーンが船長だった時代に、マストに掲げたものと同じ紋章が使われていた。技術博覧会についての意見交換がしたく、貴殿を我が屋敷に招きたい。中身をまとめると、そんなところだ。博覧会に備えて、事前に解決しておくべき諸問題に対処するよう王女から直々に仰せつかっているロバートは、対外的には特務大尉という肩書きを隠して、実行委員のなんとかっていう格式ばった長い役職を使っている。そして、アーバン大鉄橋を拠点にしている第十三艦隊も、博覧会の出展者に名を連ねているそうだから、話と状況の辻褄は合う。
だからって、招待の理由が文面通りだなんて考えてはいない。
ジーンの思惑について、ぼくとロバートの見解は一致している。消息を絶ったメルツェルを見つけ出すのも、アーサーが手に入れた写真を取り返すのも、手がかりとなるのは捜査の最前線にいるロバートだ。
「連中の秘密を探り出す絶好の機会だが、おれは監視の真只中だ。迂闊なこともできない」
そこで、ぼくたちの出番というわけ。人目を避けるためにダクトの中を這い回ったり、追っ手から逃れるために、下水道に飛び込んで何十分も潜水したりっていうのは、普通の奴には無理なことだ。
「ちょっと、わたしに何をさせる気?」
「それは、アンジェリカのがんばり次第によるよ」
「何時だって、わたしはがんばってますー」
建物の排気口に身体を捻じ込み、送風用のファンを潜り抜け、アンジェリカはジーンの事務室に隣接した応接室に辿り着いた。偉そうな奴は何事においても極端だなんて暴論に則り最下層を目指していた彼女だけど、まさかそれで本当に目的の部屋に行き当たるとは。
「ふふん」
アンジェリカは自慢げに鼻を鳴らす。良くやったよ。本当に。
「ふふふふん」
もう一度鼻を鳴らしながら、アンジェリカは格子越しに部屋を見渡した。
「幾らするんだろうね、あれ」
アンジェリカの下世話な好奇心は、部屋に並べられた調度品に向けられたものだ。部屋には秘書と思しき女性と、座席で誰かと通話しているジーンがいる。ほどなくして、ジーンの執務室の戸が叩かれた。ジーンは机の引き出しから酒瓶を取り出すと、何か言いながら棚にあったグラスに注ぐ。挨拶の一環だろう。ジーンはロバートにグラスを渡すと、ぼくたちが潜んでいるダクトに近づいてきた。アンジェリカは一瞬身構えたが、ジーンはロバートと共にダクトの下を通って壁を向いた。
「おれの趣味は、ほら、あれだ」
そこには、それぞれ風貌の異なる仮面が沢山飾られていた。仮面のモチーフっていうのは、それが作られた土地に根ざした文化や物語だったり、そこに住む動物ってことが多いが、並んでいる仮面はあまり関連性が無さそうだ。
「ランズリーが近くにあるだろう」外国船も停泊する、この国最大の港町のことだ。「時々部下に休暇を与えて、買いに行かせている。……勝利の証だ」
「勝利?」
「わが国のだよ。これらは討ち取ってきた国の文化だ」ジーンは仮面を眺めながら言った。「過去があるから、今がある。お前は戦争を知らん世代だろう?」
「生まれたばかりの頃には、まだ小競り合いがあったと父は言っておりましたが……。まあ、その通りです。戦火をこの目で見たわけじゃありません」それに、とロバートは続けた。「できることなら、娘にもそんなものとは無縁の暮らしを与えたい」
「おれが栄光を取り戻すために戦争を起こさないか心配か?」
「そんなつもりは……」
「気にするな」とジーンは苦笑した。「おれが指令室の椅子に踏ん反り返っているのを、余生の過ごし方が解らない老人の懐古だなんて馬鹿にしている連中がいるのは知っている」
「おれは初耳ですがね」
「過去を忘れられないんじゃない。忘れないためだ」
どの仮面も目は虚ろで、曖昧に口を開いている。悲哀を訴えているように見えた。ジーンの話のせいだ。敗者の悲鳴。平和を奪われたものの叫び声。
「わたしはあなたに奪われた」仮面からメアリーの声がする。「あなたが全てを奪った」
沢山の声がぼくの頭に響く。あなたが、あなたに、あなたの、あなた。あ、な――。
「エワルド」アンジェリカが無数の声を遮る。「今はわたしが見ているものに集中して」
〈棺桶〉で繋がっている間、アンジェリカが見ているものをぼくが見ているように、ぼくが感じたことはアンジェリカにも伝達される。知覚の共有だ。ぼくの考えたことがアンジェリカの邪魔にならないよう、ぼくはアンジェリカの感覚に意識を傾けなければならない。
「見て、あれ」ジーンの秘書が自分の机の引き出しに手を突っ込んだのに反応して、壁際の飾り棚が動き、隠し扉が現れた。
「エワルドの部屋みたい。男の人って、みんなあんなのが好きなの?」
ぼくやあいつを男の基準にしない方がいい。
隠し扉が開いて、その奥に通路が見えた。
「追えそうか? アンジェリカ」
「エワルドが作った新しい身体次第ね」
アンジェリカは腰のポーチから、掌に収まるくらいの小さな籠を取り出した。その中に入っているのが、ぼくが作ったアンジェリカの新しい身体だ。
空を飛べたらって思ったことはあるか? これには、それを実現してくれる小さな羽根が背中に生えている。
「でもね……」とアンジェリカは籠を見て言う。「あんまり気乗りしないなあ」
更に自慢したいのが、頭についている触角だ。身を乗り出したりせずとも、壁越しに向こう側の様子をうかがえる、第三の目がついている。ぼくは〈リコン〉って名付けた。
「絵本を見ながら、妖精みたいになりたいって言っていたじゃないか」
「妖精にね。うん、そう言った」
アンジェリカは籠を開いて、中身を取り出した。
「エワルド。これは妖精じゃなくて、虫って呼ぶの」
「特徴は変わらない」
「妖精には、針みたいな口や余分な手足なんかついていないの!」
「その大きさだと、羽を背負わせた身体を支えながら、二本足でバランスを取れるよう調整するのは難しいんだよ」だから、アンジェリカの身体(妖精)の脚は四本ある。「それに、予備の輸血キットも持てないから、適宜現場で血を調達する必要がある」口の針はそのためのものだ。「動き辛さは我慢してくれ」
「わたしが言いたいのはそういうことじゃなくてね――」
「おっと、無駄話をしている場合じゃない。扉が閉まる」
アンジェリカは深い溜め息を吐いた。「解ったわ。じゃあ、行ってくる。……この身体のこと、よろしくね」
少女の身体からアンジェリカの気配が消えると、妖精……もとい〈リコン〉は、ダクトの排気口からジーンの事務室に侵入して、僅かな隙間から扉の向こうに潜り込んだ。
一つの身体に二つの思考っていう構造がそもそも歪なんだ。なのに、アンジェリカが飛び立って、一人残されたぼくは、自分の一部が欠けたような喪失感を抱いた。
「よろしくねって言われてもなあ」
アンジェリカの身体を共有しながら、普段のぼくがやっていることといえば、彼女の目や耳が仕入れた情報を確認することと、自分の思考回路の一部をアンジェリカに明け渡しているくらいで、〈棺桶〉を通じた身体操作なんていうのは、この身体が完成したばかりの頃にやった、機能テストのとき以来だ。
アンジェリカの身体は、ぼくが収まっている〈棺桶〉と繋がっているのと同時に〈リコン〉と〈棺桶〉の通信を手伝う中継機の役割も担っている。彼女があの小さい身体を見失わないよう、ぼく……というか、この身体は付かず離れずの距離にいなければならない。
ジーンとロバートが使った扉以外にも、あの通路への侵入経路があるはずだ。誰にも明かされたくない秘密の部屋。とはいえ、ここは地下深く。
窒息したくなければ、通気口は欠かせない。
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