第70話 聖女様は喧嘩を売るのは得意です

 公爵が何度か小声で叱責するが、頭に血が上った青年は止まらない。そんな彼の咎めだてに対し、ココは初めは存在を無視するように公爵を見たまま口をつぐんでいた。

 しかし。


 止まらない若者が息継ぎをして、さらに言い募ろうとしたところへ。

「おだまりなさい」

 短く静かなココの声。

 それだけで、伯爵令息は機先を制されて声が出なくなった。

 急に声色の変わったココの一言には、それだけの怒気と重さが含まれていた。


 いつの間にか青年を正面に見据えたココは、とても十四歳に見えない厳しい顔で蔑むように年上の男を睨んでいる。その冷たい視線に射すくめられて、威勢の良かった令息は蛇に睨まれたカエルのように動けなくなった。

「貴殿は何か己の立場を誤解されているようですが……」

 急に静かになった空間で、ココの凛とした声のみが流れ出す。

「ゴートランド教において聖女は女神ライラ様の代理として位置づけられる者。教皇と、教理を統べる者です。お忘れか? 私は貴国の王を女神に代わり祝福する立場にあるのですよ」

 聖女が国王の上に当たると告げるココの言葉に、伯爵家令息はいまさらながらそのことを思い出して息をのんだ。

 ……当の昔に形骸化した儀式だけの話なんだけど、それを指摘できなかった以上はココの役者ぶりに飲まれたボンボンどもの負け。

「その私と王族である公爵(敬称抜き)が話しているところを遮るなど、貴殿こそ立場をおらぬのを理解できないのですか? しかも、本来であれば国賓への侮辱と言ってもよい欠礼を内々に済ませて差し上げようとしていたのを、と? それこそ貴族の籍にある者とは思えない認識でございますね」

 忘れていた常識を指摘され、硬直した青年は今さらながら震え始める。


 身分と血筋を重視する保守的な貴族階層だからこそ、ストリートチルドレンだったココを賤民と蔑むのだ。

 その理屈で言ったら、王族、準王族の公爵と聖女の会話に許しも得ずに割り込むなど……まさに身の程をわきまえない所業。


 おバカな青年貴族が道理を思い出す時間をたっぷりと取ったココは、頃合いを見てナタリアに目をやった。

「シスター・ナタリア」

「はっ、はい!」

 慌ててナタリアが進み出る。

「そもそも、この者はいったい何者ですか?」

「はっ!」

 と返事はしたものの……聞かれたナタリアは口ごもった。


 誰が見てもビネージュ貴族出身者な自分のお付きナタリアに、宮中にいる知らない者の人となりを尋ねる。

 なにもおかしくない行為なんだけど、問題はナタリアの知識。


 この伯爵令息を、ナタリアは誰だか知らない。

 ココよりは短いが、ナタリアもマルグレード女子修道院に六年入っているので外の世界を知らない。しかもその前はまだ子供だし、宮中に出入りしていない。

 顔だけ見たって何家の誰だかわからないのだ。


 こんな緊迫の場面だけど、仕方ないからナタリアは知りませんと言うしかない。とっさにもっともらしいごまかしをするには、ナタリアは素直過ぎた。

 でも、申し訳なさそうに「わかりません」と言われたココはなるほどと頷いた。

 実はそれこそが、今ココの欲しかった答えだから。


 自分の側付きから再び伯爵令息に視線を戻したココは、たっぷり嘲りを含んだ冷笑で青年を見据えた。

「なるほど、シスター・ナタリアの知らないほどでしたか。それではの押さえておくべき振る舞い方を知らなくても無理はない。仕方がないということに、

  そう言いながら、ココが後ろに回した手でナタリアに合図を出した。

「お話の途中に申し訳ございません。ココ様、そろそろ戻りませんと夕方の礼拝が……」

 事前の打ち合わせ通りナタリアが小声で声をかけ、それでココはだいぶ時間が経っているのに気が付いた(振りをした)。

 ココは優美に腰を折って暇乞いの礼をする。

「ああ、公爵様、思いがけず長居をしてしまいました。この後の予定に差し障りがありますので、私はこれで失礼させていただきますね」

「あ、ああ……大したお構いもできず、申し訳なかった」

 伯爵令息が余計なことをしてからの急転直下で、すっかり飲まれてしまったラグロス公爵が思わず普通に挨拶を返す。

 そんな公爵に、ココは含むところがある目つきでニンマリとほほ笑んだ。

「……差し出がましいことを申し上げますが、従者には日ごろから相応の躾をなさっておいた方がよろしいかと。たかがと言えど、者を連れ歩いては事になりかねませんから。それでは」

 それだけ言い捨ててココは退出の礼をすると、公爵の挨拶も待たずにさっさと玄関ホールに向けて歩いて行った。




 車寄せで馬車が廻されるのを待ちながら、ココは満足そうに囁いた。

「今日はまあまあ良かったな。セシルの無事は今のところ確認できたし、叔父貴とやらもいい感じに温まった」

「温まったって……完全に沸騰していたように思えますが」

 呆れたように言うナバロに、ココは鷹揚に頷いた。

「それでいいんだ。喧嘩の極意はな、相手の正気をまず吹き飛ばすことだ。理性的に考えられなくなったヤツは必ず大きなポカをするからな」

「頭に来るほど理性的になる人もいますけど」

「そうじゃないことを祈ろう」

 ココは走ってくる馬車を見ながら、楽しそうに手を擦り合わせた。

「これであの野心家オヤジが頭にきて、何か行動に出てくれれば動きが出る」

「揺さぶり方が危なすぎですよう」

 ナタリアに心配されて、ココが思い出したように振り向いた。

「そうだナバロ、見送りはいいからさっさと帰れ」

「はあ。しかし主の手前、ご出立を確認せずに帰るのも……」

「そんな悠長な話をしている場合じゃないぞ」

 ココが頬を掻いた。

「もっともバカにしている筈の私にいたぶられて、公爵もぶちギレる筈だからな。あの場で私に付き従っていたおまえやナッツを八つ当たりで殺しかねない。ヤツが茫然としているうちにセシルの執務室に逃げ込んだ方が良いぞ」

「ひぃっ!? わ、わかりました! 失礼します!」

 言われたとおりに急いで帰る騎士を見送り、ココは肩を竦めた。

「あの男も、もうちょっと気が回るようにならないとセシルの副官は務まらんなあ……ナッツ、どうした?」

「あの、私も命が危ないんですか……!?」

「心配するな、公爵も馬鹿じゃない。こんなみんな見てる場所へ刺客なんか差し向けて来るか。今襲ったら、誰が考えたって公爵が差し向けたとしか思えないだろ? 来るなら寝静まった夜中に修道院へ侵入してくる」

「全然大丈夫じゃないですよ、それ!?」

「セシルが頼んだらおまえら、『命に代えても』なんて安請け合いしてたじゃないか。言ったからには責任を持て」 

「それはそうですけど!? 確かに言いましたけど!?」

「ほら、置いてくぞ」

 慌てふためく修道女をやって来た馬車に押し込み、ココはひさしぶりの王宮を清々しい気分で後にした。



   ◆



 一方その頃、我に返ったラグロス公爵は大いに荒れていた。


 さすがに無関係な廷臣たちに見られている廊下では自重したが、足早に執務室に引き返し、扉が閉まった途端に執務机を蹴りつけた。

 一瞬浮き上がった机が派手な音を立てて滑るのを横目に、腹立ちの収まらない公爵は剣を握りしめて吠える。

「くそぉぉおおっ! あの女、ただじゃ済まさん!」

 四十余年生きてきて、これほどの恥辱は初めてだ。戦場でまみえた敵方からでさえ、このような辱めを受けたことはない。

 ゴートランド教の教皇タヌキには目を光らせていたつもりだったが、ヤツの操り人形と言われていた聖女までもがこれほどの女狐だったとは……。

 付いて来た伯爵家のバカ息子も涙ながらに訴える。

「このような、このようなことがあっていいのでしょうか!? あの女は庶民とさえ言えない卑しい生まれなのですよ! それが、こともあろうに伯爵家の私を従僕と間違え、さらには上から目線で脅迫した上に……言うに事欠いて育ちが悪いお里が知れるだなどと! 殿下、どうかあの身の程知らずに天罰をあたグフォッ!?」

「貴様はそれだけバカにされるだけのことをやらかしたであろうが、痴れ者が!」

 公爵は聖女ヤツに畳み込まれる原因になった使えない腰巾着を殴り飛ばして追い出すと、控えていた護衛に諜報部で実行部隊を統括する子爵を呼び出すように命じた。

 騎士が出ていき、一人になった公爵は悪鬼の様な形相で歯ぎしりをする。

「セシルの前に、あのクソガキだ! まずはあの悪女を血祭りにあげてセシルの面前にぶら下げ、孤立無援の恐怖をたっぷり味あわせてから始末してくれる!」

 

 公爵はそう決意すると、収まらない苛立ちをぶつけるかのように机を激しく殴りつけた。


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