第89話 聖女様は隙を突かれます

 聖女が二十発ばかり拳を叩き込んだ辺りで、また公爵陣営が口々に文句をつけ始めた。

「やめろ! もう完全に決闘じゃなくなってるじゃないか!?」

「一方的に嬲るなど、恥を知れ!」

 大変うるさい。

 自分たちが有利な時は散々卑怯な真似をしておきながら、弱いと思っていた相手が逆転した途端にこのザマだ。

 ココは公爵側の連中の都合の良さにとても腹が立ったので、彼らにも責任を取ってもらうことにした。

「おーい、騎士団長! あいつらも気が済まないみたいだ。私はこっちで忙しいんで、悪いけど相手してやってくれる?」

「それは良いですな! 承知つかまつりますぞ!」

 出番が無くなって消沈していた熊オヤジがパッと顔を輝かせた。


 ココの指示には“ご指名”、“聖女の代理”、“決闘代行”、“若手の相手”と、純朴な武人が大好きなワードがいっぱいだ!

「えっ……?」

「いや、そんなつもりは!?」

 予想もしていなかったらしく、なんだかあちらは慌てだしたが……。

 聖堂騎士団長は見るからに上機嫌になって公爵派の騎士たちに向きなおった。

「さあ諸君、気兼ねはいらぬぞ! ワシとて神官の端くれ、若人の育成は常々気にかけているところ!」

 乗り気な騎士団長をココやウォーレスが止めない以上、他の人間が制止するわけもなく……。

 興奮している騎士団長がブンブン腕を振り回す。

「さあ! ワシはいつでも良いぞ、諸君! なんならまとめてかかって来られよ! ほれほれ、遠慮はいら……」

 ゴッ!

「あっ」

 騎士団長が横をよく見ていなかったおかげで、バックハンドで戻した右手のモーゲンスタンが公爵の執務机に衝突した。


 刀なんかを振り回していると時々起きる、よくある事故だ。

 ただ騎士団長の場合は、力があり余り過ぎているのが問題だった。

 彼の馬鹿力により……天板に長身の公爵が寝られるほど、デカい執務机が……。


 宙を、飛んだ。




 空の木箱でも蹴ったみたいに、重たい樫の机は軽々と空中を舞う。

 呆気に取られて見ている群衆の前で、執務机はゆっくりと回転しながら壁にぶつかり……衝撃で細かく分解しながら、木片になって床に降り注いだ。

「…………」

 元々持ち主公爵に日頃からバンバン叩かれ、老朽化が進んでいたのもあっただろうが……床に転がる机は、復元のしようもないぐらいに細かく砕けていた。


 よくある事故が大惨事。

 その光景を目の当たりにした皆がしばらく誰も何も言わない中、手の武器を一旦置いた騎士団長は気まずそうに咳払いをする。

 然るのち、やらかした男はもう一回モーゲンスタンを持ち直す。

 そして。

「よし! 誰から挑戦してくるかの!? みんなまとめてでも構わんぞ!」

 無かったことにした。



   ◆



 一緒に遊びたい騎士団長に敵の残りが追いかけられているのを見ながら、ココは殴るのに飽きて立ち上がった。公爵の上から降りて、王太子の元へ歩み寄る。

「それじゃセシル、あとはおまえの好きにしていいぞ」

「出涸らしをもらってもなあ……」

 そんなことを話していると後ろで公爵が気がついたらしく、倒れ伏したまま身をよじった。

「くっくくく……トドメを刺さぬとは、甘いな聖女……」

「そういうのはもういいから」

 たわ言をまだぬかすオヤジを縛った方が良いのかココが思案していると、その当人が懐から何かを取り出した。


 小さなガラスの小瓶と思われるソレには、なんというか……よどんだ沼の腐った水を詰めたような、何とも言えない色合いの濁った液体が入っている。

 なんだ? と思っていると……。

「最終手段だと思っておったが……今がその時!」

公爵は横になったまま、その中身を飲み干した。




 黒とも紫とも取れる、禍々しい霧のようなものが公爵を包む。

「おい、ココ……」

「ああ。ありゃあ闇魔法の一種だな」

 公爵が使ったのはマジックアイテムだった。それも、ゴートランド教徒なら禁忌とすべき闇の……魔王に連なる秘術の何かと見える。

「叔父上はそんなものにまで手を出していたのか?」

 セシルが呆れて漏らした呟きに、明晰な叔父の声が返ってきた。

「ハハハ……これはかつてゲインズが寄越した研究成果とやらよ。もしもの時の為に取っておいたが、戦場ではなく王宮で使うことになるとは、な」

 身体に纏わりつく瘴気とともに、公爵の存在感が増していく。先ほどまで呻いて転がっていたのがウソのように、しっかりした様子で公爵は立ち上がった。

「聖女よ、残念だったな。儂は今、貴様と戦う前より体調がいいぐらいだ」

「回復……いや、増強ドーピング系の何かか」

 見た感じ怪我やアザが治っているようには見えない。それらの苦痛を麻痺させ、身体能力を一刻だけ限界以上に使役する魔法薬と思われる。


 痛みを感じず薬の効いている間に体力の全てを燃やし尽くすため、短時間は超人的な力を得るがその後は……戦士が後々破滅するのを承知で手を出したがる、有名な闇の秘薬だ。あの逃亡男爵が独学で開発に成功していたらしい。

「厄介な……」

 ココは呻いた。

 あの腰巾着だんしゃく、余計なことをしてくれたものだ……。


 だが、それはとりあえず置いておいて。

 ココは一番気になったことを聞いてみた。

「なんでもいいけどオッサン、よくその気持ち悪い見た目の薬なんか飲めたな? しかも作ったのさっきのアホだろ?」

 勝ち誇っていた真・公爵は、ココの質問に青筋立てて怒鳴り返してきた。

「貴様に復讐するためだ! このまま死ぬくらいなら、あらゆる手を試してやるわい!」

「ちなみに、もう一本あったら追加で飲みたい?」

「二度と飲むか! この世のものとも思えない味だったぞ!」

「やっぱまずかったんだ」

 勉強になった。

 



 公爵との決闘は、まさかの第二戦に突入した。

 先ほどはココの圧勝と言って良かったが……。

「ちいっ! やっぱり違うな」

 復活した公爵の動きは、本来の人間が出せる力や瞬発力を軽く振り切っていた。

 ココの俊敏性と軽快なフットワークに、はるかに巨体なオッサンが付いてこれる。驚きとか焦りとかいう感情が湧く以前に、気持ち悪い。


 勝利を確信しているらしい公爵がせせら笑った。

「どうした、聖女!」

「ったく、魔薬の力を借りておきながら、えっらそーに……」

 回避したココを追いかけて、公爵の剣が一瞬遅れて空を切る。

 今まではそもそも剣が届いていなかったが、いくらでも走れる今の公爵ならココの想定より一歩も二歩も踏み込むことが可能だ。ココは本気で白刃を避けて身をよじる必要が出ていた。


 このままでは自分の方が疲れて鈍ったところを斬られてしまう。

 どこかで勝負を……意表を突いた何かをしなければならないだろうが、それが何をどうしたらいいか、策が見えない。

 振り降ろされた剣を“聖なる布団叩き”で受ける。つば迫り合いを押し込んでくる公爵の力が、先ほどとは段違いだ。

 広い執務室を走り回って公爵との間を取る。今のクソオヤジと殺りあうには、向こうの間合いまで寄らせない方が良い。

 “聖なる布団叩き”を“聖なる物干し竿”に持ち替えて……そこでココは、おのれの失策に気がついた。




 薬の力で立ち直った叔父の動きがあまりにチョコマカし過ぎていて、セシルは傍で見ていて気持ち悪い。

 しかもココの方も余裕が無いのか、捕捉されないために足を使って逃げ回っている。広い部屋の中、二人の立ち位置がせわしなく入れ替わる。


 運動能力には自信があるが、剣術となるとセシルはさっぱりだ。ヤキモキしながらも観戦客に徹していたセシルは、急にココに呼びかけられて驚いた。

「しまった! セシル、逃げ……!」

 避難しろというココの言葉に、全部を聞く前にセシルも己の立ち位置に気がついた。


 公爵とココが走り回ったおかげで、二人の間にセシルが挟まってしまった。

 叔父の最終目標は“聖女の抹殺”ではなくて、“王位の簒奪”だ。となると、標的セシル護衛ココの前に出ている今がまさにチャンス……!


 なるほど。

 それに気がついたココが焦ってセシルに逃げろというのもわかる。セシルは自分で叔父の打ち込みを迎え撃つなんて真似はできないのだから。


 ただ。


 最愛の人ココに、一つ言わせて欲しい。




「こぅのドアァホォォォーッ! 言わなきゃ気づいてなかったぞ、今のっ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る