三章 アーバン大鉄橋
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アーバン大鉄橋は、国の中心を流れるヨーム川の河口に架けられた鉄橋で、海峡監視拠点として橋とその周辺が要塞化されている。海を隔てた向こうは、かつての仇敵ヴェルダがあり、川の上流にはコークストンがあるため、平和な世でも常に厳戒態勢だ。
ぼくはボスコ製紙工場のロゴが側面に刷られた運送車両の運転席で、業務日誌に記入する。アーバン大鉄橋、到着。時刻。記入を続けていると運転席の戸が叩かれた。検問所の番兵だ。ぼくはボスコ製紙工場の社員証を番兵に渡す。
アーバン大鉄橋は、出入りする業者の従業員を、八×八のマス目があるパンチカードに開けられた穴で識別している。事務室にあるスチール製のキャビネットの中には、顔写真が刷られた従業員名簿があるだろうけど、検問所では、積み荷の明細書とパンチカードと車体番号を照合するだけ。そこで、ぼくたちは夜通しで工場からアーバン鉄橋まで荷物を運び込む予定だった、ボスコ製紙工場の運転手、ロビン・サーチェス君に、彼の月収の半年分の金と交通公社で使える政府発行の無制限旅券を渡して、彼の社員証を借りることにした。今頃、ロビン君は故郷で病床に伏していた母親を、都会の大病院に連れて行ってる最中だろう。
これらは、正規の手続きを省いてジーン・ブロワー大将に近付くためのプロセスだ。
検問所の前で柵が開くのを待っている間に、欠伸が漏れた。荷台には見られちゃまずいものを積んでいるが、武器や弾なんかを運び込むのでなければ、積み荷を確認されることはないっていうのは調査済み。集団食中毒でも起こらない限り、シーツやトイレットペーパーの不足が問題視されることもないだろう。
番兵が車のドアを叩き、ロビン君の社員証を返してくれた。ぼくはアクセルを踏む。普段どこに積荷を降ろしているのかは、ロビン君から聞いた話を手製の地図に写してある。彼には画力が無かったから、実際に書き起こしたのはアルマだけど。
運転手としての仕事を片付けたあと、ぼくは宿舎でトイレを借りた。それから、やるべきことを手早く済ませ、駐留する兵士たちが不審に思う前に、そそくさと基地を後にする。
「お帰りなさい」アーバン大鉄橋を見下ろせる高台に車を置くと、アルマが出迎えてくれた。「無事で何よりです」
アーバン大鉄橋を覆うフェンスの内側は絶えず照明が灯され、真昼のように明るい。鼠はおろか、夜闇すら追い出そうとしているみたいだ。
「他人様の敷地で暴れ回るとでも思ったか?」
「大人しくしていることの方が珍しいのでは?」
「あんたたちはぼくたちの全てを把握しきっているつもりだろうけど、ぼくから言わせれば、あんたたちが知っていることなんて極一部さ。実は首尾良くやれたことの方が多い」
「今度もそうあって欲しいです」
ぼくは〈棺桶〉を車から引きずり降ろしながら「準備はできてるか」ってアルマに確かめる。
「わたしだって寝ていたわけじゃありません」アルマはぼくを手伝いながら言った。「この箱が、例の?」
「そう。アンジェリカが本領を発揮するための装置だ」
そして、ぼくがアンジェリカの視点から世界を眺めるための装置だ。
「あんたたちは部隊を結成すると、隊長を据えて集団の指揮を執るだろう? 身体もそういうもんだと思ってくれ。頭が指揮官で、四肢は隊員だ。アンジェリカの場合、指揮権の大部分は頭じゃなくて、この〈棺桶〉に詰まっている」
身体と頭が別れている事情は単純で、記憶の貯蔵容器を格納するのに、アンジェリカの頭は小さ過ぎる。ついでに言えば、本領を発揮するとなると、これでもまだ足りず、誰かが〈棺桶〉に篭って思考の手助けをしてやる必要がある。〈棺桶〉の搭乗者、つまりぼくのことだけど、搭乗者は、アンジェリカに人並みはずれた力を授けるための代償ってわけ。
「アンジェリカの頭が身体を活用するには、大量の、そして鮮度のいい血が欠かせない」
頭の方は、ぼくが〈棺桶〉に入れば滞りなく血液を供給できる。遠隔で動く方は、ぼくが一々付き添っていたら足手まといになるだけだから、輸血用の注射器を携行させている。その血を使い切るまでが、彼女の本気の限度だ。
「やり過ぎたら、あなたも失血死してしまうんでしょう?」
「アンジェリカが注射器を使い切るより先に、ぼくがぶっ倒れる方が早かったなんてことは今までにない」
ぼくは〈棺桶〉の中に入った。センサーがぼくの呼吸を感知し、触手みたいなケーブルが身体に巻き付いてきた。首筋に、チューブの先端に付いた二本の注射針が突き刺さる。これがアンジェリカの頭にぼくの血液を供給する要になる。
「貧血が怖いからって、生身で軍隊の基地を漁るのは御免だね」
「必要なのは血でしょう。あなたの犠牲じゃない」
「誰の犠牲なら受け入れられる?」
「それは――」
「冗談だよ。命っていうのは、そう都合良くできていないらしいんだ。人間として振る舞うためには、身体と頭を結ぶのは人間の血でなければならなくてね。身体に合わない血を使えば、出来上がるのは怪物だ」
「そろそろ、始めよう。アンジェリカは基地で待ちくたびれているだろうし、『あいつ』も基地に到着する頃合いだ」
「そうですね」
ぼくは〈棺桶〉の蓋を閉じる。暗闇に浸りながら、外で〈棺桶〉を持ち上げる兵士たちの声を聞く。埋葬間際の死者になった気分だ。ぼくたちの国では死者を弔うのに土の中に遺体を埋めるから、その行く末は歳月を経て土の中の生物に分解されるか、墓荒らしに掘り返されて、医者や見世物屋が使う特別なマーケットに並べられるかの二択だ。
〈棺桶〉の中に寝転がっていると、意識が深淵に沈み込む。窮屈さから解放されて、どこまでも続く闇の中にいる。目を凝らすと、メアリーの姿が現れた。ここにいるのはぼくだけで、彼女の存在を否定する要素は一つもない。肉体の停止も、魂の消滅も。
ぼくはメアリーに語りかける代わりに、手元のスイッチを押した。蓋の裏側についていたモニタに灯りが付き、メアリーはぼくの前から姿を消す。
「おはよう、アンジェリカ。そろそろ仕事を始めよう」
「単独潜入っていうのは、解ってた」恨み節たっぷりの声がぼくの頭に響く。「安全じゃないってこともね」
アンジェリカは自分の身を隠していた「蓋」をゆっくり押し開け、外を覗いた。
「当然、目を覚ましたところがベッドの上だなんて期待もしてなかった」彼女の手足が、ぼくのもののように感じられる。「だけど、棄てるっていうのは酷いんじゃない?」
外に這い出たアンジェリカは野菜屑まみれで、小さな羽虫に集られていた。
「ゴミ箱くらいで文句を言うなよ。今のぼくがどこにいるか知ってるか?」
「わたしよりはマシなところ」
「聞いて呆れろ。墓の下だ」
ぼくは〈棺桶〉の中に入っている間は身動きが取れない。だから、絶対に見つからないような場所を選んで隠してくれ。アルマには確かにそう言ったが。
「死人の隣で、死体の真似事だ。気が気じゃないよ」
アンジェリカは笑った。「いいじゃない。洒落が効いていて」
「墓に棺桶なんて冗談にもなっていない」
「エワルドが化けて出たら、きっととてもしつこい幽霊になるんでしょうね」
「どういう意味だ?」
「恨まれないようにしなくちゃってこと。とっておきのスクープ、期待していて」
「スクープ、ね。世間が大賑わいになるような話を掘り起こしてくれ」
「ええ。任せて」
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