第53話 お付きは耐えられない現実にはっちゃけます

「あの……もう一度言ってもらってもよろしいですか?」

「もう、何度も言わせないでよ」

 愕然としたナタリアの反問に、さすがにちょっと赤くなったエッダが後輩の肩を小突く。

「だ・か・ら、私もアーサーもいちばん“お盛ん”な時期なんだもの。十二年も一人寝に耐えられるわけ無いじゃない」

「……それって、その……聖女の任にあった時に、あの、異性と間違いを犯した……と言う意味に聞こえるのですが……?」

「違う違う」

 伯爵夫人は笑って打ち消した。

「もちろんアーサー一筋なんだから、他の男と間違いを犯すはずが無いじゃない」

「そういう意味では……じゃ、じゃあ、アーサー様とは?」

「そりゃあ、もちろん」

 前の聖女はビシッと親指を立てて、決め顔で言い放った。

「ヤリまくりよ!」

「は、はああぁぁぁぁぁぁっ!?」

 さすがに音量が大きすぎるナタリアの叫び声に、ココが慌ててお供の口を両手でふさいだ。

「ナッツ、声デカすぎ」

「って言われましても!? エ、エッダ様! 冗談ですよね!?」

「なわけ無いじゃない。隙と時間を見つけてヤリまくりよ!」

「えええええっ⁉」

「だからナッツ、騒ぐなっての」


 卒倒しそうなナタリアの困惑を放っておいて、元聖女は昔の“やんちゃ”をどこか誇らしげに振り返る。

「いやね? 結婚確定間違いなしって言うことで、まだ式の前だったけど私とアーサーは……まあ関係を持っちゃっていてね」

 ちなみに婚約者同士と言えど、家の都合でいつひっくり返るか判らないのが貴族の婚約だ。なので「実績」を作るのは式を済ませてからの方が望ましい。

「しかも! 私たち“相性”が良かったのよね!」

「相性って……?」

 ナタリアはまだ未経験オコサマ

「それでもう、子供出来たって式が早まって好都合だぜ! ぐらいの気持ちでサルみたいにやりまくっていたら、あの神託でしょ? おぼえたての若い二人が急にストップ掛けられるかっつーの」

 鼻息荒く二十年前の件のカミングアウトをサラッと済ませた伯爵夫人は、こぶしを握り込んで力説する。

「だから別れたくない以前にどうしても離れがたくって、思い余ってアーサーが護衛の名目で大聖堂に潜りこんだのよね」

「そ、そんな理由だったんですか……」

「実はそうなのよ。ほら、姫一人に忠誠を誓う騎士って女子向けの騎士道物語とかで大ウケじゃない? 私たちの件も美談で喧伝されて、おかげで修道院の男子禁制なんかも意外と簡単に甘くなったわ」

「……」

「まあでも、自由にならない身の上でも工夫次第で何とかなるものねー。私もアーサーも、どこなら人が来ないか、どうしたら人目につかないかを常に探し回っていたわ! 大変だったけど……今思えば充実した十二年だったわね!」

「……」

「真夜中に抜け出してこっそり通用門を開けちゃったり、絶対人が来ないと思ってた場所にその時に限って人が来ちゃったり……でも、あの生活でわかったわ。障害とスリルがあった方が燃えるって!」

「……」

「だから今でも『あ、最近マンネリだな』と思ったら昔の法衣で“聖女と騎士の禁断プレイ”をしちゃったり? やっぱり燃えるわよぉ……最近はそこからさらに捻って編み出した、“お付き修道女と警護騎士のあやまちプレイ”なんかもイケるわね!」

「……」

「まあおかげで聖女を降りた後も同じ勢いで頑張ってたら、八年で六人も子供出来ちゃったんだけどね。でもまだ作るわ!」

「姉御、姉御」

「なに、ココちゃん?」

 語っていたエッダが横を見たら、床に手を突いたナタリアをココが介抱している。

「ナッツがもう目を回してる。話について来れてないぞ」




 さめざめと泣くナタリアのカップにココが酒を注ぐと、憧れに裏切られた修道女が悲嘆にくれながらグイッとあおる。さっきからその繰り返しだ。

「ううう、綺麗な物語に感動していた私の憧憬を返して!」

「そんなこと言ったって、“神話”の現実はそんなもんだぜ?」

「社会の常識みたいに言わないで下さい!」

 とうとうココの手から瓶を奪い取ってラッパ飲みを始めるナタリアに、エッダが肩を竦める。

「世の中、イイ話にはだいたい裏があるもんじゃないの」

「なにもよりによって聖女様が、人に見せられないような“やらかし”をぶっこんでくること無いじゃないですか!」

 ぐうの音も出ない正論。

「聖女様って言ったら神聖と貞淑の象徴ですよ! それが、任期の間ずっと危ない橋を渡っていけない事に勤しんでいたって……修道院長シスター・ベロニカとかに見つかってたらどうするつもりだったんですか! 大陸全土を揺るがす大スキャンダルですよ!」

「ナッツ、ナッツ」

 ナタリアの大騒ぎを、今の話を聞いても全然驚いていないココが遮る。

「なんれすか、ココ様」

「そんなに頑張ってて、十二年も全く誰にも感づかれないはずないだろ」

「……はい?」

「少なくとも、教皇ジジイ修道院長ババアは姉御の火遊びを知ってたと思うぞ?」

「…………はあぁぁぁぁぁ!?」

 酔いのせいで何拍か遅れて反応した側付きに、世の中裏通りのほうが馴染みがある聖女様が酔い覚ましの果実水を渡した。

「だっておかしいだろ? 王国の騎士団にも入ってなかった伯爵家の御曹司を、いきなり聖女護衛の聖堂騎士にするとか。ウォルサムたち、頭はボンクラだけど腕は騎士団でも上の方だと見込まれて私の警護についてんだからな?」

「……あっ」

「あのババアが聖女一筋だから大丈夫って理屈だけで、女子修道院に条件付きでも立ち入る許可を出すのもありえないだろ。そもそも民衆受けがいいからって、教皇庁みたいな巨大な官僚組織が簡単に人気取りの例外を認めたりするもんか」

「え……? じゃあ、どうして……」

 醒めた顔のココが、人の悪い顔で笑っている前任者に顎をしゃくった。

「姉御と旦那が、別れたらとても耐えられない! って大騒ぎしたんだよ」


「ま、私も藪蛇にしたくないからきちんと確認したわけじゃないけど。大方裏はそんなところでしょうね」

 新しい瓶を開けながら、エッダが昔を思い出してニヤニヤする。

「聖女って、女神様からのご指名だからね。そこにたまたま私が当たっちゃって、女神様の神託でも離れ離れはとても無理! ってやったわけよ」

 カップに満たした酒を一息で飲んで、美味そうに唇を舐める前聖女。

「無理やり引きはがすのは簡単だけど、それで聖務を放棄されちゃうとね。それどころか駆け落ち、最悪心中までされたら教団はとんでもないダメージを負うわね」

 腹が真っ黒な聖女がココだけじゃないことに言葉もないナタリアに、元職と現職の聖女が二人でカップを掲げてみせた。

「教皇庁の主流は世俗派だからね。原則論をごり押しして状況を破綻させるより、影響が広がらないなら黙認しちゃうのも手ってわけよ」

「ナッツだってつき合い長いんだ、ジジイとババアが意外と現実主義者で保身に走りがちなのは知ってるだろ? 姉御の旦那が他の修道女に手を出すような男じゃなければ、それもアリってことだな」

「で、でも……子供ができちゃったら……」

 聖女が万一にでも妊娠したら……駆け落ちよりさらに上のスキャンダルになるのでは?

 ナタリアがそれを言いかけたら。

「それがね」

 ココに“使い方”を教えた前任者エッダの視線を受けて、何を言いたいか理解した聖女様が指先に力を込める。

 青白い光が走り、手づかみで食べた酒肴で汚れた指先が一瞬できれいになる。それどころか指先につまんだ布巾まで。ココが外出のたびに使っている聖心力による“浄化”の効果を、ナタリアは今初めて目にした。

「この通りなのよ」

 茫然とココの指先を見つめるナタリアの前で、新旧の聖女がポーズを決めた。

「あって良かった聖心力! 頑固な汚れもスパッと一発!」

「女神の力で避妊も楽々! ついでに現場も証拠隠滅!」

「な、な、な……大事な神の力を何に使ってるんですか!?」

「明るい家族計画?」

「風呂に入れないときに便利だぞ」

「最悪だ、この人たち!」



   ◆



「ナッちゃん、はじけたわねー」

「まあナッツは良識派だからな。社会の闇に耐えられなかったんだろ」

 社会の闇がイコール聖女の胸の内、というのは置いておいて。

 行き倒れのように床にうつぶせに寝ている修道女を肴に、二人の聖女は静かにカップを傾けていた。

「明日の朝、起きた時に今日のことを覚えているかな」

「忘れていた方がいいんじゃない?」

「私としてはむしろ見せてやりたいな。ナッツが泥酔した勢いで、ノリノリで尻文字を書く姿はなかなかインパクトがあった」

「YとLを繋げて書くのはどうしてもクリアできなかったわね」

「それも面白かったけどなー……ナッツが正気に戻った時に、女神ライラの名前を尻で書いてた現実に向き合えるかの方が楽しみなんだ」

「ココちゃん、悪趣味ー」


 ひとしきり二人で笑って。

 杯代わりのティーカップを置いたココが、エッダにあらためて向き直った。

「それで姉御。どうよ、最近の宮中の方は?」

 ナタリアも潰れたので、ココが訪問の本題を切り出した。

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