2-3

「しばらく帰れそうにないってラシュビーに伝えたら、まだ仕事が残っているって先に帰っちゃって。だから、わたしは他にすることもないし、折角だから待っている間に食べられそうな木の実でも拾っていようと思ったの。夕食の足しになるでしょう?」

「アンジェリカ」窓辺で身を屈めていた彼女に、ぼくは努めて冷静に言った。「ぼくたちの懐事情はバラさなくていい。何が起こったのかを教えてくれ」

「そうしたら、突然誰かが銃を撃ってきて……。わたしは戻って来られたんだけど」

「……アルマがいない?」

「はぐれちゃった」アンジェリカは不安げに何度も窓の外を見た。

「あいつは鍛え方が他の奴とは違う。村に助けを呼びに行っているんだ」

ロバートは気を利かせたつもりなんだろうが、銃声の前じゃ気休めにもならない。呑気なことを言っているロバートにアンジェリカが止めを刺す。

「あなたたちの馬車は車軸が壊されていた」

 ぼくはロバートと顔を見合わせる。

「帰り道は長旅になるな」ロバートは言う。

「その前に、帰れるかどうかを心配しろよ」

 ロバートは窓の外を睨んだ。「お前たちの連れ、何者だ?」

「この辺りで配達もやっているっていう商人だよ。……それに、銃を持っていた」

 ぼくが鞄から取り出した銃を組み立てていると、ロバートは小屋の外に飛び出した。

「何やっているんだ。あいつ」

 こっちは銃弾が飛んできた方向だって解っていないんだぞ。

「アンジェリカはここで待ってろ」

「でも――」

「メアリーがお前に作った身体は、残りが限られてる」

「エワルドの身体は一つでしょう」

 再び発砲音がして、森中が揺れる。鳥の群れが飛び立つ音。

「いいか。絶対に小屋から出るなよ」ぼくの言葉に強制力はない。アンジェリカは自分で

 言葉を選び取れる。「頼むから」

「……危ないことはしないでね」

「当たり前だ。こんなところじゃ死ねない」

 ぼくは鞄を盾にしながら身を屈め、身体を隠せそうなくらいの大きさの樹の幹まで駆け出した。小屋を背にして、左手側にはロバートたちの馬車がある。崩れているって言った方がいいか? 馬はどこかに逃げたようだ。心許ないが右側を鞄で塞ぐ。

 次の発砲音で狙撃手の居場所を判別してやろうと耳をそばだてていたら、ロバートの呻き声が聞こえた。少し向こうにある倒木の影だ。ロバートは右腕を撃ち抜かれていて、指先から落ち葉の積もった地面に血を垂らしてる。手助けしてやりたいが、この状況なら狙撃手の銃口はロバートに向いているはずだ。不用意に近付いて共倒れでは、つまらない。

「軍人って奴はタフなんだな」

 ロバートに倒れられたら困る。あの巨体をぼく一人で運ぶのは無理だ。

「利き腕をやられた」

 そうでなければ反撃でもするつもりだったのだろうか。

「もっと冷静になれ。アルマはあんたより優秀だ」

 鞄から掌くらいの缶を取り出して、ロバートに放る。缶はロバートから少し離れたところに落ちたけど、無事な方の手を伸ばせば十分届くだろう。

「どう使う?」

「突起のついた方が口だ。その上にボタンがついているだろう。押せば薬液が霧状になって噴き出るから、患部にかけろ」

 ぼくが言った通りのことをロバートはやって、悲鳴を上げた。「痛えぞ!」

「当たり前だ。その状況で痛みから逃れられると思うなよ」

 痛みは続くが、これで血が止まる。とはいえ、早急な治療が必要なのは変わりない。だけど、失血死からは遠ざかった。最低限だが、事態は好転している。少しずつ、いい方に

転がし続けなくちゃならない。

「腕前にどの程度自信があるのかは知らねえが……。狙撃は素人だ」

「どうして解る?」

「そうでなければ、おれたちはとっくにくたばってる」

 膠着状態はぼくたちにとって不利だ。陽は空を赤く染め始めていて、直に夜を迎える。夜の寒さを乗り越えられるほどの体力がロバートに残っているとは思えないし、こちらを仕留め損ねたときのことを考えて、相手は長期戦の用意をしていたとしても不思議じゃない。周囲には他にも狙撃手の仲間がいるってこともあり得るんだ。

「素人なんだな?」

 ぼくはロバートに向って叫んだ。彼が答える代わりに銃弾が飛んできて、ぼくが身を潜めていた木を抉っていく。

「ああ、そうだ。近付く度胸がないから遠くでこっちを狙ってるのさ」

「アンジェリカ!」

 ぼくが小屋に向かって叫ぶと、彼女は窓から頭を見せた。銃撃。アンジェリカはすぐにまた身を引っ込めた。「隠れたまま聞いてくれ」って、ぼくは付け加える。

「裏手から回って、ロバートの部下を集めるんだ」

 ロバートはアルマの他には部下を連れてきていないって言っていた。そうなんだろう。増援は期待できない。期待してない。アンジェリカは、もう一度窓からぼくを見た。ぼく

は無言で首を振る。そこにいろ。小屋を出る前にぼくが言ったことは?

 狙撃手の正体がラシュビーで馬車にあった猟銃を使っているのなら、射程の都合で彼はぼくたちの声が届く距離にいるはずだ。

「形勢は互角か?」

 気に入らないのは、狙撃手が猟師を気取って、ぼくたちは獲物のように振る舞わなきゃならないっていう状況。主導権が相手の手にあり、こちらは絶えず相手の顔色をうかがう。野鼠の気分だ。死なないことのためだけに、神経をすり減らしている。この関係を看破できなければ、ぼくたちは遮蔽物の陰に釘づけだ。ぼくたちは動けない。状況を覆すには狙撃手を対等の場に引きずり下ろす必要がある。ぼくは崩れかかった馬車に拾った小石を放り投げた。音のした方で弾が跳ねた音がする。ぼくはすかさず、別の樹の幹の陰に移動した。身を隠す直前、足元を銃弾が掠める。

「焦っているんだろう。落ち着けよ。兵士たちが集まるまで、まだ二十分くらいはある。弾の数はちゃんと確認しているか? お前が用意していたのは、袋に入っていた分だけだろう。無駄遣いをしたら、これからやって来るロバートの部下を倒し切れない」

 これからやってくる兵士たちは、自分の腕で相手にできるのかって考えてくれ。ぼくたちの始末をどれだけの時間で済ませたら、逃げる時間を確保できるか推し測ってくれ。弾や時間を消耗したことが、どれだけ自分を追い詰めているかって、悩んでくれ。そうすれば、あんたはぼくたちと同じだ。不意に訪れる死に怯えて、自分の命の采配を運命に委ねる身となる。狙撃手が弾を外して焦っている間に。自分の居場所がまだぼくたちにばれていないっていう確信を持つ前に、決着をつけなくちゃならない。

 ぼくは前方の岩陰に走った。苦痛に顔を歪めるロバートよりも前。銃撃はない。余所見をしていたのか、引鉄を引くのを躊躇ったのか。どちらにせよ、心境は穏やかじゃないだろう。追い打ちをかけてやる。ぼくは当てずっぽうで銃声を響かせた。狩る狩られるの一方的な関係はもう終わり。発砲音を聞かせることに意味がある。些細な死の予感でも、予感してしまえば冷静ではいられない。

「エワルド」ロバートだ。「左を見ろ。丘になっている起伏の頂上に岩がある」

 誰かがいたってことなのだろう。ぼくには見えなかったが。 恐る恐る、ぼくは丘に近づいた。ロバートが見たものは本物だ。ぼくの接近を勘付いて狙撃手が岩陰から頭を出した。ぼくは慌てて倒木の下に潜り込み、地面を這って進んだ。丘からだと、ぼくとの間にある起伏に遮られて、こちらの姿は見えないはず。

 どこから撃ってくるって解かっただけでも、ぼくは大胆になれた。獲物だって見くびっていたぼくに迫られて、狙撃手はどう思っている?

 ロバートが狙撃手の注意を惹きつけるために喚いている。ぼくは岩を隔てた向こう側まで狙撃手を追い詰めた。「ラシュビーだろう?」深呼吸と足が落ち葉を踏んだ音。返事はない。銃の残弾を確認する音が聞こえた。

 この状況で手を出してくる者が誰も現れないっていうのは、狙撃手に仲間は(少なくとも、この場に)いないって証拠だ。状況は、遂にフェアになったってわけ。

 対等になったが故に困ったこともある。この次は?

「何かアドバイスは?」

 ぼくはロバートに向かって叫んだ。

「打って出ろ!」

 できればやっている。上手くいくもんか。頭の中で声がした。これは自問自答だ。小さい頃から喧嘩とは無縁だったくせに。ぼくは言い返す。これは自問自答だ。だから、撃たれるしか後がなくなるまで待てって?

 吸って、吐く。今こそ飛び出すときだって意気込むと、意気込むだけで呼吸が荒くなる。吐いて、吸う。木々が揺れる。見上げると、葉もほとんど落ちた枝が重なり合って、女性の顔がぼくを見下ろしているように見えた。ぼくは息を飲み込んだ。

「あなたはまた何もしないの?」空から声がする。黙れ。「やろうとしたって言うつもり?」

 黙ってくれ。頭の中で響く声を振り切れない。

 フラッシュバック。焼けるような落ち葉の色。暗転。目の前に炎が広がる。

「あなたの研究も、その銃も、全部自分の失態を美化するための飾り」

 幻聴がぼくを記憶の世界に引きずり込む。炎と炭の景色。ぼくは、立ち尽くすしかない。熱と光がぼくを圧倒する。立ち上る炎を割って、焼け爛れた死体が現れた。迫りくる炎は紅葉や枯葉だ。ぼくは唱える。黒ずんだ燃え殻は土や木の皮だ。ぼくは唱える。

「これまでも、これからも、あなたは何も成し遂げられない」

 炭化した足が膝から崩れて、焦げた死体はぼくに歩み寄る途中で倒れ込んだ。それでも死体は這ってこちらにやって来る。止めてくれ。今は君に付き合っている場合じゃない。草を踏む音。踏み荒す音。岩の向こうから人影が現れる。焼け爛れた死体、ではなかった。殺意の瞳。瞳がある。狙撃手だ。狙撃手の正体はやはり、ラシュビーだった。

「伏せて!」

 声がするより先に、ぼくは腰を抜かしていた。銃を構えるラシュビーの背後からアルマがやってきて、ラシュビーの脛を踏みつける。ラシュビーは引っ繰り返り、銃弾は空を貫く。ぼくの頭で響いていた声は消えて、気付けばアルマがラシュビーを組み伏せていた。

「ありがとうございます」アルマが言う。「注意を惹きつけてくださったから、近づけた」

「慰められてるみたいに聞こえるんだけど」

 ぼくはラシュビーを見下ろしながら、自分を顧みた。覚悟が足りない。度胸が足りない。ぼくは寸前になって、撃ち負ける恐怖に屈したんだ。

 思っているだけじゃ、何も変わらない。ぼくはそれを思い知ったはずなのに。

「一先ず、村に戻ろう。ロバートの治療をしないと」

 それと、モルダー。あの爺さんにもう一度会わなくちゃならない。

 どうやら、聞くべきことが増えたようだから。

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