第91話 王子様は安らぎを覚えます

 王太子がゴートランド大聖堂を訪ねるのも久しぶりの事だった。

 教皇庁高官の出迎えを受ける様子は、既に次期国王の風格が漂っていた……などと噂の速い乙女たちは盛り上がっていたが、当たり前のように修道院に潜り込んできた王子様はいつもと変わらないように見えた。


 いまだゴタゴタの続く宮廷で、セシル王子は王弟派の解体と処分で忙しい。

 ラグロス公爵の起こした事件は政争として考えても犯罪として考えても完全にアウトだったが、派閥の全ての貴族が関係していたわけではない。

 陰謀にどの程度関与していたのか。

 どれだけ熱心な支持者だったのか。

 その辺りも見極めないと、軽々しく処罰は下せない。これは騎士団についても言えることだった。


 また逆に、最後にちょっとセシルの味方をしただけの者をどう遇するかの問題もある。

 助かったのは事実だが、彼らの功績が大きいかというと疑問が残る。長年の忠臣みたいな顔をして勝者の権利を要求するのは暴利すぎだろう。

 かといって何もしなかった傍観者とは扱いを一緒にはできない。


 賞罰を決めなければならない王子には、いろいろさじ加減が難しい所だった。




「まあでも、やつらも今回に限っては大人しいものだな」

 茶を飲みながらセシルはそう話し、笑いながらカップを置いた。

(もう全然忍んでないよな、このアホ)

 男子禁制の女子修道院へこっそり潜入している筈なのに、住人と堂々お茶会を楽しんでいる王子様。

 次期国王の風格とやらはさっぱり感じ取れないが、この部屋の主みたいな風格はある気がする。

(王太子が放っているのが、“女子修道院の牢名主の風格”かあ……)

 などと、部屋の本来の主はジト目で眺めながらぼんやり考えた。


「どうしたココ? 聞いているか?」

「ん? ああ、すまんすまん」

 いつの間にかカップが空になっていたので、ナタリアにお替りを注いでもらって聞き直す。

「なんで今回は大人しいんだ?」

 何気なく聞き返したら、セシルに意味ありげに笑い返された。気持ち悪い。

「おまえのおかげだよ」

「私?」

「最後に叔父上をしばき倒しながら、居合わせた連中に啖呵を切ったろう。あれのおかげで貴族ども、褒賞を寄越せと調子に乗って騒ぎ立てるのを自粛しているんだ」


 政争に乗っかる貴族たちは皆が皆、純粋なそっちの派閥の支持者というわけではない。

 むしろ大体は、を期待して勝ち馬に乗りたいだけの連中だ。そういうのに限って大勢が決した後に功績をアピールして、嬉々として過分なご褒美を取り立てに来る。

 白々しいうえにうっとおしい。

 かといって味方したものを冷遇したら、次のピンチで誰も肩を持ってくれなくなる。ヤツらもそれを見越しての強請りたかりなわけだが……。

「屁理屈がまかり通ると信じて来たヤツらに、アレは強烈なインパクトだっただろうよ」

 

 王弟を踏みつけながらの「覚悟しろ」宣言。


 ココの「気に食わなかったら、ぶん殴る」という丁寧な挨拶は、ぬるいゲームルールに浸りきった貴族たちを震え上がらせた。


 自分たちの常識が通用しない。

 そしてその常識外のヤツの方が、自分たちより絶対的優位に立っている。


 華麗な宮廷で世界を左右する権勢を振るってきたつもりが、外の荒波の中では井の中の蛙であったと思い知らされて……王宮を今出入りしている貴族たちは勝ち組のはずなのに、顔色を失って委縮しているという。

「ヤツらは自分たちの動向なんかに左右されず、あらゆる障害を叩き潰して進む聖女様のお姿によほどに感銘を受けたらしい」

 間違いなく事態の収拾に功績一番だったブルックス侯爵が遠慮している。

 そうなると他の者も手柄を主張しにくいし、現場でココの活躍を見ていた連中はそれ以前に……王子に目をつけられたくなくて口をつぐんでいるそうだ。


 急にセシルが口振りを変えた。にやにや笑いながら、からかうように聞いてくる。

「俺の最新のあだ名、わかるか?」

「変態王子以外にか?」

 セシルに訊かれてココはちょっと考えた。

 急に聞かれても、パッとは出てこない。

「ストーキング・プリンス……女子修道院の帝王……天下無敵の下半身無節操男……視線だけで修道女も妊娠させる人外イケメンインキュバス……すまん、なかなかしっくりするのが出てこない」

「おまえのイメージで新たに付けてくれって頼んでいるんじゃない」


 セシルにつけられた、最新のあだ名は。

「“猛獣使い”だ」

「猛獣使い?」

 どういう意味だか分からず首をかしげるココに、余計に笑みが深くなるセシル。ココが横を見たら、ナタリアもうんざりした顔をしている。

「なんだよ、おまえら」

「聖女という暴風雨みたいな猛獣を手名付けているから、猛獣使いなんだそうだ」

「はぁっ?」

「やはり叔父上を王弟と分かったうえでリンチしたのが大きかったな。世間一般の感覚では王族なんて、殺したいほど憎んでいても“いたぶる”という発想は出てこない」

 むしろ、王族を暗殺するなら覚悟を決めて一撃でやってしまう。

 ココのようにトドメもささずに有力者をしばき倒すのは、自分を止められる者がいないと確信していないとできることじゃない。

 これは明らかに、下から見上げる人間の発想ではない。

「国家権力の大半を手中に収めていた公爵を、おまえは格下のようにどつき回したんだ。“聖女に身分は通じない”って、あれほど実感させられるデモンストレーションは無かっただろうな」

「ふむ」

 いまいち褒められている気はしないが……。

「つまり私は、女神の御威光を世に知らしめたということかな」

「そう解釈できる根拠が今の話のどこにもないぞ、ココ。おまえが理外にムチャクチャだという話だ」

 まるで非常識人みたいに言われて、ココはムッとして頬を膨らませた。



   ◆



 お茶も飲み終わり、セシルが清々したというように大きく伸びをした。

「なんにせよ、今回は本当に助かった。これで枕を高くして寝られるよ。ありがとうココ」

「おまえが素直に言うなんて気持ち悪いな」

「ハハハ。……そう言えば、来るときに気になったんだが」

 王子が周りを見回した。

「なんだか修道院の中が浮ついてないか? 妙に明るくなっているというか。何か祝い事でもあったのか?」

「ん? そんなものは別にないぞ」

 ココも最後の一口を飲み終わった。

「ただ単に修道院長シスター・ベロニカが不在がちというだけだ。最近日中は大聖堂に出かけていることが多くてな」

「ああ……」


 今、シスター・ベロニカは特に頼まれて教皇庁で新人の指導を行っている。

 具体的に言えば、未決囚として預けられたラグロス元公爵の修道士体験修行を監督している。

「おまえの叔父貴も骨があるというか、融通が利かないというか……早いところ無駄なプライドを捨てて、靴を舐める心意気を示せば楽になれるのにな」

「相当な物らしいな、シスター・ベロニカのお説教は」

 人に頭を下げたことなどほとんどない公爵はわからないのだ。

 世の中には、じゃじゃ馬を躾けることが楽しみな人種がいることに。

 彼はまだ、性根が叩き直されるまではセシルが引き取りに来るつもりがないことを知らない。

「昼間思う存分“教育”をしているせいか、最近は夜も院長の機嫌が良くてな。おかげでこっちは助かってる」

「おまえの所も大概だな」




 マントを羽織りかけたセシルが、はたと立ち止まった。

「そうか……じゃあまだ、あとしばらくは院長が帰って来ないんだな」

「……そうだが?」

 王子が何を思いついたのか、一度手に取ったマントと剣を下した。

 そして。


「おい、こら!? セシル、何をする!?」

 セシルがいきなり、小柄なココの身体を背後から抱き上げた。

 美貌の王子様はココをぬいぐるみ抱っこしたまま、ココのベッドにダイブ。聖女様を後ろ抱きにしたまま横になると、ココの背中に顔を押し付けた。

「ちょうどいいや。すまないが軽く寝かせてくれ」

「はあっ!? ちょっ、おまえ何をバカ言ってるんだ! ここは女子修道院で、これは私のベッドだぞ!? 女のベッドに勝手に乗るなんて、おまえには常識が無いのか!」

「ココに常識を語られるとかな……頼むよ。おまえを抱きかかえていると、温かくて心地よく眠気がくるんだ」

「私は抱き枕か!? しかもさり気に幼児扱いしたな!?」

 頭にきたココがセシルを殴ろうとするが、後ろからしがみつかれているのでうまくいかない。

「このっ、おいっ! ……そもそも普通は前から抱き着くものじゃないのか!?」

「おまえの肉付きだと、前も後ろも変わらないだろう」

「殺す! おまえは絶対殺す!」


 引きはがすのを手伝ってもらおうと、ココが自分のお付きナタリアを探したら……。

「おいこら、ナッツ! おまえ何そそくさと出て行こうとしてるんだよ!? 何『あとは若いお二人で……』みたいな顔しているわけ!? 」

 お付きは勝手に気を利かせて出て行ってしまった。

「あのバカナッツ……ここが修道院だって忘れているんじゃないのか!?」


 後であの乙女脳には厳しく折檻してやらないと気が済まない……!


 ココは後日の教育的指導を誓ったが、とりあえず今の喫緊の課題は背後のバカだ。

「セ・シ・ル……おまえ命が惜しかったら、私の心が広いうちに出て失せろ!」

「そう言うなよ」

 ココが怒っているというのに、セシルはより一層強く抱きしめてきた。

「だれも信用できないからさ、王宮じゃ深く寝入ることができないんだ……頼むよ、ココ。ちょっとだけ……」

「なっ……セシル……」

 王子の囁くような懇願に、ココは一瞬言葉に詰まった。


 前に言っていた。

「内部の争いだと、だれも信用できないんだ」と。

「重代の家臣でさえ、寝込みを襲いに来るのだ」と。

 ココが「ナバロが裏切ったのか?」と聞いた時、「今回は違う」と答えていた。

 本当に信用できるかどうかより、自分の方が信用して良い境遇にない。

 それを自嘲しているようにも見えた。




 そんな王子様が、ココの横なら熟睡できるという。

「……な、なあ……セシル?」


 返事はない。

 代わりに軽い寝息。

 本当に寝てしまったようだ。


 “おまえだけ”

 なんと甘くて身勝手な言い分なのか。


 セシルはココが温かいと言ったが、ココは背中に温もりを感じている。

「……このバカセシルめぇ……殺す……後で殺してやる……」

 ココは赤くなった顔を掌で覆い、口の中で呟いた。





これにて第二部は完結です。

第三部は「聖女様は役職手当をご所望です~荒れる教皇選挙編~」と題して予定しております。

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