第36話

 コックスが鹿肉を投げ与えます。

 魔獣ではなく、先日普通の森で狩った鹿です。

 恐らく魔境産の肉が残り少ないのでしょう。

 コックスの教わった知識と共に、ムクから伝えられる情報もあります。

 当然それは、コックスも自分の魔犬から得ているでしょう。


 魔境の中で暮らしている魔獣は、空気を吸い水を飲むだけで魔素を得ています。

 だから魔豺なら定期的に魔境産の魔獣肉を食べる必要がありません。

 普通の獣肉で十分大丈夫なのです。

 最初はとても警戒していた魔豺ですが、もうほとんど警戒していません。

 ここまでくれば、コックスなら間違いなく魔豺と絆を結べるでしょう。


「御嬢様、魔豺と絆を結んでください」


 何と、ここまで来て魔豺と絆を私に譲ると言うのですか?

 一番危険で困難な最初の餌付けをしたのはコックスです。

 それを横取りするのは良心が咎めます。

 ですが、命と健康がかかっています。

 それにコックスは我が家の騎士です。


 我が家に忠誠を誓う騎士の働きに対しては、どう報いるべきか?

 コックスの好意に素直に応じるべきなのか?

 それともコックスの働きはコックスに与えるべきなのか?

 何よりもこの状況をどう判断すべきかのかもわかりません。

 ここはリリアンに助言をもらうべきでしょう。


「リリアン。

 コックスが五頭の魔豺を手懐けました。

 ですが自分で絆を結ばず私に譲ると、銀狼達を通じて伝えてきました。

 どうすべきだと思いますか?」


「僅かでも御嬢様を危険に晒すわけにはいきません。

 最初にムクを送りましょう。

 銀狼達の時のように、眷属にできるのならそれが一番です。

 ムクの眷属にできないのでしたら、護衛を引き連れて参りましょう」


 リリアンの言う事がもっともです。

 卑怯だと言う人がいるかもしれませんが、私の命は大切にしなければいけません。

 シーモア公爵家令嬢が死ぬという事は、国内にいらぬ混乱を巻き起こします。

 それ以上に、父上様と母上様を哀しませてしまいます。

 前世で親不孝をしてしまっています。


 今生でまでこれ以上の親不孝をするわけにはいきません。

 それに、王太子殿下も哀しんでくださるでしょう。

 今生ではまだ王太子殿下に嫌われていません。

 スカーレット嬢も王太子殿下に近づけないでいます。

 自分から別れを切り出しておいて卑怯未練なようですが、死にたくないのです。


「分かりました。

 ムク、行ってくれますか?

 魔豺達を眷属にしてください。

 無理ならば、私を呼ぶか、魔豺達をここに連れてきてください」

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