第94話 聖女様は違う方向へ舵を切ります

「まったく、なんなんだ……」

 聖女様の考え付いた素晴らしい商品は売らせてもらえなかった。

 そういう関連商品の開発はブレマートン大聖堂が主に担っているらしく、聖女と言えども勝手に売り出してはいけないらしい。



   ◆



 ココは一応ウォーレスに抵抗はした。

「でも、こういう物を信徒に売りつけているなんて聞いたことがないぞ!? 類似品が無いのだったら、私が一番乗りして何が悪い。絶対よく売れるって!」

「ええ、それはわかりました。私から見ましても、功徳を金で買えると思ってそうな金持ちに声をかければすごく売れそうな気がします」

「だろー?」

 ウォーレスが、より深刻な顔で額を押さえた。

まずいんです。私でさえ儲かるなんて思ったなんて……あいつら、次々派生商品を開発してどこまで売り広げるか……」

 頭痛の方向性が違った。


 ウォーレスがココを見据えた。

「いいですか、聖女様……ブレマートン派の連中を教皇庁の神官たちと同じに考えてはいけません」

「……同じゴートランド教なんだよな?」

「教団数百年の歴史の間に、連絡の悪さが祟って各地の組織のローカライズが進んでしまった時代があったんですよ。教義を統一しなおすのに何十年もかかってます」

 いつもトボケた笑いを浮かべているウォーレスが、珍しくうんざりした表情を表に出している。

「私、一度出張でブレマートン大聖堂の記念ミサに参加したことがあるんです」

「それが?」

「信徒を迎え入れる前の……最終ブリーフィングの開始直後に司会が何と言ったと思います?」

 言われてココはゴートランド大聖堂のそれを思い浮かべた。

「『ミスするな』とか、『感動的な式の演出を』とかだよな? あとは他に言いようないだろ?」


「『今日の売り上げ目標は』です」


 ココは目の前で頭を押さえている司祭に一言いう前に、ティーカップに半分残っていたお茶を飲み干した。冷めてる。

「なあウォーレス。おまえ寝ぼけて商売神シャイロの神殿で決起集会に参加してたんじゃないのか?」

「だったらどんなに良かったか……」

 ココも言ってみただけ。本気じゃない。

「想像を絶する連中みたいだな」

「ブレマートン大聖堂の所在地は大陸最大の自由商業都市、エバーレーンです。元々は大聖堂の門前町として発達したギルド都市なんですが……周辺出身者が入信者の大多数になる性格上、今では自然と立場が逆転して市民の性格が大聖堂の気風になりまして」

「教団の人事、かき混ぜてないのか?」

 ゴートランド教団の規模なら、しょっちゅう人事異動が発生していそうなものだが……。

 ウォーレスが首を横に振った。

「大聖堂が同格だった時代も長かったので、各大聖堂は気持ち的に半分独立しているんです。はっきり言って女神様を中心にした同君連合に近い。上級神職キャリアの他大聖堂への異動はまずありません」

「それで、同じ神様拝んでると思えないような組織になっちゃってると」

「教皇聖下も気にしていて、組織の統一を進めようとしているんですが……」

「人望が無くてできないと」

「ブレマートンとスカーレットは、ゴートランドによる主導権目当てマウンティングだと捉えているんです」

 聖女様の入れたチャチャを全くスルーした教皇秘書は、立ち上がりながらココにしつこく念押しした。

「というわけで、聖女様の考えた“免罪の証文”は変なところに火をつけかねません。いいですか? 寝ている銭ゲバを美味しそうな匂いで起こすことが無いように! くれぐれもよろしく! お願いしますね!」



   ◆



「というわけで、怠惰な金持ちから余剰所得を喜捨してもらう手はダメだった」

「物は言いようですね」

 ウォーレスに相手にされなかったココは自分の部屋で、またナタリアを相手にぶつぶつ不平をこぼしていた。


 もっとも、ナタリアに愚痴っていたって稼ぎにはつながらない。

 それぐらいはココもわかっているので、方針を変更して別の手を考えていた。

「そこで、コレだ!」

 ココは試しに書いた原稿の束をナタリアに渡した。

「なんです? これ」

「子供向けに直した聖典の一部だ。ほら、聖典てカッコつけてまわりくどい表現で書いてあるから子供には読みにくいだろ?」

「美文調と言ってください」

 注意しつつも、ナタリアはココに渡された原稿をめくって目を見開く。

 ココが書き直した聖典は、平易で子供にも理解しやすい単語を選んで表現を直してあった。歌うような聖句の響きは失われているけれども、知らない子供に内容を伝えるなら……なるほど、分かりやすい。

「金持ちが子供の教育用に買ってくれると踏んでいるんだ」

「ああ!」

 先日はケチばかりつけていたナタリアも、これは素直に感心した。

「富裕層の教育用とは着眼点がいいですね!」

「そうだろう? 売り出すなら聖典丸々一冊じゃなくて、安価で子供が持ちやすい重さになるように分冊も考えてる」

「これなら覚えやすそうですし、女神様の為にもなりそうですね!」

「うむ!」

 ナタリアの称賛に気を良くしたココが頷く。


「上流階層は子供の教育にはいくらでも金をつぎ込むからな」

「ええ、まあ……」

 あけすけなココの発言に若干引いてしまうナタリア。


「そして見栄っ張りだから、“小さい頃から聖典を理解できる子に”なんて言われると虚栄心をくすぐられること間違いなし!」

「そう言い切っちゃうのも、どうかと……」

 確かにそれはわかるんだけど、素直に認めがたいナタリア。


「おまけに分冊して立派な装丁をすれば何冊も買うことになるから、聖典一冊分の合計額で考えると金額が跳ね上がるって寸法だ!」

「ココ様……結局はそこに行くんですね……」

 聖女様の本音を聞かされ、ガックリうな垂れるナタリア。


 そんなナタリアをココは不思議そうに見つめた。

「むしろそれこそが私だろう。違うか?」

「……そういえば、そうでした」



   ◆



 本を量産するのに、神学生を借りて書写をやらせようとココがウォーレスを訪ねたら……止められた。

「いやあ、ちょっと待ってください」

 ウォーレスがココの持ってきた見本を見てこめかみを押さえている。

「どうした? 別におかしな物じゃないぞ」

「ええ、それはわかるんですが……」

 ウォーレスが原稿を机に置いて文字列を指し示した。

「これ、分かりやすくって意図はわかるんですが……元の文章を聖女様が訳されてますよね?」

「そりゃそうだ。それが売りなんだから。それが?」

「聖典の語句をいじる際は、三派合同の編纂会議で承諾が必要なんです」

 憮然とした顔で黙り込むココに、ウォーレスが細かい事情を説明した。




 先日の“聖女の免罪符”の一件でウォーレスが触れたとおり、ゴートランド教団では一度バラバラになった教義を統一したものにするために莫大な時間を費やした。

 それは方針から細かい施策、教義の解釈から条文の一致まで多岐にわたる。

 各派の意見を一致させて統一基準を作るまでに、実に何十年もの歳月が費やされた。

 もちろんその中には、一番大事な女神のお言葉「聖典」も含まれているわけで……。


「ですので、個人訳はほぼ確実に認められませんよ」

「じゃあ、公式なルートじゃなくて私が個人的に有志の本どうじんしとして売ればいいのか?」

「“聖女”が“個人的”に“聖典”を売るなんて理屈が通ると思ってますか?」

「だめなのか?」

「そんな基本的な事を真顔で聞かないで下さいよ」




 床に手をついているココを尻目に、ウォーレスが“幼児版聖典”をめくる。

「発想はいいと思うんですけどね……聖句は一字一句まで管理されてますから。特にスカーレット派は認めないだろうなあ」

「そいつらはどういう連中なんだ? ブレマートン派とはまた毛色が違うんだろ?」

「そうですね……簡単に言えば“原則主義の石頭”ですかねえ」


 大陸でも古い歴史を持つクレムト王国に置かれているスカーレット大聖堂は、古い歴史と蓄積された知識から学究肌の一派として知られている。

 したがって神学の研究では他派の追随を許さず、修行や教団の運営についてもストイックな姿勢で臨んでいる。

 超世俗派のブレマートン派に対して、超清貧派とも……。

「なーんて言えば聞こえはいいんですが」

 ウォーレスはブレマートン派について語る時とは、別種のうんざりした顔を見せている。

「物事を考えるのに、現実や人情よりも前例と条文を優先する連中です。とにかく融通が効きません。現状に合わなくても『過去の事例ではこう書いてある』ですからね。自分の経験談ではなく“資料にあるから”、なんですよ」

「そいつらどこの役人だ」

「もちろん彼らは、ゴートランド教団だ! って自慢気に言うでしょうね」

 ウォーレスが肩を竦めた。

「彼らのその融通の利かなさですが……自分たちこそがゴートランド教の本家だってプライドが根底にあるんです」

「本家?」

 意味が判らず訊き返したココに、ウォーレスはゆっくり頷いて見せた。

「ええ。スカーレット大聖堂は、ゴートランド教の発祥の地なんです」

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