第5章 教皇聖下には事情があります
第93話 聖女様は見えない障壁に悩まされます
教団に拾われるまでストリートチルドレンだった生い立ちから、ココは一部の人間から無学だとか文盲だとか思われていることがしばしばある。
実際には六歳で拾われて勉強を習い始めているので、ひどく遅れているというほどではない。読み書きは普通にできるし、計算などは同い年の富裕層の子女よりも理解が深いと言ってもいい。苦手教科があるにはあるけれど、それはどこの子供でも同じ話ではある。
じゃあ、なぜ未だにそんな先入観が消えないかというと。
「ココ様! 聖女が聖典をちゃんと覚えていないとか、信徒に知られたらまずいんですよ!? ちゃんと課題範囲を覚えてください!」
「うええ……なにが悲しくてトンデモ昔ばなしなんか丸暗記しなくちゃならないんだ。必要な時に朗読すりゃいいじゃないか。その為の紙の本だろう」
「女神様の秘蹟を“トンデモ昔ばなし”とか言わないで下さい! お立場を考えて下さいよ、あなたは聖女なんですからね!?」
「めんどくさいなあ……」
聖女様の苦手な科目が、
◆
日当がかかっている為、割りとまじめに仕事はするココ。
ただ本人的に“楽な仕事”と“疲れる仕事”とあって、きつい作業の時には休憩をしばしば入れたがる。
今日もそんな仕事の一つで、ココは午後に入って二度目の休憩を取っていた。
「あー、これ、目に来るわ……」
やる気なさそうに椅子の背もたれに身体を預け、ぷらぷら腕を振る。
「なんで会ったことも無いヤツの任命状なんか書かなくちゃならないんだ」
「それが聖女様の仕事ですから。だいたい、ココ様が書くのはサインだけじゃないですか」
「だから、それがきついんだってば。一発書きで失敗できないんだぞ」
この手の書類は教皇庁で本文を書いてから、教皇と聖女に署名の依頼が来る。
「そもそも、そのサインがな……本人がこれを“ココ・スパイス”だなんて読めない代物だぞ? デザインばかり凝ってて何書いてあるんだか分からないし、私が書かなくたって文書課のヤツが流れで書いちゃえばいいのでは? 」
「気持ちの問題ですよ、こういうのは。受け取る方も教皇聖下と聖女様がわざわざ自筆で書いてくれたんだって、感動するじゃないですか」
したり顔のナタリアが説明するのを半眼で見ていた聖女様は、手元の試し書き用の白紙にサラサラと何か書く。
「はい、これナッツにあげる」
「はい?」
いきなり何をくれたのか。
ナタリアが見てみると、。
“任命状
シスター・ナタリア殿
聖女に対しマルグレード女子修道院長より呼び出しがあった際の
全責任を負う代理人として、修道院長との面談に臨む“叱られ係”
に任命します。
第四十三代聖女 ココ・スパイス ”
全権ではなく、全責任。
「全文が聖女様の肉筆だぞ? 末代まで有難く思え」
「イヤァァァァアアアアッ!?」
お付きをからかってリフレッシュしたココは、またペンを取ってツラいルーチンワークに戻った。
一枚書いて、ふと手を止める。
「……自筆で書いてもらうのが嬉しい、か……」
◆
あくる日。
何やら機嫌が良い聖女様が、ナタリアに一枚の紙を見せて来た。
「どうだ、ナッツ。画期的な物を思いついた!」
「なんです?」
(どうせロクでもないものなんだろうな……)
ナタリアはそう半分確信しながら、手渡された紙を読んでみる。
書かれている文章の半分は聖典の中から拾ってきた、それっぽい聖句のようだ。
残りの半分は何やら格調高くもってまわった言葉で……。
「……えーと。あなたの自覚した罪を許します、という意味でいいんでしょうか?」
「そう! その通り!」
鼻高々の聖女様が偉そうに頷く。
「まもなくお迎えだけど自分には魂の救済があるのか、焦りと罪悪感に苦しむ人に『神はあなたを許してますよ』と諭してやる聖女様からのお手紙! これ絶対に売れると思うんだ!」
聖女にしか作れない、素晴らしいアイデア商品!
……を、物凄く胡散臭そうに見ているナタリアにココが唇を尖らせる。
「なんだ、ナッツ。何か問題があるのか?」
「問題しかないと思うんですけど」
ナタリアが気になったことを指摘した。
「これ、女神様が罪を許すって……犯罪を助長するような物じゃないですか」
「犯罪は現世の法で裁くわ。“罪”って言うのは『あれこれやらかした自覚があるから、善人と認められなくて地獄行きじゃないか』……そう不安になっているヤツの持ってる罪悪感のことだ。そういうヤツに、『大丈夫ですよ、そう自分でちゃんと分かっているんだから、女神様はお許しになられますよ』って慰めてやるお手紙だ」
ココが細かく説明してやったが、ナタリアはまだジトーッと見ている。
「勝手に保証して、女神様は本当に許してくれるんですか?」
「よく読め。女神の保証があるなんてどこにも書いてないだろ」
「えっ?」
もう一回頭から読み直しているナタリアに、悪い笑顔のココが指摘した。
「『きっと女神様もわかってくれるよ!』って慰めているだけだ。女神が必ず許すなんて確約はしてない」
「……これ、何の意味もない証文じゃないですか!? まずいですよ! そんなつもりじゃないなんて言ったって、聖女様が言えばもらった方は確実だって受け取りますよ!?」
聖女の黒い笑顔はそのままだ。
「そこが狙い目よ。それっぽいけど、中身はまあ告解を受けたのと同レベルなんだ。でも聖女に懺悔したようなものだから霊験あらたかに感じるだろ? きっと売れるぞ!」
「なんてずるい物を考えるんですか!? ……ていうか、普段は全然聖典を読みもしないくせに、なんでこんな時ばかり知識を縦横に駆使しているんですか……」
「それはもちろん」
額を押さえて呻く
「金の匂いがしたからだ」
「もうやだ、こんな聖女様!」
◆
しかし、ココの画期的な新商品は日の目を見ることは無かった。
発売するのに楽に量産する手段を考え、手書きを止めて印刷物にするかと版木を彫っているところを見つかったのだ……ウォーレスに。
教皇秘書に呼び出されて、ココは説教を受けていた。
「困りますよ、こういう物を作られては!」
「なんでだ。やってることは懺悔と大して変わらないだろ」
「そういう問題ではありません! 聖女が自らこういう商売に乗り出すのがまずいんです!」
教団のイメージ的に良くないらしい。
「いいじゃないか、絶対金になるって」
「金の臭いがするからよくないんですよ!」
(ウォーレスも頭が固いなあ)
ココがそう思ったところへ。
「ブレマートン派の縄張りを荒らしちゃうじゃないですか!」
「…………はい?」
◆
ゴートランド教団は聖女と教皇を頂点とし、教皇庁を組織の中心に大陸全土へ広がっている。
本拠地はご存知ゴートランド大聖堂で、教皇はゴートランド大司教を兼ねている(というかゴートランド大司教が筆頭大司教として教団全体のイニシアティブをとっているので、付いている別称が教皇)。
しかし組織の規模が大きすぎて、一か所で大陸全土の教会を管理はできない。
そのため教団は教皇の下に地域を統括する三人の大司教を置き(うち一人は教皇が兼任)、その下に中間管理職の司教が配されているピラミッド型の組織になっている。
大司教座がある三つの大聖堂が大陸全体をだいたい三分割して、その下で地方ごとに聖堂が置かれて末端の教会を治める。そういう図式だ。
……なのだが、その三か所の大聖堂は置かれている地域の特性もあり、それぞれ持っている気風が違っていた。
一般的には、
現実主義のゴートランド。
功利主義のブレマートン。
原点主義のスカーレット。
と言われている。
あるいはそれぞれの性格を表す蔑称として、
政教癒着のゴートランド。
拝金主義のブレマートン。
動脈硬化のスカーレット。
の方が教団内部では通りがいいかもしれない。
◆
「そのブレマートン派を刺激しちゃうんで、こういう物を聖女が作っちゃうのは止めて下さい」
真顔で教皇秘書に言われ、聖女様は……先日のナタリアと同じような顔になった。
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