二章 オン ザ トレイル

2-1 

 アーサー・グリーン。その出自はボンデスっていう村から始まり、終わった。

公的機関の記録によると、彼は幼少期にボンデスを出てから、そこよりも少し南東にある地方都市のゴルドーで暮らし、青年期になると大学へ通うために首都(コークストン)へとやってきたそうだ。母親が住み込みで勤めていた機織工場の従業員の帳簿と証言もある。住まいの広さと給与額には、母と子の二人で慎ましく暮らしていた様子がうかがえた。

ボンデスはベイカー精神病院やバーキン川があるのと同じ、北部地域にあった。雪こそ滅多に降らないが、暖かい時季でも半袖ではいられない。ぼくの叔父は退役軍人で、遺品からアーサーに送るはずだった手紙を見つけたとかなんとか言って、中身の入っていない封筒を見せると、村役場の職員は住所録を取り出した。しかし、そこにはグリーン家の名前は残っていないって言う。

「モルダーさんに聞いてみたら。当時の登記管理者よ」

「役場で見つからないような情報が、個人の頭の中にあるって?」

「ここでは記録するだけが管理者の仕事じゃないの。彼は委棄された建物や所有権が曖昧な土地なんかの整理も、村長やそのお仲間さんから任されていた。稟議書には……村内の空き地利用効率化のための再分配案とかなんとか書かれていたわね」

「だから、住所録から抜けている記録についても知っていることがあるかも知れない?」

 妙齢の職員は小さな紙に何かを書いて、ぼくに差し出した。

「これがモルダーさんの住所。あなたの探している人が幽霊でないのなら、彼は覚えてる」

 地図の通りに村の外れの牧草地を進むと、森の側に小さな木造小屋を見つけた。軒先に置かれた座椅子の上で、老人が転寝している。

「あの人かな」 アンジェリカを連れ出したのは、その方が相手も警戒を緩めるだろうって考えたから。事情を話すと、爺さんはぼくたちを家に上げてくれた。腰は折れて、足取りもたどたどしいけれど、耄碌しているわけではなさそうだ。

「グリーン。ああ、デレクの息子か。そうだな。確かに、一家はここで暮らしていた」

「どうして役場の帳簿にアーサーの一家の記録が残っていない?」

「デレクは森と牧草地に広い土地を持っていたんだが、一帯の土地が国の開発事業区画に認定されて、大規模な買い上げが行われてな。そのとき、事業を国から請け負っていた〈トラベティック社〉と土地の所有者の間で、……まあ、何だ。いざこざがあったのさ」

「買い上げ価格に納得がいっていなかったとか?」

「値上げを要求していた奴もいたがな。デレクは違った。土地に愛着があったんだよ。息子に継がせたがっていた」

「アーサーは母親と引っ越したらしいけれど」

 妻が頑固な夫に愛想を尽かしたなんていう筋をぼくは想像する。

「最後まで買い上げに応じなかった者たちの土地は接収され、デレクは首を吊った」モルダーは棚から写真の束を取り出て、ぼくたちに渡した。「仲の良い一家だったよ」

 夫と妻とその息子。三人家族の写真を前に、ぼくとアンジェリカは顔を見合わせた。写真の中の子供が若かりし日のアーサーだっていうのは、一先ずおいておこう。ぼくとアンジェリカが目を奪われたのはそっちじゃない。隆々とした筋肉の持ち主。デレク・グリーン。アーサーの父親。間違いない。ぼくもアンジェリカも、彼のことを知っている。

 ベイカー精神病院にいた、あの大男の死体だ。

「一体、どういうこと?」

「あの病院の件に、アーサーも関わっていたのか?」

「何の話だ?」

「首を刈り取られた彼の死体がバーギン川に棄てられたらしい」

「アーサーがバーギン川に?」爺さんはぼくたちから目を逸らし、何か考え始めた。

「思い当たることがあるのか?」

「いいや。驚いただけだ。そうか……。あの子は死んだのか」

 モルダーはぼくの手中の写真を見つめながら沈黙した。

「首を吊ったデレクは、それからどうなったの?」と、アンジェリカ。

「詳しいことは解らん。妻は村の誰も葬儀に呼ばなかった。自殺のことを噂されないよう取り計らったんだろう。夫の尊厳を守るためにな」

「アーサーたちが住んでいた家は……」

「〈トラベティック社〉が土地を買い集めていたのは、地下資源が必要だったからだ。地表には手をつけていない」

「案内してもらうわけにはいかないだろうか」

「デレクの家にアーサーの死因の手がかりがあると?」

「いや。アーサーがどんな奴だったのかを調べているだけだ」

 何より、デレクだ。デレク・グリーン。どうしてアーサーだけでなく、その親父まで出てくる?

「……それなら」と、モルダーは言った。「手を貸せそうだ。家に出入している商人が馬車を持っている。土地勘もある男だ。そいつにデレクの家まで案内させよう」

「お客さんとは珍しいな」

 抱えていた牛乳瓶と食糧が詰まった紙袋をテーブルに置き、ラシュビーは言った。

「森にある小屋のことは知っているな? この二人をそこに連れて行ってやってくれ」

 言いながら、モルダーはラシュビーに硬貨を数枚渡した。

「構わないけど、どうしてそんなところに?」

「ちょっと調べたいことがあるんだ」

 モルダーとラシュビーは互いに目配せをした。したように見えた。

「あんたたちは外の馬車で待っていてくれ。爺さんの荷物を片付けたらすぐに行く」

モルダーの家が配送ルートの終着点なのか、荷台に積荷はほとんどない。そりゃあ、そうか。仕事が残っていれば、ぼくたちの案内なんか引き受けられない。馬車の故障に備えた工具と、掃除用具。そして、スコープ付きのライフル銃。あるのはそれくらいだ。

「この辺りは山賊でも出るのか?」

「そんなものはいないけど、森から熊や猪なんかが畑を荒らしに来ることがあるんだ」

 ラシュビーが手綱を引く。馬車は新たな積荷と共に走り出す。

 トラベティック社。デレクから土地を奪ったその会社は、メルツェルが王立兵器工廠の主任に任命される以前に、社外監督官として出向していた会社だ。あいつが開発事業に関わっていた時期と、アーサーたちの一家が家を追い出された時期は一致している。つまり、二人には部下と上司の関係になる以前から接点があったというわけだ。自分の父親に首を吊らせた男だと知らずに、アーサーはメルツェルの下で働いていたんだとしたら、なんて因果だろう。だけど、ぼくは二人の再会は偶然じゃないって思ってる。

 アーサーは幼い頃から絵を描くのが好きで、近所の町の画廊で値段が付いたこともあるらしい。それに気を良くした両親は、自分の服や酒を切り詰めて息子の画材を買っていたなんて話もモルダーから聞いた。そんなアーサーが、あるとき――というか、父の死んだ日を折りに、絵を書くことから離れて数学にのめり込んだらしい。それが技術者としての地位に繋がったわけだけど、自分の才能に見切りをつけたにしては若過ぎるだろう。しかし、自分の好きなものを放棄してでも成し遂げたいことを見つけたなら。

 例えば、自分から大切なものを全て奪っていった奴を見つけたとしたらどうだろうか。

 ぼくは。ぼくなら。

 これまでの生活を投げ打つことくらい、何でもないことのように思える。

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