第55話 聖女様は王子に地元を案内します

 迷路のように入り組んだ路地をココたちは疾走する。

 吊り下がった洗濯物をくぐり、路肩のガラクタを避け、時には小物を蹴散らしながら貧民街を駆け抜ける。時々出くわした住民が目を丸くして見送るけど、彼らは見ているだけで何もしてこない。追う人間も追われる人間もこの辺りじゃ珍しくもないのだ。いちいち詮索をしに、しゃしゃり出てくるような住民はいない。

 だから、後ろから付いてくるヤツは全て敵だと思って間違いはない。

「クソッ! 二、三人脱落したのにまだいるぞ!? こんな組織力のある奴らって、どこの誰だよコイツら!?」

「なんとなく予想はついているんだが、確信なしにはちょっと口に出すのははばかられる!」

「おまえがそんな遠慮をする段階で、国レベルのヤバいヤツってのはわかったよ! 畜生、おまえどこの姫君を孕ませたんだ!」

「女関係じゃないって言ってるだろ! だいたい俺は女は嫌いなんだ!」

「じゃあ私は何なんだ!?」

「おまえは“ココ”枠!」

「ありがたくって涙が出て来るな!? 今すぐ縁を切りたいぜ、まったく!」

 久しぶりに現れたT字路で二人は急角度で道を曲がる。だが三十歩ほど遅れて走る暗殺者もその程度で撒かれるようなバカじゃない。飛び込んで不意打ちを食らわないように大回りしつつ角を曲がり……意外と近くを走る二人の背中に意識を取られ、足首の高さに渡された木の棒に引っかかって転倒した。


 半歩遅れて走るセシルは臨機応変なココのブービートラップに感心しきりだ。

「おまえ瞬時も気が抜けない逃走をしながら、よく次から次へとアイデアが出て来るな」

「この辺りはストリートチルドレン時代のだしな。市場の自警団や屋台のおっちゃんと鬼ごっこしていたから、経験はたっぷりある」

「実戦経験って……」

「で、どうだ?」

「だめだ。あいつら、仲間の救助もしない」

 固定した木の棒の下に爪先を突っ込んで転倒すれば、下手すれば足首を骨折しているかもしれない。タダでさえ全身強打して動けない仲間を見捨て、他の者は追跡してくる方に全振りだ。

「相当に躾の行き届いた犬どもだ」

「引き剥がすのは無理か……」

「ああ」

 一度頷いたココが含むところがある笑顔でニタリと笑う。

方法ではな……セシル、私は全力で逃走にかかるぞ!? 付いて来る気があったら私の二歩後ろに付いてタイミングを見てろ! 失敗したら死ぬし、おまえが躊躇ったら見捨てて逃げる!」

「おまえの本気かよ!? 難度高いな……わかった!」

 返事を待たずに速度を上げたココの後ろへ、セシルはもう後ろも振り返らずにピタリと付けた。



   ◆



 王子を追う部下の報告が来るたびに、頭目はどんどん悪化する状況の変化に気が狂いそうだった。

「なぜだ!? 念を入れて十人も充てがったんだぞ!?」

 政庁民政官の管轄部署さえ持っていない下町の見取り図を前に、頭目は唸り声を上げる。


 半数に王子を直接追跡させ、すぐに殺せなくても残りが大きく囲んでじわじわ包囲するはずだった。ところが王子は異様な速さで貧民街を駆け抜け、その間に妨害工作で四人も脱落してしまった。

 現状では包囲に当たる筈だったメンバーまで追跡班に投入し、さらに外側へ本来護衛の攪乱に使っていた組を再配置している。邪魔する者がいなくなった王子の護衛は援軍を呼び寄せ、十分な人数を揃えて救出を図るだろう。元より短時間で済ませなければならない任務だが、残り時間は更にタイトになった。

「お頭! 一人戻ってきました」

 テント倉庫に見せかけた作戦本部へ、負傷した部下が担ぎ込まれてきた。

「おい、現場はどうなっているんだ!?」

 ドジを踏んだ部下に頭目は苛つきをぶつけるが。

「奴ら、イカれてます!」

 信じられないものを見たという顔でへたり込む部下の様子に、頭目と本部班は言葉に詰まった。

「……イカれているって、どういうふうに?」

 やっと言葉を搾り出した頭目に催促され、追跡していた男は何を目撃したかを話し始めた。




 下町の労働者っぽい少女が走る後ろを王子がついて行く。陰から付いていた護衛なのだろう。見事な偽装だが、正体を現した今の動きは練達者のそれだ。

 失敗した。

 慌てた王子が貧民街に逃げ込んだ時は檻に追い詰めたつもりになったものだが、そこに非常事態の用意がしてあったわけだ。さすがに英才と言われる王子だけある。

 だが、追跡する自分たちも“本職”の精鋭たち。腕が同程度ならば、人数がいるのは圧倒的に有利になる。

 王子の準備など別に慌てるほどの話でもない。戦えるものが一人では、集団で襲い掛かる自分たちの前にはわずかな抵抗でしかない

 ……と思っていた時期が、彼らにも確かにあった。


 一般市民を偽装する余裕はあっという間になくなった。

「なんだよ、あいつ!?」

 先頭を行く者が、次々バカみたいな罠に嵌まって脱落していく。仕掛け自体はちゃちな代物だが、こちらの被害は大きい。引っかかった者はすぐには立ち上がれないほどのダメージを受けて、次々路上に転がり行動不能になっている。

 現場の有り合わせの物でこれだけやれる王子の部下の腕前に、追跡者たちは舌を巻いた。


 彼らも手練れなのに、その簡単な仕掛けを見抜けない。

 からくりは判っている。王子と護衛が見事な視線誘導で罠の存在を気取らせないようにしているからだ。彼らの動きを注視すると視界の外から一撃喰らわされる。目を離せばたちまち見失う。どっちに転んでも洒落にならない。

「……森の中とかならともかく、ここは市街地だぞ!?」

「王子が後ろってどういうことだ!? アイツは護衛じゃなくて逃がし屋か何かか!?」

「なんで王子があんな動きについて行けるんだよ!?」

 悲鳴のような呻きを上げ、男たちは必死で追いすがった。



 

「……やっかいな護衛が付いていたな」

 そんな者が王子の直臣の中にいたなんて情報が無かった。

 計算外の要素に頭目が苦い顔になると、報告した部下が情けない顔で首を振った。

「いえ、お頭……それはまだ前置きで」

「前置き!?」



   ◆



 宣言したとおり、ココの本気の逃走は常識をはずれていた。

 路地を爆走し、勢いをつけてを走り抜ける。

 そのまま板塀の上を通り抜けると窓枠を踏み台に屋上へ飛び移り、足元の傾斜がきついのも構わず切妻屋根を疾走する。

 屋根の終端になってもスピードは落とさず、むしろその速度を利用して宙を飛ぶ。そして通りを挟んだ対面の屋根に着地。着地の際も膝のばねで衝撃を和らげることもせず、逆にその勢いを保ったまま前転して次の瞬間には起き上がって現場を走り去った。


 動きは見える。

 しかし如何に経験豊富な刺客でも、あんなデタラメな逃走について行ける技術なんか無い。何の道具も使わず建物の外側を自在に駆け回り、しかも地上を走っている時と同じような速度で駆けていく。もう人間の動きとは思えない。

 追尾を諦めた者が短剣を投擲するけど、動きが予測できないのだから見当違いな方にしか投げられない。下を走って追跡しようにも、地面に降りた頃には見えなくなっている。追いかける者たちは、八方ふさがりだった。




 結構走ったけどちゃんとついて来れる王太子を、ココはちょっと見直した。

「おまえ意外とやるな」

 ここまでの動きを考えれば、“意外と”どころではない。

「これでも日ごろから鍛錬を怠らないんでな」

 後ろからは疲労を感じさせない、わりとしっかりした返事が返ってくる。

「おまえのとこの騎士団って、こんなことまでやってんの?」

「馬鹿言え、ナバロたちにこんな動きができるものか。俺はココをどこまでも追いかけることができるよう、おまえの挙動に絞ってトレーニングしてる」

「最高に気持ち悪いな!? 褒めて損した! 変態ストーカーが努力するんじゃない!」

「栄光を掴みとれるのは、人より努力をした者だけだ」

「変態で世襲のボンボンのくせにまともなことを……!」

 ココが歯噛みしていると、今度はセシルの方から声をかけてきた。

「なあココ。こうして二人で逃げているとさ」

「ん? なんだ?」

「いや、な」

 自分から言い出しておいて、王太子はちょっと照れ臭そうに口ごもった。

「この呼吸の合いっぷり、まるで長年連れ添った熟年夫婦が借金取りから逃げているみたいじゃないか? やっぱり俺たち、お似合いだよな」

「なあ、お手々握って夜逃げしているのがおまえの理想の夫婦像なのか!? それでいいのか王子様!?」 

「財布が病める時も健やかなる時も、共に過ごすことを誓います……なんてな」

「財布より先に心を病んでるな! ていうか、ずいぶん余裕あるなオマエ!?」

 罵りながらココは一階分下の屋根に飛び降り、危なげ無く王子様も後に続いた。



   ◆



 報告を聞いた頭目は開いた口がふさがらなかった。

「……おい、我々が追っているのは本当に本物の王子なのか……!?」

「影武者ではない……筈です。いや、それ以前に王子の影武者にこんな真似はできません」

「なんて規格外におかしな連中なんだ……」

 作戦本部の空気も当初の“粛々と仕事を完成させる”、という冷静沈着な雰囲気から一変してだいぶ浮足立っている。正直予想外の進行過ぎて、半分パニック状態になっていた。

 それだけならまだいいが、最悪の事態を示す“失敗”の文字さえ彼らの脳裏に点滅し始めている。

「まずい、まずいぞ……」

 頭目が額を押さえたところで、次の報告者が飛び込んできた。

「お頭、王子の現在位置なんですが……!?」

 部下の指し示す場所を見た頭目は一瞬凍り付き……次の瞬間、隠密行動なのも忘れて地図を載せた卓を蹴り飛ばした。

「なんたる、ことだ……っ!」

 搾り出すように叫んだ指揮官は、周りで顔色を無くす男たちに吠えるように命令を下した。

「どうせ貧民街の住民どもしか見ていない! 目立ってもいい、とにかく全員で王子を取り囲んで包囲網を狭めていく! 極秘裏になんて無理だ。押し包んで力任せで殺りに行くぞ! 俺たちも出る!」

 慌ただしく出ていく部下たちの後に続きながら……頭目はもう一度、倒れた卓を蹴りつけた。

「……クソォッ!」




 最後に王子たちが確認された場所は、新しい包囲網さえ突き破った外側に位置していた。

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