第120話 聖女様はふと疑問に思います

 翌日の全体会議は阿鼻叫喚の有り様だった。


 二週間の“休暇”を終えて、リフレッシュして帰って来た管区長級の司教たち。

 あと一週間は議決で手をあげるだけのぬるい業務で、徐々に仕事モードへリハビリするつもりだったのが……。

 まさかの選挙戦管理の応援要員に。


 王都の住民台帳を作りながら選挙の趣旨を説明してまわるのに、当然ながら膨大な数の実働部隊が必要になる。

 地域の事情に詳しい役人と主催者であるゴートランド教の神官がセットで派遣されるが、教皇庁とて選挙管理委員会と現教皇の支援者をやるから人間が余っているわけではない。

 結果、いま余っている神官と言えば……。


「教皇選!? なぜいきなり!?」

「我々が投票するのではなくて!? 係員のほう!?」

「わ、私どもがビネージュ王国の役人について回るのですか⁉」

 会議の参加者たちはいきなり部下ともども王都中を歩き回れと指令を受け、驚愕の叫びをあげる者が続出した。




「怨嗟の声が執務室ここまで聞こえて来そうだな」

 教皇の言葉に、シスター・ナタリアがこっくり頷く。

「皆さんビックリなさっていましたからね」

 実際はそんな簡単な言葉で済むようなレベルではない。

「普段そんなに運動していない人たちが、一週間ぐらいは一日中歩き回るわけですからね……ウォーレスさんみたいになるのかしら」

 どこかピント外れなナタリアの感想に、教皇が遠い目をする。

「ウォーレスか……惜しい男を亡くした……」

「いや、まだ死んでないから」

 しみじみ呟く教皇に、珍しくココの方がツッコんだ。


 昨日のあの騒ぎの後、教皇秘書は倒れてしまった。

 二か月近い不眠不休の仕事ぶりに心労と会議の失敗のショックが重なり、気力が抜けて倒れかかり……と言うわけだ。

「でもまあ若いんだし、一日たっぷり寝れば気力も戻るだろう」

 ウォーレスは三十五歳。

 平均寿命が五十歳ぐらいなので、若いというにはちょっと苦しい。


 ココの呑気な診立てにナタリアが首を傾げる。

「いや、ウォーレスさんが寝込んだのって……ココ様が張り切って按摩してふんであげた結果の、酷い揉み返しのせいでは?」

「む? 私のせい?」


 倒れたウォーレスを見舞った時に、ココは慰労を込めてちょっとマッサージをしてあげた。

 疲労が溜まって体中バキバキになっていた様子だったので、うつぶせに寝ている秘書をココが踏んであげたのだ。

 肩から足の裏まで満遍なく、念入りに。

 子供のかかとはコリに効く。

 たぶん。


 本人も濁音の混じった恍惚の呻きをあげていたから気持ち良かったんだろうと思うのだけど、一晩経ったら逆に全身筋肉痛で動けなくなっていたらしい。

 でも、まあ……。

「美少女に一時間たっぷり踏まれたんだ。昇天するのも無理はない」

「そういうたぐいの話では……」




「しかしヴァルケンのヤツ……現場の恨みも反発も、何にも気にした様子が無いのう。昔から唯我独尊なヤツじゃったが」

 教皇ケイオス七世……ゴートランドのトニオから見て、ヴァルケン大司教の一番の問題点はそこだと思う。


 人情が無い。


 もちろん政治家なんてヒトデナシでないとできない仕事なのだが、下の人間が何を思うのか、そこを理解していないと統治はできないと思っている。

 元よりスカーレット大聖堂は理念で人を縛る性格が強いが……ヤツが大司教になってから、柔軟性が全く無くなった気がする。


「スカーレット大聖堂はなぁ……」

 かの大司教は最も敵対している政敵ライバルであるから、お互いよく思っていないのは認める。

 だけど、それだけではない。

 ゴートランド教全体のトップ・教皇として、独自路線に固執するスカーレット派、特に長としてのヴァルケンに苦々しい思いもある。

「長い間に教条主義に凝り固まって、もはや自分でも身動き取れなくなってしまっていると思うが……そこに何の疑問も持たずにはまり込んでいるのがあの男よ」 


 良くない。

 スカーレット大聖堂は原則論に盲従するのを当たり前にし過ぎた。

 もう上意下達に無条件に従う、ただの独裁制になってしまっている。


「なるほどな」

 教皇の独白に、分かったような顔で横の聖女が頷いている。

「……儂の言っておること、本当に分かっとるのか?」

「うむ」

 聖女の理解力に懐疑的な教皇に、自信満々でココがドヤ顔を見せた。

「つまり、私が丁寧に踏んでやればいいんだろう?」

「おぬしが踏みにじるのか……揉み返しが凄いことになりそうじゃな」



   ◆



 スカーレット派が宿舎に使う東の宮殿では、ヴァルケン大司教が上機嫌で作戦会議を進めていた。


 ここまでは目論見通りに事態が動いている。

「ゴートランド派もまさか市民による選挙になるとは思わなかったでしょうな」

 ネブガルド宣教部長の言葉に頷くヴァルケンは謹厳な表情を保ってはいるが……口元は抑えられない笑みで歪んでいる。

「聖職者の投票にしてしまっては、どうせ自分の派閥にしか票を投じないからな」


 そんなことは初めから分かっている。

 だからヴァルケンは奇策として、直接の関係者ではない市民選挙を望んだのだ。

「民にとってヤツは上司ではない。むしろ普段の教会運営に怠惰な所があれば、その不平不満がこの選挙で全てトニオへの抗議票として上がってくる」

 ゴートランド派がいまいちお役所仕事的な対応なのは調査済みだ。

 選挙で教団が二分される中、教皇が市民に圧迫を加えて黙らせることはできない。ここで日頃の行いが牙を剥く。


「ふふふ、いまさら取り繕いようなどないぞ? 今頃狼狽えておるであろうて」

「そこへ大司教猊下が市民の味方として教会の改革を訴えれば……教皇も足元にさえ立つ瀬が残っていないことを理解するでしょうな」

 上司に追従したネブガルド司教は含み笑いをすると、待機する部下たちへ顔を向けた。

の準備は整っているな?」

「はい」

 スカーレット大聖堂宣教部の司祭たちは、この時の為にゴートランドへ代表団が着く前から準備を進めて来ていた。

「下町の住民が集まりやすいポイントは把握しております。パンを配り演説会に人を集め、大司教猊下や聖女様に演説をしていただきます」

「うむ」

 ネブガルドが満足げに頷き、ヴァルケンへ補足の説明をする。

「我々の計画の肝は、市民の扱いに差を付けなかったことです」

 ギルド幹部の富豪であろうと、その日暮らしの下町の住民であろうと一票は一票。

「どうせ上流階級はゴートランド派と関係が深い。ですので初めから上層の民はの対象から切り捨てます。代わりに既得権益層に不満を溜める下層民に、上流階級と癒着するゴートランド派の批判を吹き込みます」

「人数は下町の住民の方が圧倒的に多い。一人一票ならば……上手い手だ、ネブガルド」

「ははっ」

 ヴァルケンは椅子をきしませて背もたれに身を預けると、既に勝ちを確信した笑みで手をこすり合わせた。

「トニオの泣きっ面が今から楽しみだ……フハハハハハ!」



   ◆



「そういえばさあ」

 何かを思いついたココが教皇の机に来た。

「あの娘の確認に使ったあの面白い紙、まだあるか?」

「誓詞か? 真面目な法具じゃぞ? 面白いとか言うな」

 ココの時も使った、聖心力の保有量を調べる書付。

 真の聖女を名乗るからには、当然この聖句を書き記した書面で確認を行ったのだが……。

「予備は残っているが……コレが何だ?」

 意図が読めず首を傾げる教皇に、ココは受け取った紙を突き出した。

「ちょっと、やってみ?」

「儂がか!?」

 ココが聞いている話だと、修行を積んだ偉い神官はみんな聖心力を出せるとか言う話だった……はず……たしか。

「少しは出るんだろ? このあいだウォーレスが出してたぞ、聖心力」

「当たり前じゃ! 儂は教皇じゃぞ!」

 “どうせ大したこと無いんだろ”みたいに言われ、額に青筋を立てた教皇が紙をひったくった。

「見ておれ!」

 教皇が机に敷いた紙に手を乗せ、なにやら口の中で唱えると。


 誓詞の色が変わり、紙の上から青白い光が吹き上がる。

 その量はココにはとてもかなわないものの、確かに火柱が立つほどには多かった。


 初めて見るナタリアがその様子に感心する。

「ふわー、ココ様から話には聞いていましたけど……教皇聖下でも出せるんですね、聖心力」

「だから、儂は教皇だぞ!? 神官として一番上なんじゃからな⁉」

 見るのが三回目のココもコメント。

「だらしないな、呪文ぐらい唱えずに出して見せろ」

「無詠唱ができるのはおぬしくらいじゃ!」


 プンプン怒るうるさい教皇ジジイを放っておいて、ココは今見た光景と昨日のそれを頭の中で比べてみた。

「なあ、ジジイ……」

「なんじゃ?」


 一緒に並べていないから、正確な所は何とも言えないけれど……。


「あのフローラとか言う聖女より……ジジイの方が聖心力、多くないか?」

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