第71話 聖女様は夜間の備えもバッチリです

 大聖堂に帰って来たココはウォーレスと打ち合わせをすると、後は修道院に戻っていつも通りの日課をこなした。

「うーむ、ハーブの入ったソーセージってなかなかイケるな。もっとソーセージが夕食に出てくる頻度が高くならないかなあ」

 晩御飯のおかずに初お目見えした主菜を思い出してココが舌なめずりしていると、遠慮がちにノックの音がしてナタリアが顔を出した。消灯時間ももうすぐなのに、珍しい。

「どうした、ナッツ」

「こ、ココ様……」

 部屋に入って来たナタリアは、小さな子供みたいに枕を抱えている。

「……本当にどうした?」

「あの……夜中に刺客が来るんじゃないかと思うと、怖くて……一緒に寝て下さい!」


 ナタリアは二十歳。

 ココは十四歳。


「ナッツ、おまえ幾つだ」

「幾つになっても、怖いものは怖いですよ!? お化けや幽霊ならともかく、刺客なんて現実にあり得るから怖いんじゃないですか!」

「まあ、そりゃそうだ」

 ココは頭をポリポリ掻いてベッドを見た。

「じゃあ、私の代わりにここに寝るか?」

「代わりって……ココ様は?」

「うむ。私は」

 ココはナタリアが入って来た扉を指さした。

「今晩あたり刺客が来そうだから、他の部屋に寝ようと思って」

「ココ様だって怖いんじゃないですか!?」

「そういう理由で部屋を移るんじゃないんだけどな……」



   ◆



 緊急の指令を受けた五人の工作員たちは、時間がない中で支度を整えゴートランド大聖堂へ急いだ。全くバラバラに動く彼らは、副長官から直接の指示でゴートランド教の聖女の暗殺に動いている。

 ビネージュ王国の諜報部として普通に考えればありえない命令だが、正規のルートで指令が出た以上は実行しなければならない。この指令に至った背景は一応宮中の噂として耳にしているが……下らないと思う前に、そんなことに巻き込まれた不幸を嘆かずにはいられない代物だった。

 



 実際彼らはこの作戦に、漠然とした不安と掃け口の無い不満を抱えていた。


 ほんの少し前、王国諜報部の工作部門の半数以上を動員した最高機密の作戦が行われ……完全に失敗し、頭目を含む全員が未帰還となった。

 それ自体は仕方ないものの、いくら探し回っても失敗の要因も当日の経過もつかめない。二十数人もの工作員が跡形もなく消えたのも信じられない。

 彼らは失敗を悟った場合、生還は無理でも何かしらの情報を後日調べに来る仲間に遺すように叩き込まれている。それが全く残っていないということは、全員が劣勢を悟る時間もなく片付けられたということになる。


 また、最近宮廷では政界が波乱の季節を迎えており、諜報部も一枚岩とはいかなくなっていた。

 具体的に言えば、収集部門を支配する長官と工作部門を牛耳る副長官の対立である。そのせいで失踪した仲間を探すにも、彼らは情報収集を専門とする部内主流派の協力を得ることができなかった。王国上層部の政争に口を挟める身分ではないが、ここまで悪影響が出ていては内心非常に腹立たしい。

 そこに持ってきて、お偉いさんが当てこすりに腹を立てたというだけの理由で急遽決まったこの作戦だ。本来の業務に充てる人員もまるで不足してしまった今の状況で、こんな作戦にまた人数を割かねばならないとは……準備も足りないままに動員された彼らは、非常に士気の上がらない状態で敵地に乗り込むことになった。




 とはいえ、工作員たちもプロである。作戦に入るからには不平不満を切り捨てて、成功するよう動かなければならない。

 五人の工作員は事前に覚えてきた見取り図を参考に、大聖堂を自分の家のように慣れた足取りで歩き回る。そしてさりげなく参拝客や神官に紛れ込み、教皇庁内のマルグレード女子修道院に最も近い庁舎へ身を潜めた。

 まだ人々が動いている日中に、女子修道院へ男が侵入するのはリスクが高すぎる。幸い修道院と教皇庁をつなぐ連絡口付近の城壁は、彼らにとって障害と呼ぶほどの物でもない。人々の寝静まる時間まで彼らは気配を殺して物陰にひそみ、深夜を待った。



   ◆



 いつ何時でも信徒を受け入れるという建前から、大聖堂の正門から礼拝堂までの道筋はいつでも参拝できるように一日中開いている。だがその他の施設はそんな必要もないので、大体日没になると大聖堂はどの建物も扉を閉め、区画ごとの門も閉門する習わしになっていた。

 今日も監督係の司祭が見回りをする中、見習い神官や教皇庁の職員が戸締りを確認していく。マルグレード女子修道院への連絡口がある棟も、昼間は入退館を管理していた受付係が最後の入り口を施錠して管理棟へ帰ろうとしていた。


 全体を見回っていた当直の司祭がやってくる。それを出迎えた受付係がチェックを受けながら囁いた。

(ネズミは五匹、追加はありません。夜半まで待つ模様)

(了解した。ウォーレス様には想定通りと知らせる)

 扉を揺さぶって鍵のかかり具合を確認した司祭は受付係の肩を叩く。

「はい、確認できました。今日もご苦労様でした」

「いいええ。それでは司祭様、お疲れ様でした」

 二人の職員は朗らかに挨拶をし、それぞれ別の方向へ歩み去った。



   ◆



 ココは普段自分が使っているベッドが、聖女用に他より良い物が用意されていたことを知った。具体的に言うと、職員用の物より幅が広い。

「なあ、ナッツ」

「何ですか? ココ様」

「おまえイビキはかいたりする方?」

「えっ!? ……たぶん、無いと思うんですけど……」

 焦るナタリアの挙動がココに凄くよく伝わる。何しろ抱き合うように密着しているから。

「……なんていうか。広いベッドでくっついているのと、ギリギリの大きさでくっついているのでは……みっちり感が違うな」

「それって寝る時に必要ですか? 広々使った方が良いですよ」

「そう思うんなら自分の部屋へ戻れよ」

「いやです!」

 ココはナタリアに抱きつかれながら、ちらりと窓を見た。



 

 ナタリアには言っていないけど、夕方ウォーレスから来た最終の連絡では今晩やっぱり夜討ちがあるらしい。あのアホ公爵クソオヤジも手回しが良いことだ。


 大聖堂に侵入した段階でウォーレスの監視網に引っかかった王国の工作員は、消灯時間まで連絡通路の反対側で待機する構えだということだった。

 おそらく修道院の若い修道女たちが、院長の目を盗んで自室で夜なべしているのも計算に入れているだろう。ちゃんと寝静まるまで二、三時間待ってから、壁を乗り越えてくると思われる。

 だから連絡口脇の普段使われていない門番部屋にココが泊まり込み、聖女の部屋を目指してウロチョロする刺客どもを背後から襲う。そういう作戦なのだ。

 ココが暴れる騒ぎに合わせて、実は閂をかけなかった連絡口からウォーレスの指揮する警備兵も突入して来る。先日下町で戦った時の練度なら、ココが多少の時間稼ぎをすれば十分それで間に合うと思われた。


 ただ。


(どうしよっかなー……)

 ココは狭い召使用のベッドで、ココに頬ずりするようにくっついているナタリアを見る。

(実はここが刺客に当たる最前線だなんてなー……ナッツにどう説明したらいいものかなー……)

 めんどくさいことになるのは間違いない。


 伝え方についてあれこれちょっと悩んだ末。

(ま、その時はその時だ)

 お付きへの説明は、事後にすることに決めたココだった。



   ◆



 多数の神官や職員が常駐する大聖堂といえども、深夜帯に入ってだいぶ時間が経った今は物音ひとつしない。

 そんな中でかすかな音がどこからともなく響き、マルグレード女子修道院への連絡口の前に黒い影が五つ浮かび上がった。

(異常はないか?)

(問題ない)

(察知された様子もない)

 王国の工作員たちは簡単に状況を確認すると、夜の闇にそびえる内部区画の城壁を見上げた。

 大聖堂という城砦の中を区切るための、あくまでパーテーションの役割を果たすだけの石壁。せいぜい四メートルぐらいの高さだろう。

 頷きあうと一人が壁に手を突き、その肩にもう一人が乗った。そして残りが無事に壁の上に取り付き、仲間を引っ張り上げる。

(ここからが問題か)

(少し古い情報では聖女の部屋は最奥部だ)

(見回りは無いということだが……夜更かししている者の生活音に注意しろ)

 最後の打ち合わせを終え、彼らは壁の中へと飛び降りた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る