第86話 聖女様は神の御業をお見せします

 公爵はまだ、何か切り札を隠している。


 幾分表情が厳しくなったセシルと対照的に、ラグロス公爵は追い詰められている現状をもってしてもなお、余裕のある表情を見せていた。


 突如公爵が声を張り上げる。

「ゲインズ男爵!」

「はっ!」

 公爵の呼びかけに応じて後ろから一人の貴族が進み出た。

「ここに!」

 いまいち風采の上がらない文官タイプの貴族だが……。

「ククク……貴様の力を見せてやれ」

「御意」

 含み笑いをする公爵の指示を受けて向きなおった男の顔には、一片の緊張さえも含まれていなかった。



 

 この男、どう見ても武人ではない。

 剣も帯びていないし、身体を鍛えているようにも見えない。

 ただ、上腕部の長さ程度の短い棒を握っている。精緻な彫り物をされたその棒は、何らかの武器というよりもまるで……。

 セシルが苦々し気に呻いた。

「おまえ、魔術師か!」

「正解でございます。王太子殿下」

 ゲインズ男爵が喉を鳴らして薄気味悪い笑いを漏らした。


 ゴートランド教団他の宗教組織の本拠地がいくつもあるせいか、ビネージュ王都では魔法というと聖魔法(あるいは対義語の闇魔法)のイメージが強い。

 実際には聖属性にこだわらない魔術・魔法は存在するし、それを研究または駆使する者もいる。平和な時代の為、都市民は生活の役に立たない魔法を見たことが無いだけだ。

 魔法使いというと在野の学者か魔術師を指すものだが、確かに貴族が学を修めていてもおかしくはない。

 公爵の副官ゲインズ男爵は、王国貴族の中でも珍しい魔法の使い手であった。




「いやいや、こう言っては何ですが……私に出番が回ってきて嬉しいですよ。このまま公爵殿下が勝ってしまえば、先ほどのお礼をする機会が回ってきませんでしたからな」

 優位を確信した男爵がニタニタ笑いながら彫刻を施した棒、魔術師の杖メイジ・スティックを構える。

「そんな機会は無い方が良いんだがな」

 応じたセシルの言葉に、男爵はより一層笑みを深めた。

「遠慮なさらないで下さいよ。私の方はいまだに打たれた痕が痛んでおりましてなあ」

 己の力に自信があるのだろう。

 ただ一人で包囲網に相対する彼には余裕さえ見えた。


 そんな男爵を不審げに見ていたココが、睨みあうセシルの袖を引いた。

「なあ、セシル……」

「なんだ、この気が抜けない時に」

 聖女は男爵を指さし、真顔で王子に尋ねた。

「あいつ、なんかこっちに恨みがあるみたいだけど……おまえ何やったんだよ?」

 ……。

「殴ったのはおまえだぁぁぁぁああああっ!」

 男爵の魂の絶叫が響いた。


 


「なるほど、さっきのアレか」

 ココが納得したように頷いた。

「アレに怒っていたんだったら、それならそうとちゃんと言ってくれたら良かったのに。回りくどい言い方をするから理由がわからなかったじゃないか」

「いや、普通はわかるだろ」

 目の前の男がなんでセシル(とココ)を目の敵にするかのような発言をしたのか、ココにも理解できた。

 理解できたので、ココは男爵に向かってシュタッと手を挙げた。


「わりぃ」


 誰も何もしゃべらない、奇妙な空白の時間が過ぎた。


 ココがセシルに顔を向ける。

「わかってもらえたようだ。これで後は遺恨無く、気持ちよく殺り合えるな」

「誰が今ので納得するかぁああああっ!?」

 男爵の悲鳴にも聞こえる叫びがまた響いた。




「男のくせに女々しいな。いつまでも根に持って……」

 ココがぶつぶつ言うのに男爵が目くじらを立てる。

「俺は許さんぞ! いじめるほうは後で問題になると、だいたい軽くそう言うんだ!」

 彼には何かトラウマがあるらしい。

「そもそも、おまえが殺しに来たからだろうが」

 王子の指摘に、男爵が叫び返した。

「それはそれ! これはこれ!」

「おい、コイツもたいがいアレなアタマしてるぞ」


 男爵が話の流れを断ち切るかのように、魔術師の杖を構え直した。

「もういい! 元より貴様らに謝ってもらおうなどとは思っていない! 全員この場で塵と消え失せろ!」

「おいおい、子供の時に家庭教師から『揉め事はきちんと話し合いましょう』とか習わなかったのか?」

「いきなり後ろから鈍器で殴りかかった貴様が言うな!」

「ソレこそアレだ。おまえが言った『それはそれ! これはこれ!』ってヤツだ」

「あああああああ! 他人が言うとむかつく! いいからもう死ね!」

 男爵が喚きながら握る杖に力を込めた。

 赤い光が帯電し、ひときわ強く光った……ところへ。


「聖なる光よ! 彼の者を打ち滅ぼせ!」


 一斉に湧き上がる声に合わせ、男爵たち公爵陣営に蒼白い閃光が次々に着弾する。

 見ればココと男爵が不毛な言い争いをしている間に、ゴートランド教団の折伏司祭たちがロザリオを構えて展開していた。


 攻撃魔法を使えるのはココや男爵ばかりではない。むしろ魔物退治で日頃活動している彼らの方が専門だ。

「……防がれましたか」

 自分も一発撃ったらしいウォーレスが構えを解いて舌打ちした。

 彼の言葉通り、弾着のまぶしい光が収まってくると公爵陣営に目に見えた損害が無いのがわかる。男爵が攻撃に使うはずだった溜めた魔力で防御を図ったようだ。

 ある程度は予測していたらしく、指示を出したウォーレスはそれほどがっかりしていなかった。

「ま、一発かましてスッとしたので良しとしましょうか」

「貴様らゴートランド教団はまともなヤツはいないのか!?」

 むしろご機嫌な先任司祭に、ギリギリで防いだ男爵が青い顔で怒鳴りつけた。




「なんですか。日々仕事でストレスをため込む私の苦労なんかわからないくせに」

「そんなの知ったことかぁ!?」

 これだから部外者は……みたいに言うウォーレスにゲインズ男爵が喚く。そこへ後ろから、焦れた公爵が叫んだ。

「おい、ゲインズ! ヤツらの手にのって魔力を無駄にするのではない!」

 男爵がハッとする。

「ははっ! クソッ、うっかりこいつらの策に乗るところだった!」

 慌てて構えなおす男爵が吐き捨てた言葉に、ココとウォーレスが顔を見合わせた。

「いえ、物は試しのうっぷん晴らしです」

「コイツの性格の悪さで、企んでて今の程度なわけないじゃん」

「なんなんだよ!? 貴様ら本当にどういう頭をしているんだよ!?」




 しばらくセシルやウォーレスが男爵とやりあうのを見ていただけのココ。

 いよいよもって男爵が二度目の反撃に打って出そうなので、消耗しているであろう司祭たちに代わって自分から受けて立つ位置へ進み出た。


 ココが出て来たのを見て、男爵が眉を跳ね上げる。

「ほう? ついに当代の聖女様がお出ましか?」

「まあ、魔法勝負になっちゃうとな。聖心力が一番大きい私が引っ込んでるわけにもいくまい」

「なるほど、なるほど」

 ココの登場に、むしろ男爵は嬉しそうだった。

「面白い! 俺も魔術師として歴代の聖女の聖心力とやらを観察してきたが……正直俺の魔力の方がと思うような内包量にしか見えなかった! 貴様は実力を買われて例外的に賤民から選ばれたというではないか。見せてもらおう、どれだけマシな力があるのかを!」

「女神のご指名ってだけだから、別に聖心力で選ばれたわけじゃないんだけどな……まあ、いいか」

 見るからに男爵が侮っているけど、ココはそんなの気にしない。自分のチャームポイントは笑顔だと思っているから、聖心力の多寡とかはあんまり人と争うところじゃないのだ。

「それじゃ、まあ……久しぶりに本気で一発、かましてみるか」

 ココがいつもの通り、掌を向かい合わせるようにして胸の前に構えた。


 視界を染めて、蒼白い光の奔流が走った。


 先ほどの折伏司祭や男爵の魔力の発動が火花にしか見えないくらいに、圧倒的な輝きが構えた手のあいだで生まれている。蝋燭どころか陽の光さえ吹き飛ばし、広い公爵の執務室がココの聖心力の色で満たされている。

「な、んだ……この量は……!?」

 驚愕する男爵の耳に、この期に及んでまだ呑気なココのとぼけた呟きが。

「向こうの程度がわからないからなー……とりあえずはこんなもので、様子を見てみるか」

「とりあえず!? 様子見!?」

 色を失う男爵に、公爵も大丈夫かと問い質す。

「ゲインズ、ヤツはそれほどに強力なのか!?」

「は、ははっ……確かに先代、先々代よりもやりますな……」

 思わず乾いた笑いを漏らす男爵だったが……気を取り直し、魔術師の杖を再度構えなおした。

「なるほど、聖女よ。貴様もなかなかの力ということは分かった」

「いや、この程度で褒めら……」

「だがしかしっ! 貴様がこの私を超える使い手であるかどうか、まずは私の術を見よ!」

「なんでもいいけど丁寧にしゃべるか地の言葉でしゃべるか、どちらかにしろよ。おまえ一人称がぶれまくってるぞ」

「行くぞ聖女よ!」

 ココのツッコミを全無視し、男爵は両腕を高く掲げる。

「さあ、見よ! 我の最大奥義を!」

「だからおまえ、一人称……」


 ココの言葉を待たず、赤い閃光が明滅し……次の瞬間、男爵の身体が空間に溶けるように消え失せた。



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