第72話 聖女様は夜釣りも楽しみです

 ココは暗闇の中で目を覚まし、気配を探っていた。

(来たな……)

 さすがに相手も玄人なので、城壁を乗り越えてくる気配はわからなかった。だが、部屋の横の正面玄関の扉が開いて五人も入ってくれば気配は感じられる。

 それでも天井裏のネズミ程度の存在感なので、一時倉庫に住んでいたココでなければ分からなかったかもしれない。聖女様は素直に感心した。

(なるほど、それでか。ネズミが五匹とはよく言ったものだ)

 そういう意味の例えではない。


 大聖堂の中にはまり込んだマルグレード女子修道院が、外部からの侵入者に無警戒なのはあちらさんも知っているだろう。だから連中は大胆に攻め込むはずだと、ウォーレスはそう睨んでいた。

 ココもそう思う。貴族か金持ちのお嬢さんばかりで、そもそもが泥棒・強盗への警戒心が薄い。ここの修道女ときたら、談話室の机に金目の物を置いたまま席をはずしてしまうぐらい呑気なのだ。

 仲間を大事にしているココでも換金できるルートがあったら自制心が心配なレベルでゆるゆるなので、舐めてかかっている連中は間違いなく警戒担当を置かずに攻撃に全振りして入って来るだろう。そこを後ろから叩く。

 そういう計画だったのだが……。


(ナッツめ……)

 侵入者の気配が全部奥へと進んでいったので、ココもそろそろ起きようと思ったら……。

 怖い、心配だとかほざいていたナタリアが、熟睡したままココをぬいぐるみ抱っこして離さない。

(離せ、このバカ!?)

 叩けば起きないことは無いだろうけど……起きたついでにナタリアが派手に気配を振り撒いたら、侵入者に察知される可能性が高い。そうしたらもう、連中のあとの行動が予測できない。

 仕方ないのでココはナタリアの指を一本一本はずして、腕をそーっと持ち上げる。時間と精神力が無駄になるなと思いながら、ココが慎重に作業していたら……。

「んんー……」

 工程が八割進行したところで、寝ぼけたナタリアがココを抱きしめ直してくれた。

(こんの、バカァァァァァッ!?)

 ココは六年付き合って初めて、ナタリアを殴りたくなった。




(聖女様は何をやっているんですか!?)

 連絡口の扉の前ではウォーレスが歯噛みしていた。

 敵工作員の侵入を目視し、さっそく極秘の通路などに隠れていた捕縛部隊が音も無く門前へ駆け集まった。不用意に音を立てぬように金属鎧なども身につけず、静音の為に布製の防刃衣やフェルト底のブーツで身を固めた彼らは戸締りをしていない筈の扉の前で聖女が乱闘を起こすのを待つ。迂遠なことだが、騒ぎが起こったのを耳にしないと女子修道院へ突入することができない。お役所仕事のツラさだ。


 ところが。

 入ってすぐの部屋で待ち構えている筈の、聖女様が騒ぐ様子が全くない。

 このままでは賊が修道院の奥深くまで入り込んでしまう。そうしたら捕縛部隊が駆け付けるのに時間がかかるし、修道女を人質にとるかもしれない。

(まさか聖女様、本気で寝ちゃったんじゃないでしょうね!?)

(どうします!?)

(ああ、もおおおおおっ!?)


 待ち伏せしている筈のココやウォーレスがそうやって足踏みしている間に。

 潜入に成功した王国諜報部の工作員たちは、まさかの事故に遭遇してしまった。



   ◆



 女子修道院の中まで入ってしまえば、教皇庁の見回りなどに煩わされることはない。そう考えて五人全員で前方だけを見て、聖女の部屋をめがけてじりじり前進していた工作員たち。

 そんなプロフェッショナルな彼らも、やはり人間。まさかの手落ちが出ることもある。


 居住区なので通路に並ぶ部屋に人の気配があるのは当たり前で、そのせいで気配を探る感覚が鈍っていたのかもしれない。

 そーっと無音で前進する工作員たち……が通り過ぎたばかりの扉がいきなりバタンと開いた。

「!」

 愕然として振り返る彼らの目の前に……。

「ふー、スッキリ!」

 ちょうど夜中に目を覚ましてトイレにこもっていたシスター・テレジアが呑気に手を拭きながら出てきた。


 ココにちょっかいを出して聖女と修道院長に散々にいびられてから、彼女も経験に学んでマルグレードで暮らしていく術を身につけた。

 “できるだけ空気になる”

 これだ。

 院長の目に止まらないように、あれだけ存在感の塊だった彼女は地道に努力して背景に同化するテクニックを身につけた。

 今ではうっかりすると、何でもない時にまで存在感を消してしまう事がある。

 そう、ちょうど今みたいに。




 爽快感に包まれたシスター・テレジアと、驚愕に目を見開いた工作員たちの視線が交差した。

 コンマ何秒かの思考停止の後、工作員たちは慌てて顔を見合わせ善後策を視線で語り合う。

(殺るか!?)

(待て! 貴族令嬢だとまずい!)

(しかし……!)

(拘束して出てきた部屋に放り込め!)

 彼らが方針を決めるまで、おそらく二秒も経っていなかっただろう。

 しかし、その時間でシスター・テレジアも我に返ってしまった。


 そして。




 マルグレード女子修道院どころか、大聖堂の外にまで響きそうな大音声でテレジアが悲鳴を上げた。


「キィィヤァァァアアアアアア! 痴漢よぉぉぉおおおおおおおっ!」


 工作員たちは愕然とした。

「まっ、おいっ!」

「静かにしてくれ、ちょっ、あんた!?」


 王国諜報部の表に出せぬ裏工作の為、彼ら闇の者はどんな非道なことでも眉一つ動かさずにやってきた。

 年端も行かぬ子供を殺すことも。

 証人を消すために建物に丸ごと放火することも。

 井戸に毒を投げ込むのも、人買いに売り飛ばすのも任務の為ならば何とも思わない。

 国の安寧のため、非合法な手段を駆使して汚名をかぶるのが彼らの仕事なのだから。


 だが、“痴漢”はいけない。


 どうせ活動が全部非合法なのだけど。

 やっていることは人には絶対言えない事しかないのだけど。

 悪逆非道を自任する彼らのポリシーでも、ソレだけは絶対にダメだった。


 痴漢だけは“極秘の工作で必要だった”なんて説明がつけられない。

 おまけに人に聞かれたら、冷笑と物笑いのタネになる類の犯罪だ。

 悪役な立場に酔うという自己満足なダンディズムにプライドを支えられているのが、破壊工作員という仕事だ。

 そんな彼らに取り、カッコ良くない痴漢の冤罪をかけられるのはたまったものではない。道化に堕ちてしまっては、アイデンディティが崩壊する。


 しかもこの修道女、とんでもなく声がデカい。

 耳元でラッパを吹かれているような盛大な悲鳴に鼓膜をやられながら、パニックになった工作員たちはこの女を黙らせようとするが……相手もパニックなので、全く黙ってくれない。

 もう“殺して口封じ”という手段も思いつかずにあたふたしている間に、当然爆音の悲鳴に叩き起こされた周囲の部屋の住人も次々飛び出してきて、最初のひとり同様に「痴漢が侵入した!」と騒ぎ始める……。


 最悪だった。

 もう収集がつかない。

 悪夢というか喜劇というか、経験が全く役に立たない状況の中で工作員たちは動転して話し合った。

「どうする!?」

「どうしようもないだろう!? 撤退だ、撤退する!」

 今更ここで騒いでいる修道女たちを殺したところで何にもならない。むしろ殺している時間がもったいない。


 この騒ぎで聖女がぐっすり寝ているなんて、いくら何でも彼らも思わなかった。

 目的が果たせない以上、この場に残る意味が無い。それぐらいなら次のチャンスを狙って再戦するべきだ。

 というか、踏みとどまったって残っているのは痴漢冤罪だけである。




 しかし、彼らは体験したことが無い異常事態に我を忘れて時間を浪費しすぎた。

 やっと逃走に移ろうとした彼らの前にはすでに……“本当の非常事態”に仰天して突入してきた、ココと捕縛部隊の大群が押し寄せてきていたのだった。

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