1-4
ロバートは予備の拳銃をぼくに投げ渡すと、気を失った軍服を肩に担ぎ上げた。
「どうして死体が突然活性化した?」
「ぼくに聞くな」
ここに運び込まれてからも、呻いたり拘束を解こうともがいたりはしていた死体だが、暴れるにしたって、研究員が押さえつけられる範疇で、怪力を発揮したり、徒党を組んだりなんかはしなかった。
ぼくとロバートは走りながら互いに相手を見る。
「まさか、お前が引き起こしてるんじゃないだろうな」
「ぼくはあんただと思っていたけどな」
迫る死体の群れの中に女が混じって見える。いや、収容された死体には女もあったが、そうじゃない。ぼくは瞼を閉じて目頭を揉む。目を開けると女の姿は消えていた。くそっ。また彼女だ。
「どうした」
「わけを考えてるんだよ。動き出したなら、止め方だってあるかもしれない」
「頭より、手を動かせ」
ロバートは進行方向の死体の頭部を打ち抜いた。しかし、死体の歩みは止まらない。
「白衣の話、聞いてなかったのか」ぼくも銃を構える。「命令信号は腹から出てるって言ってただろう」
ぼくが撃った弾は壁に当たった。ロバートがぼくを見る。
「素人に妙な期待をする方が悪い」
行く手に女。いい加減にしてくれ。死体の影から現れては消え、現れては消える。女を銃弾が射抜く。死体を狙ったロバートの流れ弾だ。女は霧散し、塵となって消えたと思ったら、他の死体の影からまた現れる。
女が口を開いた。死体の合唱の中でも、その口が何を言ったのか、ぼくは聞き逃さなかった。――次は、お前だ。
「そうだ。アーサーはどうだった?」
「あいつが今、何の関係がある」
「アーサーは最初から動いていたわけじゃない。第一発見者は無事だった。動き出したのは運び出されてから……兵士が相席してからだ」
「軍服に反応してるとでも? だがな――」
ぼくは昨日のことを思い出す。会議に使った写真を撮影していたとき、ぼくもロバートも死体の側にいたけれど、死体は何の異変も起こさなかった。死体にとってぼくやロバートは注目に値する相手じゃないってことだ。
「服装じゃない。死体は生きてる奴のことを、もっと細かく分類してる。死体を運んだ馬車の運転手も無事だったんだろう? それに、今の今まであんたもぼくも標的にされなかった。死体が反応する他の要因があるはずなんだ」
昨日、撮影の場にいなかった……いや、この廃墟にほとんど出入りをしていなかった奴。見覚えのない――。
ぼくとロバートは、そろって同じ奴を見た。
尻。じゃない。軍服の尻。尻はもういい。軍服だ。こいつだ。情報が漏れたのは、こいつのせいとは限らないが、少なくともぼくたちが死体に追い駆け回されているのは、こいつのせいに違いない。
「捨てるわけにはいかないのか、それ」
「何を言う」とロバート。上司に対する情けか? 「こいつが本当に裏切り者なら、聞いておきたいことが山ほどある」
「生きて帰れなくちゃ、どのみち知りたいことも知れないぞ」
じわりじわりと迫ってくる死体の群れに銃弾を撃ち込み、ときに蹴りを入れ、ぼくたちは出口を目指した。しかし、これは全く以ってロバートたちの怠慢のせいなのだが、死体の群れは下階から押し寄せているため、中々建物の外に出られない。怠慢とは、死体の管理の仕方を指してる。どうせここはベイカー精神病院の調査が済むまでの仮住まいだからと、持ち込んだ機材の大半を建物の入口付近の部屋に広げやがったんだ。そんなわけで、死体の検査に一・二階を、保管には地下室が使われた。だからぼくたちは、下から押し寄せる死体の群れに、上へ上へと追い詰められている。
「二手に分かれるっていうのはどうだ?」
「却下だ」そうかい。「建物の反対にも階段はある。向こう側なら死体も少ないはずだ」
ロバートを信じてついていくと、肝を冷やす羽目になった。銃撃を受けて近場の部屋に飛び込む。今度は壁に大穴を開けたあの連中の仲間と鉢合わせだ。飛び込んだ部屋の奥には別の通路へと繋がるドアがあった。向こうの様子はどうなってるかなんて考えている暇はない。ぼくとロバートは見つけたドアを蹴り開ける。
案の定、と言うべきか。通路は死体だらけだ。こんな状況になって思うのは、そもそもこれだけの数の死体を集めておく必要があったのかってこと。
死体の群れの奥から大きな物音と肉が潰れる音が近づいてくる。肉が潰れていると解かるのは、それが聞き覚えのある音だからだ。だけど、ベイカー精神病院で死体をミンチにしたアンジェリカはわけ合って、あの怪力を発揮出来ない。 何が来る?
険しい顔になったぼくの隣で、ロバートは緊張を解いた。
「無事だったか」誰のことだ? ぼくはロバートを見る。「本物の輸送隊さ」
現れたのは、牛のロゴマークがついた作業着の女だ。死体を蹴散らし……文字通り蹴散らして、こちらにやって来る。ぼくは思わず銃を構えた。
「業者に頼んだって言っていただろう」
「制服はな。だが、それを着込んでいるのは、王女直轄の近衛兵だ」
その近衛兵とやらの足回りに目が向いた。彼女の足には〈外殻義肢〉が装着されていた。女は〈外殻義肢〉によって増強した脚力で死体を無力化していく。〈外殻義肢〉から生えた鉤爪が壁を掴み、太股辺りから噴出す風が、装着者の身体を持ち上げる。女は天地無関係に駆け回った。
辺りに転がる死体がもう動かなくなったのを確認すると、女はこちらを振り向いた。 直前まで死体を蹴散らしていたとは思えないその穏やかな表情に、ぼくは無意識に他の面影を重ねてしまう。
「……メアリー?」
「いいえ。アルマと申します」
「挨拶はあとだ」とロバート。「状況は?」
違う。ぼくは思わず言いそうになった。あんたのことを呼んだんじゃない。違う。ぼくはアルマの横顔を見ながら、自分に言い聞かせる。彼女はメアリーとは違う。目鼻立ちだって、背丈だって、髪の色だって、全然違うじゃないか。
「わたしたちに扮して荷物を奪取しようとしていた部隊を無力化。搬出作業に立ち会っていた兵士と、荷物。それからその場にいた少女はこちらで保護してます」
アルマと名乗る女性は、ぼくの視線に気づいたみたいにこちらを向いた。
「なんでしょう」
「いや……」ぼくが視線を逸らして返事を思案してると、ロバートが口を開いた。
「屋内の様子は?」
「差し当たって重要な問題が一つ」
「一つ?」とぼく。「随分楽天的だな」
「わたしたちに扮していた襲撃部隊が、建物中に爆弾を仕かけてます」
ぼくとロバートは顔を見合わせて絶句した。
「死体の餌食と瓦礫の下敷き、どっちを選ぶ?」
こんなことなら、ぼくもアンジェリカと一緒に搬出作業の冷やかしでもしてるんだった。
「どちらも回避してみせます」
「心強いな。でも、どうやって?」
答える代わりに、アルマはロバートを担いで窓の外に放り投げた。破られた窓を前に呆然としていたぼくは、アルマに担がれ、自分の運命を察する。
「口を開けたままだと、舌を噛みますよ」
ぼくの返事も待たずに、アルマはぼくを抱えたまま窓から飛び降りた。空に放り出されたぼくは、窓辺から垂れるロープにぶら下がるロバートを見つけた。ロープは自動で伸びて、ゆっくりとロバートたちを地面に下ろしていく。
他人の心配をしている場合ではない。飛び降りて無事でいられるわけがない高さだからこそ、ぼくとロバートには、窓から逃げるなんて選択肢はなかったんだ。それなのに、ぼくとアルマは翼も持たずに地面へと真っ逆さまだ。抱えられているぼくには、どうすることもできない。ぼくの不安をよそに、アルマは冷静だ。「いつからその脚に?」
アルマは思案した。こんなときにする質問じゃないことは、ぼくだって解ってるさ。
「入隊の直後に事故に遭って」
「……そうか」
アルマは〈外殻義肢〉の補助によって、数階分の高さを難なく着地してみせた。安心したのも束の間だった。下から上のフロアへと順に、窓ガラスが吹き飛び。黒煙が巻き上がる。周りの木々を揺らすほどの地鳴りと共に、建物が崩れていく。アルマは覆い被さるようにして、ぼくを飛来する瓦礫から庇った。崩落が収まり、舞っていた塵が静まると、埃塗れでこちらへ歩いてくるロバートの姿が見えた。
「無事らしいな」
「そのようですね」
額に擦り傷を負ったようだが、どうしてその程度で済んだのか、ぼくには不思議でならない。
「態良く始末できたな」
ロバートのその言葉が虚勢かはともかく、確かに死体の合唱は止んでいた。瓦礫の中からは、呻き声一つ聞こえない。
「自分の墓がこんなものだと、生きてる内には考えてもみなかっただろうさ」
ぼくが言うと、ロバートは瓦礫の山を見上げながら「墓、ね」と呟いた。山の頂上には折れた窓の縁が、折れて十字架のように突き刺さっている。
「エワルド!」 アンジェリカの声だ。瓦礫の山を回り込むようにしてやってきた馬車の助手席で手を振っている。「怪我はしてないようだけど……」アンジェリカの視線で、ぼくは自分がアルマに担がれたままだって思い出す。「お荷物だったみたいね」
アルマの仲間が保護した荷物や生存者たちと合流すると、ロバートは部下に被害状況の確認を指示し、ぼくとアルマを馬車の側に呼びつけた。
「お前には、こいつと一緒にコークストン(首都)へ戻ってもらう」
「どうしてぼくが」
「状況報告だ。本部に戻って死体が動き出したわけを、『彼女』に説明しろ」
「あんたがやればいい」
「〈外殻義肢〉は」ロバートが言うと、アルマがぼくを見た。「お前が造ったもんだろう。書類の大半は瓦礫の中だが、それを掘り起こす時間はない」
「ぼくは高説垂れるために、手を貸したんじゃないぞ」
「そう言うと思ってた」
ロバートは担いでいた軍服の男を荷台に放り込むと、研究員から何かを受け取った。
「報告を済ませたら、こいつ(軍服)が何を隠してるのか吐き出させろ。おれとアルマはヨハンが死体を動かして何をする気なのか、突き止める」
「当てがあるのか?」
「まあな」気のない返事をしながら、ロバートはぼくの方に歩み寄った。
「メルツェルの足取りが解かるなら、ぼくも連れて行け」
「おれたちは復讐を手伝うために、お前を牢屋から連れ出したわけじゃない」
ロバートの手中には注射器があった。液体の色を見て、ぼくはアンジェリカの言葉を思い出した。麻酔薬だ。しかし、薬品の正体に気づいたときにはもう遅かった。ぼくの全身が意思とは無関係に弛緩して、倒れそうになったところをアルマに支えられた。
「強引なやり方ですね」とアルマはロバートに言った。
「こいつには前科があるからな。ヨハン憎さで、軍事施設に忍び込むくらいだ」
ロバートはぼくの懐を弄った。内ポケットに何か入れたようだが、感覚がないので正体までは解からない。
「そいつも載せてやれ」
アルマがぼくを荷台に寝かせる。戸が閉められる直前、ロバートはぼくを嘲笑う。
「万一途中で目覚めるようなことがあったとしても、同席者を食ったりするなよ」
荷台の戸が閉まる。向こうでアンジェリカが「何の騒ぎ?」って問い質している。
「疲れが溜まってたんだろう。気を失ったみたいに寝ちまってる」
意識はあるよ。くそっ。勝手なことを言いやがって。
閉じられた戸が叩かれ、それを合図に馬車が走り出す。アンジェリカはさっきの言葉で納得してしまったか。反論しようにも、ぼくの身体は微動だにしない。研究員はきっと、これで信号と筋肉の連動を遮断できるか試すつもりだったんだろう。発信装置の機能を活かしたまま肉体を機能停止できたら、周りに害を及ぼさず発信装置の実験ができるからな。
馬車が進めば進むほど、メルツェルから遠ざかって行く。頭が働く分、そのことが一際歯痒い。麻痺が抜けるのを待つだけなんて。くそっ。ぼくが待つだけの間にも、ロバートたちは先を進んでる。くそっ。悪態さえも、声にできない。
解かっていた。解かっているつもりだった。ロバートがぼくに求めていたのは、ぼくの手足じゃない。頭だ。頭の中にあった〈外殻義肢〉の情報。それだけ。初めから対等に扱うつもりなんてなかった。利用して、用が済んだらお払い箱。
解かっていたのに。人はそういうもんだって。
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