2-4
ロバートを病院に連れて行った後、ぼくとアルマはモルダーとラシュビーの手足を精肉加工される前の家畜みたいに紐で縛り付け、頭に麻袋を被せて荷台に放り込んだ。
「誰の差し金だ?」
ロバートは村の酒場の地下貯蔵室を接収して、ぼくたちが連れてきたモルダーとラシュビーをそこに閉じ込めた。弾が身体に残らなかったことが幸いして、彼は折れた骨を繋ぐためのギプスを腕に巻くだけで済んだから、こうして率先して尋問に加わっている。
椅子に縛り付けられたモルダーは、麻袋を頭に巻いたまま無言を貫き、ラシュビーは首を横に振った。
「別に」言いながら、ロバートは空砲を鳴らした。「二人とも生かしておかなきゃならない理由はないんだぞ」
ラシュビーが先に口を開いた。「爺さんは帰してやってくれ。何もしちゃいない」
世間知らずのラシュビーはともかく、爺さんの方は、そんな言葉だけで釈放されるわけがないって知っているようだった。
「川に死体を流したのは、多分、わたしたちだ」
「おれだ」ラシュビーは口を挟む。「おれがやったんだ」
ぼくはラシュビーを縛り付けていた椅子の脚を銃で撃つ。ラシュビーは小さく悲鳴を挙げ、ぼくは脚の折れた椅子を蹴飛ばす。
「それだけでいいの?」頭の中で声がする。「あなたを殺そうとした人なのに」
ぼくの銃口はラシュビーの頭を狙っている。
「話は順番に聞く」
ぼくたちの周りに積み上げられた果実酒の木樽を前に、不要なものを全部燃やし尽くすのと、不平不満を飲み下すのと、どちらが有意義な酒の使い道かってことを考える。
「引き金に指をかければ、あなたは自分の怒りを表現できる。簡単でしょう?」
青白い女の手が、銃を持つぼくの腕に触れようとする。誰もそのことを知らない。ラシュビーもモルダーも麻袋を被っていて、ロバートは二人に夢中だ。アルマはぼくたちが泊まる宿屋の部屋で、アンジェリカの相手をしている。
誰も、ぼくの心の中で起こっている葛藤なんかには無関心だ。
「多分って?」
頭の中で響く声を無視すると、女はぼくを嘲笑った。
「ニック・ベイカーとかいう蒐集家の使いがやって来て、持ってきた荷物を棄てる場所を探していると言って、わたしたちに報酬を渡してきた」
「受け取ったのは、おれだ。爺さんは仕事をおれに紹介しただけで……」
「そのの使いっていうのは、どうしてお前たちにゴミ棄てを頼んできた?」
「あの一帯は、デレクが人除けをしたおかげで、近寄る者が滅多に現れない。それを知った連中が人里離れたところに住んでいるわたしを訪ねて、世間に見られたくないものを棄てるよう依頼する。わたしたちは、荷物の中身を確かめたりはしないがね」
「どうしてぼくたちを殺そうとした」
「アーサーを探しているというお前がやってきて、人形のことを思い出したからだ。ラシュビーに仕事をさせたとき、こいつは荷物が人間じゃないかって喚いていた」
「その荷物が、アーサーの死体だったかも知れないってことか?」
「死体が打ち揚げられた川は、デレクの土地を流れる川の下流だ。それでも、わたしはラシュビーが臆病風に吹かれただけだと思っているがね。問題はこいつの勘違いよりも、あんたたちの勘違いだ」
「おれたちの?」とロバートが眉を潜める。
「あんたたちは、わたしたちがアーサーを殺したって思っているんだろう? こちらには弁明する手段がない」
「だから、先手を打とうって思ったわけか」
「軍人相手に通用するはずないだろうが」
腕に包帯巻いてよく言うよ。
「坊主一人なら、森に置き去りにするなりできると考えたが……」
森の中で軍服を着た大男と鉢合わせするのは想定外だったというわけだ。
「どう思う?」とロバートはぼくに耳打ちした。
「杜撰過ぎる。何もかもだ」
「メルツェルとの繋がりはないって?」
「奴は用意周到だ。おれたちに何を伝えて、何を隠すか慎重に選んでる。こいつらみたいな場当たり的な奴を囲い込んだりはしないさ」
ぼくは銃に弾を込めて、銃口を床に這いつくばるラシュビーに向ける。麻袋の中は余程息苦しいようで、袋が心臓みたいに萎んだり膨らんだりを繰り返していた。
「生きていたら、面倒でしょう?」
生かしておいたら面倒だ。 ぼくは引き金を引く。弾はラシュビーの麻袋に小さな穴を開けたが、破裂することも、血を噴出すこともなかった。
ロバートは、ぼくの腕を掴みながら「何のつもりだ」って言う。
ぼくは言い返す。「何のつもりだ?」
ロバートとぼくは睨み合った。
「この人は、あなたたちを殺そうとしたのよ」
「こいつは、ぼくたちを殺そうとしたんだぞ」
「もうやらない。……いや――」ロバートはラシュビーを一瞥した。不意の銃声と、目の前にまで迫った死に驚いて、股座を濡らしたラシュビーを。「奴はもうできない」
「助けてやれって? 恩を施せば改心するだなんていうのは、あんたの幻想だ。現実は恨みを募らせて、仕返しにやってくる。助けてやったなんて思い上がっているあんたは、裏を掻かれて痛い目を見るんだ」
アーサーの足取りを追うっていうことは、そのどこかで彼が体験した境遇と出くわすってことだ。いずれ彼のように殺されるってことを忘れちゃならない。眼に見える危険を排除したって、それでも足りないくらいなんだ。弾はまだある。その気になればロバートの腕を吹き飛ばしてからだって足りるくらいに。
「これは捜査だ。エワルド」
「そうだ、捜査だ。だけど、こいつらからは、これ以上、碌な情報は得られない」
この人たちは道理を外れた。
青白い肌をした女が現れて、木樽の山の上に腰かけた。軽蔑した目でぼくを見下ろす。
「こいつらは道理を外れた」
あれは、ぼくの怒りだ。恨みだ。女の口の動きは、ぼくの声だ。
自分が可愛くって、他人を手にかけようとした。
「自分が可愛くて、ぼくたちを殺そうとした」
自分が無事なら他人の人生なんてどうだっていいって思っているクソ野郎は、奪われる痛みに無頓着で、自分の利益しか視野にない。こういう奴らは周りが悲鳴を挙げているのに、世界は上手く回っているって平然と言うんだ。森の中でぼくやロバートを仕留めていたら? こいつらはきっと酒を酌み交わす。ぼくたちが吐き出した血も呪いも土に埋めて、何も起こらなかったような素振りで日常に戻るんだ。大手を振ってこれからの人生を歩み、この世は自分が犠牲にしてきた者たちの血肉でできているってこととは向き合わない。
「仕返しだって自己愛だろう。お前が他人のことを言える義理か?」
ぼくは酒樽に向かって頷く。
「ぼくが潔癖だっていつ言った?」ぼくは、と続ける。「ぼくもこいつらも、外道なんだ。ぼくがこいつらを撃ちたいのは法を守るためじゃない」
ロバートはぼくの視線を追って振り返る。そこにあるのは、果実酒の入った木樽だけ。
「依頼人の連絡先を知ってる」ラシュビーが震えた声で言う。「誘き出すのを手伝ってやるから、それでどうだ?」
「まだ連絡を取れるそうだ。ぼくたちの動きがこいつらから漏れるぞ」
「そんなつもりはない!」ラシュビーは叫んだ。
「……ともかくだ。この件からは手を引け。こいつらの身柄は事態が落ち着くまでおれたちが預かる」
「問題はここで解決するべきだ。先送りにしたって、碌な事にならない」
「今この二人を殺せば、おれとお前の間に、新しい問題が生まれるぞ」
女が笑う。「どうする」どうする?
ロバートとしばらく睨み合ったあと、ぼくは天井に向けて弾を撃ち尽くして、銃を床に捨てる。酒樽に腰かけていた女は呆れたって顔で、木樽の上から姿を消した。
二人の身柄を地元の駐屯兵に引き渡した後、ぼくたちは首都のコークストンを目指した。
「そこに写っている運送車両の持ち主を洗い出せ。それからジーン大将の身辺調査も」
道中、ロバートはグリーン家の小屋で見つけた写真の束を胸の内ポケットから取り出すと、何枚かを選り抜いてアルマに渡した。
「ジーン?」
「アーサーが撮った将校のことだ。ジーン・ブロワー。四十年前の戦争の英雄。士官学校の教科書にも載っている船乗り(海軍将校)さ。彼の操る船は波を切り裂き、船首は敵の船体を貫いたって逸話がある」
この国で出世するには頭の中まで筋肉でできてなくちゃならないらしい。
「名前が解かっているなら、話は早い。どこにいる?」
アルマが口を開こうとした。だけど、ロバートがそれを制止する。
「断っておくが今度ばかりは、死体を積み上げるようなやり口は厳禁だ」
「庇うつもりか? アーサーが虐げられてきたことを知っていて、利用した連中だぞ?」
「まだ憶測だ」
「その写真が証拠になる」
ロバートは言う。「何の?」
「知るもんか」ぼくは鼻で笑うロバートを無視して続けた。「だけど、アーサーはそれがメルツェルの手土産になると思っていて、ぼくたちを襲った連中は何としてもその写真を明るみに出したくなかった。そういう証拠だ。その写真か、もしくは写っているもの自体を巡って、両者は決着をつけなくちゃならない。どちらが先手を打つにしろ、ここに写っている連中の動向を追えば、いずれ消息を絶っているメルツェルにも行き会うってことだ」
これはベイカー精神病棟での接触以来、消息を絶っているメルツェルを見つける、絶好の機会だ。アーサーが遺してくれたこの祝福を逃すわけにはいかない。
「アーサーを食い潰した連中は、焦っているだろう。そこに追い討ちをかけるんだよ。アーサーが撮った写真が、当事者以外の手に渡ったことを匂わせるんだ。畑に潜んだ鼠も、鍬で耕せば驚いて巣穴から飛び出す。そこで尻尾を掴むんだ」
「……お前は一度、冷静になるべきだ」
「怖気づいたのか?」それでロバートがこの件から手を引くなんて言い出したら、たまらない。「ジーンっていう奴。海軍の大将なんだろう? ビッグネームじゃないか。もしも疚しいことがそいつにあるのなら、これはあんたにとっても、チャンスになる」
ぼくはロバートの様子を注視した。足手まといが増える。手がかりを奪われる。どちらもあってはならないことだ。
「おれの仕事は自分の出世のためじゃない」
「国のためか? 立派な話だな」ぼくは上着のポケットに忍ばせておいた拳銃をロバートに突きつけた。「それをアーサーに言ってやれ」
アルマが身構える。アンジェリカは視線で何かをぼくに訴えた。何だっていい。ロバートは銃口に動じることなく、ぼくを見据えた。
「お前は何のためだ?」
「ぼくは――」それは、デレクの死に場所で言いそびれたこと。「ぼくは、ぼくのためにメルツェルを殺したい」
「何故だ」
「世間があいつを容認するからだ。誰もやらないから、あいつがやってきたことに相応の報いをぼくが与えるんだ」
「それじゃあ、末路は破滅だな。……いいか、過去の自分が生んだ感情に流されて、力の使い所を誤るな。それが不幸の内に生まれたものなら特にな。お前が今日メルツェルを殺したとしても、それは報復にならない。その手が悪意に染まり、お前は自分の価値を貶めるだけだ。起こったことは覆らないってことから目を背けて、自分の活力を浪費するような奴にはなるな」
「解かったような――」
「解かっているさ。お前が酒場の貯蔵庫で何を見て、何に操られていたのかもな」
ロバートは言った。
「メアリー・リード。お前が見る亡霊の正体は彼女だろう?」
ときにぼくの傍らで、ときに窓の向こうに佇んで、ときに枕元に立って、ぼくを睨み付ける死人。ぼくだけに見える女。
メアリー・リード。
彼女はアンジェリカの身体を作った人形技師で、ぼくが心の底から愛した女性で、今となっては、ぼくの罪の象徴だ。
「全部、見抜かれちゃってる」
ぼくとロバートの間に女の顔が横から割り込んだ。ぼくを嘲るような眼差し。
「どうする?」
どうする?
やってはいけないこと。動揺。動揺してはいけない。ここで取り乱したら、ロバートやアルマはぼくをどう思う? 普通の人が当たり前にやっているように振舞うんだ。
「狂ってしまったくせに」メアリーは言う。「何が普通なのか、自信ある?」
在り得ないものを見てそれに惑わされているなんて疑われたら、ぼくに自由はない。
「今更取り繕ったって」メアリーは言う。「もう手遅れよ」メアリーの笑い声が頭に響く。「知られちゃったからには」 メアリーは肩から二の腕の方へ撫でるように、銃を握ったぼくの腕に触れた。「黙らせなくちゃ」
メアリーはぼくの耳元で囁いた。ぼくがやることに口出しをさせちゃならない。
「エワルド」
アンジェリカの声でぼくは我に返った。メアリーが霧みたいに散っていく。いや、違う。メアリーは最初からこの場にはいない。いるはずがないんだ。 アンジェリカはその小さな掌で銃口を覆い、ぼくに銃を下げさせた。
「ロバートたちは、あなたの話を聞いてくれる」
アンジェリカはぼくの手から銃を取ると、ぼくの上着のポケットにそれを片付けた。アルマは緊張を解き、ロバートは溜め息を吐いて言う。
「正直、終わったと思った」 そして、咳払いをして続けた。「嬢ちゃんに感謝するんだな」
「あなたもね」とアンジェリカはロバートに言った。「わたしのおかげで助かったんだから」
ぼくは車窓の外に視線を向けた。
「そうだ。幻覚だ」ぼくは言う。「見えないものを見てる」
ぼくはロバートと向き合う。
「死人だ」
メアリー・リード。既にこの世にいない亡霊。
「ぼくは死人の声を聞いている」
彼女を失ったその日以来、メアリーの幻影は絶えずぼくの傍にいる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます