第88話 聖女様は反逆者に引導を渡します

 聖女のことをよく知らない王国貴族からすると、公爵と聖女の決闘がいい勝負で推移しているのは意外かもしれない。

 みんなココが卑しい出自ということは知っていても、ココが市場で商店主や自警団と戦っていたのを知らないのだ。ましていまだにこっそり修道院をアクロバティックに抜け出して、ギャング団と大立ち回りとかを演じているなど教団の者でも最近まで知らなかった。

「せぇいっ!」

「うぉっと!」

 公爵が振った豪剣をココが危うく躱す。振り切る前にココの“聖武器”が公爵の剣を叩いて、見当違いの方向へ弾き飛ばそうとするが……。

「えいっ!」

「させるかぁ!」

公爵は腕が伸び切る前に剣を引き戻し、ココの追撃を手元で防いで見せた。

 一進一退の攻防が丁々発止と繰り広げられている……ように見えるが、セシルとウォーレス、それに相手をしている公爵は気がついていた。


 聖女様、全力でやってない。


 セシルが横で見ていたウォーレスに囁いた。

「ココのヤツ、あそこまでぎりぎりでなくても躱せるよな?」

「そうですね。あれは公爵の剣が伸びる範囲を計算して、ギリギリ以上は下がってない感じですね」

 真剣での勝負(ココは鈍器だが)で大した度胸なのは認めるが、練達の騎士王族を相手にアレは危険すぎる。


 ココは何を考えているのか?

「最低限の動きで体力切れを防ぐ作戦ですかね?」

 ココは同い年の女の子と比べても体格が小さい。スタミナ切れを警戒していてもおかしくない。

「それも無いではないが……俺が思うに」

 公爵の剣が再び宙を切った。

 さっきから聖女様の華麗な反復横跳びでフェイントをかまされて、公爵は剣先が流れてたたらを踏んでいる。その様は真剣なようで、見ようによっては滑稽だった。

「ココのヤツ、全力で叔父上をからかっているのでは……」

 王子様のその言葉に……そんな筈は無い、とは言えないウォーレスだった。




 当の本人ココにとっては、王子様の推察はちょっと買いかぶり過ぎだった。

 ココは公爵を全力でからかってなどいない。五割といったところだ。

 ギリギリで避けているのは自分の体力温存と公爵をバカにする効果もあるけれど、主な目的はむかつくハズレを連続させてムキになって攻撃させる点にある。つまり公爵の方の体力切れを狙っていた。

 公爵がバテたらどうするのか……もちろん、動きが悪くなったところで全力で殴りに行く。

 街で襲われているセシルと一緒に逃げ回ったときから、ココはずっと思っていた。


 むかつくオヤジに借りを全額返さないと気が済まない、と。


 剣だの槍だの、長物ハモノは威力が大きすぎる。

 ココが満足するまでするには、じっくりとろ火で炙るようにタコ殴りにしたい。


 ココはお金と恩の貸し借りにはシビアなのだ。

 セシルに引き渡す前に、自分の分はきちんとノシを付けて返す。

 社会人の常識だ。公爵オッサンよ、ちゃんとメモしとけ。




 それでできるだけ、からかうような動きで回避をメインに立ち会っていたんだけど……さっきから公爵の剣捌きをチェックしているココから見て、公爵の振り方が見るからに大振りになってきた。

 うん、だいぶきたようだ。

「そーろそろ……い・い・か・なーぁっと!」

 ココは“聖なる布団叩き”のグリップを軽く手の中で持ち変えると、まもなく来るだろう公爵の“限界”に備え、“聖なる布団叩き”を構え直した。


 


 公爵の剣は目の前をひらひら動く小癪な娘に、一撃も与えることができないでいた。

 もちろん一太刀でも入れることができていれば、もうこの決闘は終わっている。

 お互いに鎧などは着ていない。

 真剣がわずかでも身体に刺されば、その痛みで動きが大きく制約される筈だ。多数対多数の実戦ならばともかく、自分が一人で受けるしかない状況で傷を負うのは死を意味する。

 ……そこまでわかっているのに、その一撃が入らない!

「おぉのぉれぇぇえええっ!」

 公爵は咆哮して鋭い突きを放つが、またもやするりと下賤な聖女は躱してしまう。

「ちょこまかと……死ねぇい!」

 続いての全力の斬撃は聖女にあと一歩届かず……。


 わかっている。

 どの攻撃も、たまたま避けたのではない。

 この女は全て切っ先から拳一つ程度の間を保っている。

 そこまでしか届かないのをわかって、逃げないのだ。


 歯噛みして当てようとするが、全く当たらない。

「おのれ……おのれ、おのれおのれおのれぇぇぇぇ……!」

 もっと派手に避ける、あるいは剣で受けて斬撃を躱すのならば、ここまで腹は立たない。

 この女は水中をたゆたう糸くずを掴もうとした時のように、あと一歩で掌中からすり抜けてしまうのだ。 

 間合いをこれほどコントロールできる者に、公爵は出会ったことが無かった。

(ならば)

 突きを放つ直前、公爵は足運びを変えた。

 予備動作に入る前の足の刻み方を変えて、剣を突き出した時の踏み込みをさらに半歩前へ!

 これで致命傷とまでは行かなくとも、手傷を負わせることができた……筈だった。




 クソオヤジ公爵がそろそろ息が上がってくる頃だ。

 まだしっかりしたリズムは取れているけど、疲労で剣を持つ腕が上がらなくなってきている。

 ココはそう見極めをつけた。


 なぜココがいくらでも避けられるのか。他人が自分に合わせてくれる人生に慣れたオッサンにはわかるまい。

 セシルのオイちゃんは剣の達人なのかもしれないが……ココは人間観察の達人なのだ。 

 藪に潜み、俊足を生かして草食動物を狩る獣のように。

 群衆に紛れ、店番の一瞬のスキを突いて獲物を掴んでダッシュする。捕まれば二、三日は動けなくなるほど殴る蹴るの暴行を受ける(食い詰めた孤児には、その時間が生死を分けることもある)真剣勝負を日常としていたココ。

 相手の視線、つま先の向き、筋肉の動きから行動に出るタイミングを予測できるのだ。


 その点、模擬試合しかしたことなさそうな公爵の勘はダニエルジャッカル以下とココは踏んでいた。

 そんなやつ、ココの敵ではない。ココと商店主は自らの(収入という意味で)生死をかけて毎日戦っていたのだ。

(そろそろ勝負にかかってくるかな?)

 見極めをつけたココはとっさに前へ飛び出せるよう、ステップを変える。

 思った通り公爵は、ココが判断した直後に足の運びを変えてきた。

 だからココもわずかに前傾姿勢を取って、公爵の刺突に合わせて……前へ!


「もらったぁぁぁっ!」

「と思った直後にぃ……」

 手の内が見え見えだ。

「ボディががら空きだぞ、オッサン!」 

 公爵の必殺の突きを軽々回避したココの鋭いフルスイングが決まり、“聖なる布団叩き”の張り出した頭が……相手のボディへとめり込んだ。




 そこからは、もう。

 公爵が脇腹へ一撃喰らい、見事なまでにくの字になって吹っ飛んでからは一方的な流れになった。

 ココの持つ武器は威力があるとはいえ、刃が付いているわけではない。

 だから打たれても打撲で済む公爵は痛みに耐えて起き上がろうとする。

 そこへ当然。

「おらららららららららららあああああああっ!」

 “聖なる布団たたき”を平に持っては横っツラを面で引っぱたき、寝かせてはギロチンの刃のごとき重くて衝撃力のある一撃を鋭く叩きこむ。

 一方的な猛打! 猛打! 猛打!

 もちろん一か所に集中しすぎてと行けないので、丁寧な仕事を心掛けるココは全身万遍なくようにする。

「きさっ!」

「まっ、待……!」

「いつま……!」

「限……!」

「たす……!」

 公爵が勝負を投げては彼の名誉に関わる。

 なので弱気になって「負けた」などと言わないように、しゃべる暇も与えず叩きまくるココ。あくまで“敵への温情”だと言っておこう。


 そんな試合運びをしていたら、公爵麾下の騎士たちが騒ぎ出した。

「おい聖女、殿下はもう戦意を失っているではないか!」

「そうだそうだ! 勝負は終わっているのに攻撃を続けるなど、騎士道にもとるぞ!」

「なんだよ、もー」

 外野がうるさい。

 ココは手を緩めずに、邪魔な観客どもへ叫び返した。

クソオヤジ公爵はまだ剣を握っているじゃないか。本人がやる気なのに部外者が勝手なことを言うな!」

 ココが言ったとおり、武器を手放さないのでは降伏の意思が無いとみられても仕方ない。

 騎士たちがウッと言葉に詰まる。ココが言うこともまた正論である。




 そんなことを言い合っていると。

 彼らの見ている前で、公爵の剣がポロッと落ちた。

 たぶん握力が無くなって、取り落としたのだろう。

 なんだか必死に投げたようにも見えたが、たぶん偶然そう見えたに違いない。


 なのでココも、敢闘精神溢れる公爵殿下にレベルを合わせることにした。

「そうか、剣じゃなくて拳で決着をつけようってわけだな!? さすがセシルの叔父貴だ。最後まであきらめないその姿勢は褒めてやる!」

 ココは大声で「公爵の希望」だとアピールすると、“聖なる布団叩き”を解除して代わりに“聖なるオーブンミトン手袋”を作り出した。こいつをはめていれば、自分の小さな手に拳闘士並みのパワーを込められる。

「よーし、殴り合いでも負けないぞ!」

 

 自分で思っていたよりも、ココは公爵にやられたことが腹に据えかねていたみたいだ。

 結構叩きまくった気がするけど、二回命を狙われた上にパーティで虐められた恨みはなかなか深いと見える。この鬱屈した思いをきれいさっぱり晴らすまで、公爵には手を挙げてもらっちゃ困るのだ。


 うん、オッサンもきっと同じ気持ちに違いない。

 特に意見は聞かないけれど、なに、拳を合わせれば心は通じる……かも知れない。だといいなあ。


 まあ小難しい話は置いておいて。

「行っくぞー!」

 ココは公爵が余計なことをしゃべる前に馬乗りになった。

 そして“聖なるオーブンミトン”をはめた手を……公爵の顔面へと、左右交互に叩きこみ始めた。

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