2-2
デレク・グリーンは弁えている男だった。
自分たちが育った土地が他人の手に渡って、もうどうにもならなくなると、彼は鉱石採掘用の爆薬を買い集め始めた。奪ってまで肥えたいって思っている連中に仕返しをするなら、相手が持っている物の価値を台無しにしてやればいい。〈トラベティック社〉の欲しがっているものが、地下の鉱石だって知ったデレクは、仲間と共に自分の土地だった地面のいたるところに深い穴を掘って爆薬を埋めた後、新聞を通じてそれを公表した。採掘に爆弾を使おうものなら、どこで何がどれだけ誘爆するか解からないぞって脅しだ。〈トラベティック社〉による坑道作業員募集の広告欄の真下に掲載されたそのお知らせはそれなりに効果があったようで、集まった労働者は〈トラベティック社〉の期待の三割にも満たなかったうえ、その労働者たちも、掘り進めた坑道がデレクの土地の下に差しかかると、半数が逃げ出した。爆薬の撤去を迫られた会社は埋蔵箇所をデレクに問い質そうとしたけれど、当のデレクは労働者が詰所に篭もっている隙に坑道の入口を余った爆薬で崩壊させて、裁判所からの礼状を携えた警察が彼の家を訪ねたときには、既に自宅で首を吊っていた。
大抵の場合、自分が成し遂げるべきプランは先送りされ、長期化し、やり遂げる前に人生の終わりを迎える。まだまだあるだろうって思っていた機会は、棺桶に片足を突っ込んでやっと、いつの間にか通り過ぎていたって気づく。
だけど、デレク・グリーンは違った。彼は自分の人生が幸福に見放されたものだって理解すると、すぐに自分の一生を救うプランを立てて、実行した。彼が死に際に実行した嫌がらせの数々は、奪われ続けるだけの人生を復讐劇に変貌させたんだ。そして、自分の命に自ら終止符を打ったことで、彼から更に何かを奪うことは、誰にもできなくなった。デレク・グリーンは財産を遺せなかった代わりに、命を賭して教訓を子供に残そうとした。利用されるままに甘んじるな。自分の都合を他人に押し付けてくるような連中には、その報いを受けさせろ。思いを果たせたなら、短く散っても上等だ。爆発や首吊りでそういうことを伝えようとしたってことは、多分デレクは口下手だったんだろう。
「あんたたちも軍人さんなのかい? ほら」とラシュビーは行く先を指す。木造小屋があって、傍に馬車が留まっている。「あれ、軍人さんだろう?」
ぼくは嫌な予感がした。
「どうしてお前がこんなところにいる」
そう言って、馬車の影から現れた大男の正体をぼくは知っている。
「ロバート……」
「あんた、軍人さんかい?」
「おれはそうだが、そいつは違う。そいつは脱走者だ」
ラシュビーがぼくを警戒したから「性質の悪い冗談だ」って弁解した。
「あんたたち、本当はどんな関係なんだ?」
「面倒ごとに面倒が重なるときって、あるだろう? あいつはそういう象徴だ」
馬車から降りて、ぼくは周囲を見渡す。辺りは草葉こそ少ないものの、地面が大きく隆起していたり、身を隠せそうな倒木や岩も多い。
「お久し振りです」
戸を開けて現れたのはアルマだった。
「あんたたちこそ、どうやってここを突き止めた」
アーサーの実家――デレクの家が森の中にあることは、役場の誰も知らなかったし、それを知っているモルダーの家を、ぼくとラシュビー以外が訪ねた形跡はなかった。
「これだ」
そう言って、ロバートは胸元から一冊の手帳を取り出した。
「アーサーが記録に残していた」
思わず、肩の力が抜けた。「カンニングか」
「お前は随分苦労したらしいな」ロバートは嗤った。「それで、仕事の方はどうした」
「言っただろう。聞く義理はない」
ぼくがそう言うと、ロバートが眉を上げて口を開いたが、実際に言葉を発したのはアンジェリカが先だった。
「王女様に会おうとしたら、門前払い。だから、プンスカ怒ってここを突き止めたの」
「外遊、だとさ」
「それなら、仕方ありません。ね? 大尉」とアルマ。
仕方なくなさそうだが、反論する言葉も見つからないようで、ロバートの怒声が飛ぶことはなかった。
「小屋の中はどうだった?」
ロバートは首を振るだけで、アルマが「特に何も」と答えた。
ぼくはもう一つ聞く。「良く探したか?」
「もちろん、小屋中な」とロバートは言った。「軒下に貯蔵庫はあるが、それ以外に隠し部屋もなかった」
ぼくが小屋に踏み込もうとすると、ロバートが声をかけてきた。
「無駄骨だぞ。捜査のプロが何もないって言ってるんだ」
「自慢じゃないが、ぼくは空き巣のプロでね」言ってから、ぼくは馬車の方を振り返った。「ラシュビー、あんたはどうする?」
「行かねえよ。死人の家探しなんて、気味が悪い」
気味が悪い、か。そうだな。ラシュビーの言っていることは正しい。死人の領域に入ることを嫌うのは生き死にの線引きが全うにできているってことだ。
「アーサーの部屋は右手前の部屋だ」と後ろからロバートの声。
「両親の部屋は?」
「リビングの奥。ベッドと腐りかけの家具があるだけだ」
ぼくがリビングを通り過ぎると、ロバートたちも付いて来た。
「何があると思っているんだ?」
「幼い頃のアーサーは、ここで首を吊った父親を見つけたらしい」
埃まみれで、虫食い穴だらけのベッドが二つ。蓋が片方剥がれ落ちたクローゼット。空の花瓶が乗ったエンドテーブル。見上げると、ベッドの間を通るように梁がある。首吊りの真似事をする長髪の女。ぼくはまた余計なものを見ている。溜め息を吐いて気持ちを整理だ。やるべきことに集中しろよ、エワルド。
「……父親の話は知っているが、それがアーサーの死と何の関係がある?」
「あるかどうかをこれから確かめるんだ。ベイカー精神病棟で、デレク・グリーンの死体を見た。動く死体だ。それも、メルツェルが直に操っている特製品」
どちらもお宝を探し出すのが目的だけれど、殺人事件の捜査官と空き巣では目当てのものが異なる。 ぼくはベッドに乗りかかった。シーツには得体の知れない染みがついていて、仰向けに寝転んだ人にも見える。人型の染みに跨ったぼくは、ズボンのポケットから取り出したナイフでシーツの染みの、鳩尾辺りを裂いた。
「あんたたちは、血痕やら足跡を見つけ出すのに、こんなところは探さないだろう?」
中綿を掻き出すぼくのことをアンジェリカが覗き込んだ。
「どうしてこんなところに何かがあるって思うの?」
「デレクの死体がベイカー精神病院にあったわけを考えたのさ。……あれはきっと、アーサーが持ち込んだものだ。ここに戻ってきたのも、墓から父親の死体を回収するため。アンジェリカは直に見たから解かるだろう? 死んで十年以上も経っているのに、あの死体は写真のデレクだって解かるくらい外見が復元されていた。デレク・グリーンっていう存在そのものに未練がなければ、他にどんな必要がある?」
中綿を掻き分けていたぼくの指先が、何か固いものに触れた。
「アーサーは父親を蘇らせたかった。実際には死人は蘇らない。動くだけだ。それでも……動くだけマシだったんだろう。だけど、メルツェルは他人のために働くような男じゃない。奴に頼みごとをするなら、見返りを用意するか、あるいは――」
ぼくは中綿の中に埋められていたものを引きずり出した。
「あるいは、脅し文句を用意するしかない」
「それがその脅し文句ですか?」
アルマの問いに、ぼくは頷いた。
「アーサーが本当に遺したかった言葉だ」
ベッドの中にあったのは、鍵穴のついた木箱だった。
「メルツェルはデレクが自殺する原因になったんだろう? 恨みこそしても、縋ったりするもんかね」
「大事な人に死なれたら、あんたも解かるようになるさ」
「なんだ、無関係だって言っていたくせに、アーサーに同情しているのか?」
「他人に従うことが当たり前になっているような奴よりは共感できる」
「……おれのことか?」
「おまけに他人の自由を脅かす」
「随分根に持つんだな」
「指令、業務、命令、任務。大層な言い訳だ。あんたは権力の名の下に自分の判断を正当化できる。羨ましいね。……より豊かになるため。多くの人が幸せになるため。そういう大義名分を以って世の中は、グリーン家をこの地から追い出した」
私腹を肥やしたいトラベティック社は言う。別の土地を探せって。グリーン家の土地の埋蔵資源に目が眩んだ人たちが言う。他の仕事を探せって。権利を訴えるグリーン家に司法は言う。新しい生活を探せって。
「『恨みこそしても、縋ったりはしない』か。アーサーにしてみれば、この国の、今の時代を享受する者みんなが、自分を追い詰めた『恨むべき相手』さ。この時代が続く限り、ずっと惨めな思いをしなくちゃならない」
「あなたも?」アルマだ。「わたしたちを嫌うのは、あなたも同じ思いをしているから?」
返事をする前に、心配そうにぼくを見るアンジェリカと目が合った。
「まさか」ぼくは木箱に集中する振りをした。「ぼくのことは関係ない」
全てを奪われたグリーン家に世間は言う。理性だけは失うなって。
「アンジェリカは、まだ時間がかかりそうだってことをラシュビーに伝えてきてくれ」
「わたしも付き添います」
言ってアルマは、アンジェリカを連れて小屋を出た。
怒りに狂わず真っ当な振りを演じ続ける秘訣の一つが、幸福だった時代への回帰だ。父親がまだ生きていれば、こんな人生にはならなかっただろう。そんな「もしも」を想像している間は、現実から逃げられる。アーサーにとって父親は扉だった。敵対者のいない、聖域への扉。父親が蘇れば、唯一無二の拠り所が現実になる。略奪者ばかりのこの世の中で、たった一つの救済。憎むべき相手がその鍵を握っているというのは、救済を諦める理由にならない。
ぼくは鍵を探す。
「貸してみろ」
ロバートは苛立たしげに言った。ぼくは箱を投げ渡す。ロバートは蝶番を引き千切るように蓋を開けた。
「何が入っていた?」
「写真だ。それと袋」ロバートは袋の中を覗いた。「ネガフィルム保存用の封筒だ」
ロバートは麻紐でまとめられた写真の束をぼくに渡した。
「先に見せてやる。お前の手柄だからな」
ぼくはナイフで麻紐を千切った。
束ねられた写真はどれも屋内で撮られたもの。銃を携行する兵士。大型の作業機械を運搬するツナギ服の男たち。偉そうな将校。カメラマンに気づいている者は誰もいない。
「……これに見覚えは?」
ぼくは束の中ほどにあった一枚の写真を先頭に並び替えて、ロバートに返した。それには、机に広げられた設計図が写されている。
「開発中の兵器の設計図か?」ロバートは鼻で笑った。「つまり、お前は秘密漏洩罪を犯したというわけだ」
「やったのは、アーサーだ」
ロバートは写真の束を捲っていく。「これが、メルツェルへの脅し文句?」
「そうだと思ったけれど、メルツェルが写っていない」ぼくはロバートを見る。「アーサーの死体に執着していた連中が、他にもいたな」
廃墟を吹き飛ばした連中だ。
「アーサーはメルツェルの弱みを握って脅そうとしたんじゃなくて、あいつらの秘密を手土産に、メルツェルに取り入ろうとしたってことか?」
ぼくは首を振る。
「それじゃあ、死体のメッセージと状況がちぐはぐだ。『次はお前だ』だろう? アーサーが取り入ろうとしてたというなら、『次』というのは不自然じゃないか」
「不自然じゃない」ロバートはきっぱりと言った。「確かにアーサーはおれたちを襲っていた連中の仲間だったんだ。……ある時点までは」
「メルツェルに寝返ったということか?」
「お前が言ったことだ。生きている奴はみんな『恨むべき敵』。だろう? 頭を下げる向きに拘りなんてない。誰か大きな後ろ盾を得たから、アーサーはメルツェルに復讐する気を起こした。だが、その過程のどこかで、メルツェルが死人を操るのを見たんだ。復讐よりも希望を優先したんだよ。どこかの誰かよりは賢い選択をしたってわけさ」
「それで上手く立ち回れたなら、ぼくより上等だったって認めてやるけど」
メルツェルを利用しようと目論んだアーサーは、腹の内を見抜かれて死体になった。
「結局は希望なんてないって証明しただけだ」
「まだ終わっちゃいないさ」ロバートは言う。「アーサーが捜査線上に引き摺り出した連中を捕まえることができれば、それがあいつの弔いになる」
「死者のために何かやろうっていうのは、手遅れを誤魔化すだけの自己満足だよ。……何を成しても、死人の胸には響かない」
「そう思うなら、お前はどうして復讐を続けている?」
「ぼくは――」
ぼくは途中で言い返すのを止めた。ロバートと腹の内を探り合うのにも飽きた。それも理由の一つだけど、何より口喧嘩をしている場合じゃなくなったから。
窓の外で銃声が響いて、ぼくとロバートは慌てて小屋を出た。
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