第54話 聖女様は最近の噂を手に入れます

 飲んでいるあいだ中イイ笑顔だったエッダが顔色を曇らせた。空のカップを手の中で回しながら、重い口調で話し始める。

「それがねー……ちょっと、きな臭いのよね」

 独白のようなエッダの返事に、ココも気持ち目つきを鋭くする。

「……宮廷でゴートランド教と事を構えようってヤツが出て来たのか?」


 エッダは社交界でもっとも持てはやされる時期を聖女で過ごしたという特殊な事情があるので、宮廷での社交の最前線からは距離を置いている。

 だけど半隠棲に見せかけて、持ち前の好奇心うわさ好き人心掌握能力なれなれしさで宮中のアングラな情報をすくい上げているのだ。

 教団とは別のラインで外部の情報を知らせてくれる先代を、ココは大いに頼りにしていた。


 エッダは酒瓶をひっくり返し、最後に残った僅かをカップに集めた。

「まだそっちだったら、王国貴族としては気が楽だったんだけどねー……」

 ナタリアには見せなかったマジメな顔で、エッダは瓶を置くと人差し指を天に向けた。


「首謀者が誰なのか、どうにもはっきりしないんだけど……嫌な雰囲気になってきているのは王子様の身辺よ」



   ◆



 ココは机に頬杖を突いたまま、ペンの尻で机の天板を規則的に叩き続けていた。


 セシル王太子を排除する動きがある。


 前聖女のエッダ・エインズワース伯爵夫人の情報はちょっとにわかには信じがたいものだった。

 ココは彼女の情報の信頼性は疑っていない。それをココに教えたということは、その前にエッダが吟味して確かな情報だと判断したことを示している。下町長屋の井戸端会議みたいに、出所も精度も怪しいゴシップを垂れ流しにするオバちゃんたちの持ちネタとはモノが違う。

 だからそれは信用したうえで、セシルをどうにかしようとしている連中の考えていることが信じられないのだ。

(セシルを潰して……あとはどうするつもりだ? 替わりがいないじゃないか)

 セシルは一人っ子。そしてビネージュ王国この国では直系が絶えたことが無かった為、今までは遡って王位継承権を与えるということをして来なかった。王族は確かに他にもいるけれど、今の内からセシルの養子に入ってでもないと継承はすんなり認められないだろう。

 もちろん後継ぎがいないから王家が断絶なんてわけにもいかないだろうけど、土壇場になってから先例の無いことをしようとすれば当然混乱するはず。セシルの代わりの後継者を決定するには、相当な時間がかかりそうなのはココにも予想できた。


 もっとも現状ではエッダの情報も、“セシルの排除”が意味するところが“殺す”なのか“幽閉”なのかもわかっていない。いかんせん情報が少なすぎる。

「だけど姉御が“ありえる”って判断したんだから、確実に機運は高まっているんだろうな」

 セシルを“なんとか”して、どう取り繕って何をやりたいのか? 

「このあやふやな情報じゃあ、セシルに注意を促すわけにも行かないしなあ」


 どうしたものか。


 ココは頭を悩ませ、深々と息を吐いた。

 そしてしばらく考えた結果、ココは大事なことに気が付いた。

「おいおい、よく考えたらせっかく午後の予定が無くってナッツもいないんじゃないか。セシルなんかに無駄な時間を使ってないで、有意義に街へ繰り出すか!」


 自主休暇を取れる貴重な機会。

 王子なんかに使っているのはもったいない、と。



   ◆



 今日は良いことばかりだ。

 ココは熱々のピロシキをかじりながら頬を緩めた。

 

 予定が偶然空いて、ナタリアも昨日の酒宴の失態を女神に懺悔する為に礼拝堂へ籠ってしまった……というかナタリアが帰ってくるなり青い顔で神に祈り始めたので、予定が丸ごと吹っ飛んだ。

 午後も早い時間に“外出”したので参拝者が多く、門の警戒も緩かった。

 市場に着いたのがちょうどいい時間で、ピロシキ屋台で一番人気のヤノシュ親方の店が昼に売り切れた分を補充し始めたところだった。

 そして今、肉屋通りを冷やかしていたら豚を捌いた店が串焼きを始めるのを発見した。

 良くある粗塩を振ったヤツじゃなくて、香辛料を混ぜた魚醤ガルムで漬け焼きしながら炙る新しいタイプの贅沢なヤツ。一回食べてみたかったのだ。

「いやあ、思いがけずガルム味が食べられるとは運がいい。今日はなんだか運が良すぎて後が怖いぐらいだ……なーんてな、ハハハ」

 右手にピロシキ、左手に串焼きを持って頬張るココが思わず独り言を漏らした時……。

「ココじゃないか!」

 聞き覚えがあるとともに、今ものすごく会いたくない知り合いの声が。


(……言霊ことだまって、怖いなぁ……)


 余計な一言フラグなんか漏らすんじゃなかった。

 呼びかけに気づかないふりして無視していたら、さらに肩も叩かれた。

 これはもう、しらばっくれるのは無理だ。

「はぁー……」

 観念して振り向いたココの目の前に、いつもココを不機嫌にさせる男・セシルがにこやかに立っていた。




 今日のセシルはお忍びで街歩きと見え、地味な服装になっている。

 いまいちどういう立場に偽装しているか判らない、ただ目立ちにくいだけの格好だけど……見た感じ、意外と周りの風景には溶け込んでいた。ココの完璧下町娘スタイルには負けるが。

「よくわかったな」

 ココが全然歓迎していない顔で睨みつけてやるが、イケメン王子は涼しい顔。

「先日のおまえの脱走騒ぎでその偽装は見ているからな。一度見ておけば走っていても見落とすものか」

「走っていて?」

 言われてみれば、なんだか息を弾ませている気がする。変態がハアハア言っているのは良くある話だから、運動によるものとは思いつかなかった。

「おまえが走るって、どういうことだ?」

「ああ、実はちょっとな……と、そうだった。呑気に話している場合じゃなかった」

 ココの質問で何かを思い出したらしく、王子は急に挙動不審になるとあっさり引き下がろうとした。

 いつもココが激発するまでからかうのに、珍しい。

 そして王子の態度の中に、ココの第六感にピーンッとくるものがある。

「セシル……お前追われているな? 何をやらかした?」

「おいおい、ココじゃあるまいし。俺がやらかすだなんて……」


 セシルが追われている。

 何かやらかしたっぽい。

 けれどココには余裕があるように取り繕っている。


(ふむ。これは……女だな?)

 条件を並べると、ココに言い寄るいつもの態度で宮中でも令嬢に粉をかけて回っていたと見える。そして口先だけなことがバレて、逆上した女に追いかけられていると。

(ほほう……調子こいてるセシルも、とうとうドジを踏んだか)


 

 すました顔でいるけれど、内心焦りまくっているのがまるわかりだ。

 偶然ココに見られたのがそんなに後ろめたいのか、コイツセシルがこれだけ動揺しているのも珍しい。

 それを思うと、ココは心中に意地の悪い笑いが湧き上がってきて仕方がない……ついでに、よくわからないチクッとした痛みも。

(ま、セシルがどんな火遊びしてようと私にゃ関係ない話だけどな)

 そうは言いつつ何かよくわからないが、なんかみぞおちの辺りがむかむかする。

 王子の態度にムカつく気持ちを持て余していると、セシルが不意に後ろを気にしてソワソワし出した。

「ちょっと用事があるので、これで失礼するよ。デートでどこに行くかは、また時間がある時にゆっくり話そうか……それじゃ!」

 

 やっぱりおかしい。


 引き際が良すぎるとか言う以前に、コイツが人の返事を待たずに腰を上げるといううのがありえない。

(追手がよっぽど強烈なご令嬢なのか? 変なのに手を出すから……)

 

 セシルもおかしかったけど、ココも今日はおかしいのかもしれない。

 王子様が女を弄んで追われているのかも……と思ったら、なぜか嫌がらせをしたくて仕方が無くなった。




 ココは足早に去ろうとするセシルの歩む直前へそっと足を出し、ひっかける。

「うおっ!?」

 気持ちに余裕がなかったのか、あの慎重なセシルが足元を確認せずに見事ひっかかってすっ転んだ。

「おっと大丈夫か、セシル。下町の雑然とした道なんか走るもんじゃないぞ」

 見事に引っかかった王太子をココが軽く煽ってやったら、王子はそれどころじゃないという感じに慌てて起き上がろうとする。

「バ、バカッ!? 今は遊んでいるどころじゃ……!?」

「ん?」

 一転して慌てているのを表に出したセシル。やっぱり何かがおかしい。

 その様子にココが首を捻った瞬間、何かが目の前を通り過ぎた。

「なんだ?」

 地面を確認すると、職人が置きっぱなしの木の板に短剣が突き刺さっている。

 ココは思わずしげしげと眺め、それから視線の先を王子に転じた。

「……王族に向けて刃物まで持ち出されるなんて、おまえいったい誰をどんなふうに振ったんだよ?」

「なんで女関係だけに限定するんだ!?」

 王子は跳ねるように立ち上がると、ココの手を掴んで走り始めた。

「俺に居られちゃ都合が悪い連中が実力行使に出始めたんだよ!」

「……そう言えば、そんな話もあったなあ」


 事ここに至って、ココもやっと昼過ぎまで思い悩んでいた話題を思い出した。

「しまったなー……」

 王子に強引に引っ張られながら、ココは思わず舌打ちを漏らす。

「気づかないふりして、さっさと無関係な住民を装えばよかった」

「今さら遅いからな。一蓮托生だぞ!」

 後ろを見れば、マントを羽織った男が距離を詰めようと追いかけてくるのが見える。

 

 今日のは、完全にココの自業自得だ。


 余計なことはするもんじゃない。ココは後悔のため息をつきながら、引っ張る王子の手を振り払って自力で走り始めた。

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