第85話 前の聖女様は美味しいところを持って行きます
教会と貴族の連合軍を切り裂くように無理やり進んできた馬車は、ウォーレスと侯爵、ついでに騎士を踏みつぶしそうな勢いで走ってきてギリギリで停止した。
後から考えるとわざとだと思う。
呆気に取られている群衆の中で、馬車の扉が開かれる。
車内から、そこそこの歳だが今なお美しい婦人が姿を現した。
「……聖女様!」
婦人が誰か気が付いた、貴族の一人が叫ぶ。
その声に感化されて、貴族や騎士たちが慌てて剣を下ろして礼を取り始めた。
宮廷ではココの人気が無いこともあり、今でもエッダ・エインズワース伯爵夫人が聖女みたいな雰囲気がある。
顔を出すたびにこんなことをやられては、なるほど伯爵夫人も社交界から足が遠のくわけだ。
(元、なんですけどねえ)
ちょっとそんなことを思ったけど、ウォーレスも黙って頭を下げて敬意を表した。ウォーレスはココちゃんと違って空気は壊さないのだ。
派手な登場をした伯爵夫人は目を丸くする人々を前に、馬車から身を乗り出して丸めた書状を高く掲げた。括ったリボンの赤い封蝋が目を引く。
「王太子殿下の命により馳せ参じました。誠に残念ですが、宮中に我らが王太子殿下とゴートランド教の聖女猊下を害さんとする謀議があります!」
聞いていた人々が、すでに知っている内容なのに一斉にどよめいた。やはり(元)聖女の口から聞くとリアリティが違うらしい。
「ゴートランド教団並びに有志の方々は、その解決のために王太子殿下御自らが呼び集められたのです。警備の者は直ちにお通しし、捜査に助力しなさい!」
「し、しかし聖女様!? それでは王宮の守りが……!」
警備側の騎士がうろたえながらも
だが、彼らの聖女様は厳しい顔で反論を却下した。
「国王陛下が病で臥せっておられる今、名代であられる王太子殿下の指示は絶対! 教団側との折衝については不肖この私が務めます。何の問題もない。直ちに行動に移しなさい!」
セシルが国王の正式な代理人だと伯爵夫人が指摘したことで、外にいる者たちからの開門を求める圧力が強まった。
頃合い良しと見て取ったウォーレスが後ろを振り向き、初めて声で指示を出す。
「総員、前へ!」
教団兵が前進を始める。
一応剣は鞘に納めているけれど、王宮へそのまま突入する様相だ。
「待て! そんなことを許すわけには……!」
慌てて警備の指揮官が止めようとするが……。
「構わぬ! 王太子殿下の御命である!」
エッダが重ねる。
それでも騎士が止めようとする。
「しかし聖女様! たとえ王太子の命でも、王国の騎士としてこのようなご無体な命令には……」
まだ言い募る騎士に、エッダが目を細めた。
「王命に逆らって、まだ騎士を名乗るかっ!」
優美な淑女から発せられた、百雷のごとき一喝。
それで押し問答の結論は定まった。
崩れ落ちた騎士を拘束して教団兵と貴族の有志連合が続々と王宮内へ進んでいく。門の警備兵も道案内と途中遭遇した兵の説得役で連れて行かれ、門番には代わりにウォーレスの率いてきた一部が配置についた。
伯爵夫人が皆の見ている前で、掲げていた書類をウォーレスへ手渡す。
「ウォーレス司祭、王太子殿下からお預かりした委任状をあなたに預けます。確実にココ様をお助け下さい」
「ははっ!」
うやうやしく受け取るウォーレスに、他人に聞こえない音量でエッダが囁いた。
(ウォーレス、そいつは家を出てくる前に適当な白紙を丸めて来ただけだから、間違っても至近距離で他人に見せるんじゃないわよ? その封緘、うちの紋章なんだから偽造が簡単にバレちまう)
(偽造どころか完全に別モノじゃないですか。相変わらずいい度胸ですね、伯爵夫人)
(女は度胸、男は愛嬌ってね)
(夫婦関係が偲ばれます)
この場の人間、みんなエッダの迫力に飲まれて忘れているけれど。
エッダに王宮の警備兵への指揮権は無い。
王国と教団の折衝をする権限も無い。
そもそも聖女は元職であって、今現在隠棲中の彼女に公的な肩書は何もない。
そして国王の命令と王太子の命令は似ているけれど同格じゃない。
でも勢いで押し切ったエッダの演技力の勝ち。
(聖女をやると、みんなこんな感じになるんですかねえ)
ココの“パンツ履いてない”事件を思い返しながら、ウォーレスは呆れたように首を振った。
ウォーレスは手渡された“委任状”を掲げた。
「王太子殿下の御意志は我らとともにあります! 立ちふさがる者には殿下のご命令であると知らしめ、それでも逆らう者はかまわず制圧しなさい!」
湧き上がる歓声と走り始める音を背に、ウォーレスはエッダとウォルサムに向きなおった。
「さて、と……それじゃ王宮内の公爵派を捕縛するのは鬱憤を晴らしたい貴族の皆様にお任せして、我々は殿下と聖女様に合流しましょう」
「ココちゃんがどこにいるのか、わかるの?」
エッダが首をかしげる。
この広大な王宮のどこに誰がいるのか、それすら把握するのは大変だ。
なのに監禁されているか公爵の隠れ家で暴れているかのココの場所が、そう簡単に特定できるのだろうか?
ウォーレスは口の端で笑みを見せると、広げた掌に青白い光を浮かべて見せた。
「聖女様みたいな大きな力じゃないですけれどね。私も一応高位聖職者の端くれですので、聖心力を使えるんです。聖女様が派手に力を使っていれば、私の方でもどの辺りにいるかは察知できるのですよ」
そんなことを考えもしなかったエッダとウォルサムは感心して、口々にウォーレスを褒め称えた。
「なるほどね! ウォーレスが神官なんて意識が無かったから、そんな方法は考えもしなかったわ!」
「上手いこと考えたものですな! それにしてもウォーレス様に聖心力を使えるような徳があるとは……いや私、思ってもみませんでした!」
「あの聖女様だって聖心力が使えるんですからね!? これでも聖職歴は伯爵夫人が聖女になる前からなんですけど!? いい加減にしないと泣きますよ、私!」
◆
王宮内の武力のバランスは完全に逆転した。
ウォーレスたちがセシルやココと再会できた今この瞬間にも、(臨時)王太子派が数にものを言わせてあちこちで公爵派を武装解除していっている。
公爵派といっても軍の命令系統を押さえているという話で、実際に公爵を支持しているのは騎士団や一部の積極的な貴族だけだ。騎士に指揮されている兵士たちは、指揮官を取り除いてしまえば無害無関係な庶民にすぎない。
一般兵はどんどんセシルの側に吸収され、公爵側の騎士は次々に拘束されて行っている。
公爵の手元にいた戦力も、半分近くはココに“物干し竿”で殴り倒された。
そして執務室の周りは教団兵と合流したナバロたちセシル直属の部下、集まって来たセシル側貴族に固められ、公爵には増援の見込みもない。
お互いに剣を抜いて睨みあってはいるが、公爵に与する者たちの動揺は隠しようもなかった。
「本当に、一寸先がどうなるかなんてわからないものですね。そう思いませんか、叔父上」
もはや自分で剣を構える必要もなくなったセシルが細剣を鞘に納める。
「まさに。だからこそ、まだ勝負はついていないぞセシル」
逆に公爵は、自ら抜刀して周囲の聖堂騎士を威嚇している。
公爵の周りの者たちも、急に不利になったことに動転しているが逃げる者はいない。騎士特有のヒロイズムというか、絶望的な状況になってもそれはそれで覚悟を決めているらしい。長年軍を指揮してきただけあって、公爵も部下からの人望はあるようだった。
「おっしゃる通りではありますが……王宮の中だけではなく、臣下も教会もこちらに付きました。先ほどの我々以上に今の叔父上たちは形勢が悪いように思えます」
セシルは王宮の外を握った剣の鞘で指した。
「しかも叔父上の企みは大々的に兵が動いたことで天下に曝け出されました。もう入れ替われば済むなんてレベルの話では無理ですよ? 降伏なさった方がよろしいかと思いますが」
セシルの勧告にも、公爵はこの状態になってなお余裕を見せた。
「ならば、正面から押し通るのみよ」
「……なんですと?」
セシルが警戒を顔に出した。
すでに総兵力でも公爵には勝ち目が無いはず。
それが正面突破とは……?
セシルは考えられる可能性を頭の中で次々検討してみるが、公爵の自信につながる情報が出てこない。
(最後の最後に奥の手か……)
叔父の不気味な発言に、セシルの背中を冷や汗が一筋流れ落ちた。
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