第87話 聖女様は犯人を断崖に追いつめます

 陽炎が不意に消えるように、姿をかき消したゲインズ男爵。

 ココが、セシルが、ウォーレスが不意打ちに備えて後ずさった。

 この空間のどこかにいる筈なのに、気配が全く察知できない。

 三人に限らず、包囲するセシル陣営は背中を合わせ、せわしなく周囲に目を配った。


 男爵がどこから現れ、またどんな攻撃を仕掛けて来るのか。

 緊迫の一瞬が際限なく続き……ココがセシルに囁いた。

「おいセシル、気がついたか?」

「ああ……小物と思って油断したな。まさか叔父上の幕下に、これだけやるヤツがいたとはな」

「ふはははは、そうであろう! ゲインズの魔術の恐ろしさ、とくと思い知るがいい!」

 何か勘違いして高笑いしているラグロス公爵をジト目で眺め、セシルとココが構えを解いて腕を下した。

「やるって言ったのはヤツの情勢判断ですよ、叔父上」

「そうそう。こんな的確に行動に移せるヤツだと思わなかった」

「はっ?」

 大人たちは二人の言いたいことがわからない。


 何が何やらといった感じの周囲の視線が集まる中、すっかり警戒を解いたココが頭を掻いた。

「あいつ、もう挽回できないと踏んで一人で逃げたぞ」

「……え?」

 話について行けない人々に、ココがもう少し詳しく説明した。

「今のは脱出のための跳躍魔法だよ、たぶん。きっと普段から襲われるのを用心してて、自宅辺りに目印の魔法陣とか用意してあったんだ。」

 王子も頷く。

「名誉やメンツばかり気にする叔父上のお気に入りだから、てっきり引き際を誤ってジリ貧まで追い込まれるタイプかと思っていたのだが……爵位や栄誉に未練を残さず、自分一人で逃亡しやがった。そりゃ負ければ反逆罪確定だからな……それにしても地位を捨てて逃げるとは、実に大した思い切りだ」

 王太子のしみじみした述懐で、理解できた公爵陣営に驚愕と衝撃が走った。


 “虎は死しても皮を遺す”という。

 男爵は身分と引き換えに、“見事な逃走者”という無駄な称号を遺した。




「いや、まさか!?」

 すっかり挽回の一手が出ると思っていただけに、狼狽した公爵が辺りを見回す。

「おい、ゲインズ? ゲインズー!? そろそろ攻撃に移っていいぞー? おい、どうした!? ゲインズ!?」

「無駄だっての。そろそろ現実見ようぜ、公爵様クソオヤジ

 盛り上げておきながら土壇場で失踪した部下を必死に探す公爵に、掃除当番の割り当てをさっさと終わらせたいメイドみたいな口ぶりでココが促す。

「ヤツなら今頃きっと、自宅で金目の物を袋に詰めて馬の準備でもしている頃だろうさ。これで家宅捜索に来る役人へあてて、バカにしたような置手紙でも残していれば小悪党ぶりは満点だな」

 ココの言葉で、公爵の顔がみるみる朱に染まった。

「くっ……ゲインズのヤツめ! ここぞという時に敵前逃亡するとは何事か! 見つけ次第、儂の剣で一刀両断にしてくれるっ!」

 激怒して地団駄を踏む公爵。

 そこへ白けた顔でセシルがツッコミを入れた。

「お楽しみ会の予定を立てるのも結構ですが、お仲間内の話は後にしていただけませんかね?」

 王太子は足元の地面を指さす。

「まずは今この場の話を片付けましょう、叔父上」




 皆が注目する中、セシルが指を三本立てた。

「貴方には選択肢が三つあります」

 まず親指を折る。

「謝罪して捕まる。反逆罪ですが命までは取りません」

 次に人差し指を折る。

「抵抗して捕まる。状況次第ですが敢えて殺すつもりはありません」

 最後に中指を折る。

「自決なされる。蘇生はできるだけ試みます」

 セシルは指を開いて掌を上にし、促すように公爵に向けた。

「さあどうぞ、お好きなのをお選びになって下さい」


 提案を聞いた公爵は、硬直してしばし黙った後……肩を震わせたかと思うと、喉を鳴らして耳障りな笑い声を立て始めた。

「ククク……ハハハハハッ! どうしたセシル、次代の国王たる者が随分お優しいことではないか」

「そうですか?」

「ああ、そうとも!」

 公爵は抜き身で持っていた剣をびしりと甥に向けた。

「いざという時に苛烈な処分をできない甘さで、このビネージュという大国がまとめられると思っておるのか!? 仁政などというものは、厳格さと表裏一体でなければ維持できぬものなのだ!」

 年長者の面罵は王太子に全く感銘を与えていないようだった。

 セシルはつまらぬ冗談でも聞かされたみたいに、軽く肩を竦めて言い返した。

「なんと思おうと叔父上の勝手ですが……私とてこの年まで帝王教育を受けて来た身です。肉親の情などで助けようというわけではありません」

「ほう……では人を殺す決断ができないか? その方が支配者として資質に難ありだぞ?」

「いえ」

 バカにしてかかってくる公爵の嘲弄を真正面から受け止め、美貌の王子様は叔父を上回る素敵な笑顔で……思いきり爽やかに、嫌味なイイ笑顔で言い切った。

「私に逆らったらどうなるかの見本として、生き恥を晒してもらいます」

「…………」

「おべっかが得意な風見鶏貴族どもが点数稼ぎに罵倒するどころか、気まずくって目を逸らすような感じで行きたいと考えております」

「……おまえは人の心が無いのか?」

「野心のために血のつながった甥を殺して、家を乗っ取ろうとした叔父上に言われたくはないですね」

 ニッコニッコ笑う王子様が手を打ち合わせた。

「というわけで叔父上。国の未来は請け負いますので、安心して投降なさって下さい」

「それを聞かされて、誰が降伏などするかぁ!」

 セシルが困った様子でココを見た。

「参ったな。叔父上には、俺の代も安泰だとご説明申し上げたつもりなのだが……なぜか説得に応じてくれないぞ」

「あー、どうもこの年頃のオヤジってあまのじゃくなんだよな」

 わかる! という感じでコクコク頷くココ。

「あれだな、年下に指図されるのが嫌なんだな。無駄に年を食って来たヤツってのはプライドばかり高くて、道理が判ってないから困る」

「本当になあ」

「貴様ら二人揃って頭の中が腐ってるのか!? なあ!?」




 せっかくセシルがいい条件を出したのに、降伏が嫌だという公爵。

「じゃあどうするんですか?」

「儂は降伏も自決もせん!」

 皇子の問いかけに、公爵は剣を振りかざした。

「これで終わりというならば、最後まで勝ちに向かって足掻いてくれよう! いざセシル、決闘にて決着をつけようぞ!」

 叔父の芝居がかった申し出に、腕組みして見ていた甥は。

「え? 嫌です」

 一言で却下した。


 ……。


「決闘を断るとか、貴様は王族として恥を知らんのか!?」

 激怒する公爵に対し、呆れた様子で王太子は持論を述べた。

「恥を知らないのは叔父上でしょう。武人の叔父上はともかく、私は完全に文官ですよ? 騎士の作法にこだわるのは勝手ですが、誰にでもその原則が適用されるとか思わないで下さい」

 ビネージュ王国では貴族と言えど文官武官が分かれている。

「むしろ私の剣の腕前を知っていて自分の得意分野に持ち込むとか、それを卑怯と認識できないところでもう、騎士の誇りとやらを履き違えてますね」

 常識と思っていた認識を侮っていた若造に論破され、公爵は言葉が出てこなくなった。

 人間、世界がひっくり返るとどうしていいかわからない。


 そこにココがしゃしゃり出てきた。

「セシル、セシル」

「なんだ?」 

「私が公爵おっちゃんとセシルの代わりに決闘してやってもいいぞ?」

「……いいのか? ココ」

「うむ」

 “聖なる物干し竿”を一旦しまったココは、改めて新しい“聖なる武器”を取り出した。

公爵オッサンには。私もやれる時にと思っていたんだ」

 自分が殴りまくる前提のココ。

「それは良いが……おまえの持っているそれはなんだ?」

「う? これか?」

 ココの持つ物は、細長い棒の先がハート形に曲げられている。

「これは“聖なる布団叩き”だ。剣を持ったオッサンと一対一サシで戦うには、“すりこぎ”じゃ短いし“物干し竿”じゃ長すぎるからな」

 ココは一回言葉を切って、まじまじと自分の手にする道具を眺めた。

業務用ロングタイプちょっと長い

「いや、細かい説明はいらないが……そこまで来ると、もう普通に剣か槍で良いんじゃないのか?」

「何をバカなことを言ってるんだ、セシル」

 聖女様はごくマジメな顔で言い切った。


「そんなものを振り回したら危ないだろ」


(ギャングのアジトで起こした惨禍アレは、安全なつもりだったのか……?)

 セシルはつい、今と関係ない事件についてぼんやり考えてしまった。




「いや、ちょっと待て!」

 セシルとココが話しているところへ、公爵が割り込んできた。

「なんですか」

「コイツと決闘だと!?」

 叔父の指先はココを指している。認識は間違ってはいない。

「ええ、そうですね」

「おかしなことしかしないコイツと真剣勝負などできるか!」

「……自分で言い出しておいて、選り好みしないで欲しいですね」

 まるで異常者みたいに言われて、ココも機嫌を悪くしている。

「なんだ、私じゃ嫌だと? 私はいつだって正々堂々戦う女だぞ……おい、セシル、ウォーレス、ウォルサム。おまえらなんで目を逸らす?」


「そんなこと言ったってなあ……」

 公爵のわがままを受けて、ココは自陣の顔ぶれを振り返った。

「決闘なんか私以外で受けるというと……うちの騎士団長ぐらいだぞ?」

 ココの挙げた候補に公爵が食いついた。

「そいつだ!」

「そうかあ?」

「騎士同士だし、貴様なんぞよりよほどマシだろう!」

「うーん……でも、の団長だぞ?」

 ココの見る方向を他の者も釣られて眺めた。

「うちの騎士団長は敬虔な信徒で聖職者でな。刃物で血を流すのはよろしくないってんで」

 ココの視線の先では。


 自分にご指名が入りそうなので、クマのようなオッサンがウキウキとウォーミングアップで素振りを繰り返していた。

 “先端に棘付き鉄球が付いた鉄棒モーゲンスタン”を両手に持って。


「切って血が出るのは良くないっていう事で、敵はなんだ……騎士団長はバカみたいに腕力があるから、片手で叩きつけてもオークの硬い頭骨を粉砕するんだぞ?」

 ココが胡乱げに公爵を振り返った。

「モーゲンスタンも馬鹿力に合わせた特大サイズだから、剣で受けたらブロードソードでも一撃で折れるし、一発当たったら身長が半分になるけど……どうする? 騎士団長とやる?」

「………………小娘で良い」


 公爵の回答には、あらゆる夢を摘み取られた悲しみの響きがあった。 


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