第90話 聖女様は神の御威光を知らしめます

「油断したな、セシル!」

 ラグロス公爵が剣を手に走り来る。

 身体の横に振りかぶった剣で、横薙ぎに切り払うつもりだ。もちろん剣が描くその弧の中に、セシルがまともに防御も取れずに立っているというわけだ。

 頼みの綱のココは真後ろ。横を回り込むにしろ、セシルを押しのけるにしろ、公爵がセシルの胴に一撃入れるまでに間に合うと思えない。

「くっ……!」

 あっという間に迫るドーピング中年を前に、王子は自分の剣で受けようと考えたが……そもそも細剣レイピアでブロードソードの質量を受け止めたら、いくら鉄でも簡単に折れるだろう。それぐらいのことは素人のセシルでも分かったので、無駄な抵抗は止めておいた。


 そうなると、セシルでもできる最善の抵抗は……。

(……跳ぶか!?)

 自分の運動神経を信じて、左右どちらかにダイブする。

 それが一番現実的な逃げ方なのだけど、あんまり早く踏み切れば公爵にバレて追撃を食らう。

 いっそバックステップ……それが一番叔父に読まれていそうだった。

 結局どれが最善なのか。

 わずか数秒の時間的猶予の中で、セシルに決断はできない。

 だが公爵は目前だ。


(これは……ダメか?)


 不覚にも、一瞬セシルが諦めかけたところへ。

「セシル! 膝に手を突け!」

 こんな時にこそ一番アテになる、彼の少女の声が耳に飛び込んできた。

 

 嬉しくて涙が出そうな力強い声に押され、セシルは何も考えず両膝に手を突く。

 とっさに言われるがままに動いたので、それで何が起きるかなんて考えなかった。

 よくよく考えれば、“膝に手を突いたって、剣を回避するには高さが中途半端じゃないか?”とか疑問は浮かぶのだけど……。

 この時のセシルはただ、信頼する少女に全てを託したのだった。




 ココはセシルが思っていたよりも速かった。

 セシルが前屈みになるのを見て、ココは残り数歩を全速で走り……踏み切って飛び上がった。

 そして勢いそのまま……。


 最初の一歩は腰に着地。


 次の一歩は背中を踏みしめ。


 最後の一歩は頭を踏みつけて……膝のバネを使って飛び上がる!


 ココは助走の蹴り出す力で後ろに弾き飛ばされるセシルを感じながら、“聖なる物干し竿”を振りかぶり、

「これで終わりだ! クソオヤジィッ!」

 まっすぐ地上の公爵へ向かって振り下ろした。




 公爵は薬物に汚染されて高揚感に包まれ、がむしゃらに攻撃を続けていた。

 けれど今目の前で起きていることは、ハイになった頭で考えてもさすがにおかしかった。

 

 目の前で立ち尽くす甥が急に前のめりになったと思ったら、聖女が跳躍して来るのが見えた。

 はじめセシルを飛び越えて来るのかと思い、空中へ躍り出した聖女の凡ミスを嘲笑った。自ら方向転換出来ない手段を選ぶとは、ヤツもしょせんは素人かと。


 だが。

 よくよく見れば、聖女は甥を踏みつけていた。

「なんだとっ!?」

 跳躍に高さがあるのも当たり前。聖女は王子セシルをジャンプ台にしているのだ!


 自分の護衛対象を。

 この国の王太子を。

 我らがビネージュ王国の高貴なる血を。

 

 ……一賤民が、踏み台にしている。


 身分秩序にうるさい公爵は、信じられない光景をうっかり目撃し……頭の中の処理が追い付かず、呆気にとられたまま急停止。

 そこへ飛来したココが、蒼白く光る棒を振りかざした。

「これで終わりだ! クソオヤジィッ!」

 



 ココの会心の一撃を食らった公爵は、昏倒するまでの短い時間で何を考えたのだろうか。

(そんなばかな!)

 または、

(こんなはずじゃなかった!)

 たぶん何か言う余裕があったのなら、その辺りを叫んだのではないだろうか。

 あるいは、

(王族に対して不敬であるぞ!)

 だろうか。

 だが現実には、公爵に精神的な動揺から回復する時間は与えられなかった。


 道ならぬ野心を抱いてしまったこの国の王弟は、真正面から“物干し竿”の一撃を食らい……そのまま仰向けにゆっくり倒れて行った。



   ◆



 危険が去ったので、ココは頭を押さえて四つん這いで震えるセシルを助け起こした。

「大丈夫か、セシル!?」

「あ、ああ……なんとか」

 王子様の背中には小さな足跡がクッキリ。

公爵オッサンにやられたのか!? 痛いのか!?」

「いや、おまえが踏み切った時の衝撃で、床に後頭部をぶつけただけだ」

「なんだ。じゃあいいや」

 そいつは不可抗力だ。どうせ大した怪我じゃない。

 

 あっさり心配を止めたココ。

 そんなココに、そもそも原因はお前だとセシルは不満顔だ。

「もうちょっと心配してくれてもいいんじゃないか?」

「踏まれて悦ぶ趣味に目覚めないかどうかをか? そういう点じゃおまえ、元から重症だろう」

 女子修道院へ真昼間に侵入する変態ストーカーだ。元よりつける薬は無い。

 すごく何か言いたそうな王太子殿下を置いて、ココは立ち上がって公爵を見た。




 ココは仰向けに大の字で転がっている公爵に歩み寄った。

 “聖なる武器”シリーズは生身の人間が受けるには威力があり過ぎる。防御をする余裕もなく頭に一撃を受け、公爵は脈を取って確認するまでもなくこと切れていた。


 魔薬で強化していたとはいえ、それはあくまで興奮で我を忘れるといった効能しかなかったようだ。

 あの男爵がそんな危険物を上司に献上していた理由が気になるが……。

「今はそれどころじゃないな」

 ココは亡骸の脇にしゃがみ込むと、まずは頭部の致命傷(とついでに数々の殴打痕)に手をかざし、癒してやった。

 外傷を治したところで、心臓の上に掌を重ねる。

 ココに遅れて覗き込んだセシルが尋ねる。

「わざわざ蘇生してやるのか? 生き返ったところで大逆の罪人だぞ?」

「それはわかってる。だけどな、おまえコイツと約束しただろ」

「?」

 ココはゆっくり手元に聖心力を溜めながらセシルを見た。


「殺さず生き恥を晒させるって」


「……本人に『どっちにする?』って聞いたら、断固拒否られそうだな」

「死人に口が無くてよかったな。こっちの一存で決められる」


 話を打ち切ったココは、深く息を吸って掌に力を込めた。

「最大出力!」

 指先から眩い光が漏れる。

 ココが発した稲妻は、そのまま公爵の胸から全身へ走り抜けた。

「……ギャアァァッ!?」

 以前に暗殺者の頭目を生き返らせた時と同じように、公爵が息を吹き返す。ただ、一つ違うのは。

「グハッ!? ウガァァァァッ!」

 まだ帯電して時折ピカピカ光る身体が、全身を駆け回る痛みで大きく跳ねる。余った聖心力が体内で駆け回って何度も衝撃波の満ち引きがあるらしく、公爵は痙攣とエビ反りを繰り返して魂消るような絶叫を上げ続けている。

 ココが公爵の身体に通した“聖心力電気ショック”の威力が大き過ぎた。


「うむ。成功だな。元気いっぱいだ」

 水揚げ直後の魚みたいにビタンビタン元気よく跳ねまわっている公爵を眺めながら、ココはやり遂げた感溢れる笑顔でうんうん頷いた。

 横のセシルはちょっと見方が違うようだ。

「そうかあ? 叔父上、物凄い衝撃で今にも死にそうだが」

「死んだらまた一発かまして呼び戻すさ」

 ココが蘇生をしてやるのは、慈善事業ではないのだ。

「アホウな真似をしてくれたんでな……私、まだ殴り足りない」

「そうか……なんか、俺までやり返すのは過剰防衛オーバーキルな気がしてきた」

「為政者は時には非情じゃないといけないそうだぞ? 懲罰を受ける本人がそう言っていたんだから、希望はかなえてあげないと」

「……調子に乗って、偉そうなことを言うもんじゃないよなあ……」



   ◆



 ふとココが顔を上げると、広い部屋は静まり返って敵も味方も全員が二人(と床を跳ねまわっているアレ)に注目していた。派手な大立ち回りに、いつの間にか耳目が集まっていたらしい。


 何か言った方が良さそうな空気を察して、ココはちょっと考えて法衣の裾を摘まみ上げて淑女の礼をした。

「えー、親愛なるビネージュ貴族の皆様」

 ニコッと最高の聖女スマイルを見せ、ココは床の公爵の頭を踏みつけた。


「私の反目てきに回るってのはこういう事だから、よく覚えとけ」


 そう言い放ち、ニタリと笑い直す聖女様。




 王太子にタメ口をきき、土足で頭を踏みつけ、謝りもしない。

 王弟をどつきまわして、死んだほうがマシなほどに痛めつける。

 一人で騎士団を半壊させて、それでもまだ本気も出していない。

 そして何より、この状況を何とも思っていない頭の中身。


 狂乱の宴を締める聖女の“閉会の辞”に、居合わせた人々は思い知った。


 “世の中には、絶対に手を出してはいけないヤツがいる”


 この日。

 大陸有数の大国、ビネージュ王国は……一人の少女に恐怖した。

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