第52話 聖女様は楽屋ネタに興じます
ティーカップを手に、ナタリアが沈み込む。
「ココ様とエッダ様の関係が良いのって……」
横では聖女と元聖女が大はしゃぎで近況を報告し合っている。
ソファの上に胡坐をかいて飲みながら、ゲタゲタ笑ってお互いの肩をどつき合う。その様子は貴婦人以前に、上流階級のものとは思えない。
耳を持たずに本体を鷲掴みにしているティーカップを時々あおるけど、中身は茶ではなくて酒が入っている。“茶碗酒”なんてナタリアは初めて見た……というかナタリアに渡されたカップからも、さっきから刺激臭が立ち昇っている。自分で淹れるので茶に替えさせて欲しい。
「そんなわけであの
「あー、わかるわかるぅ。
意気投合している聖女たちは楽しそうにカップをぶつけて乾杯しているけど、現実を知ったナタリアは全然笑えない。
この二人……聖女がどうのとか、経験者の苦労がとか言う話じゃなくて。
(……類友の
知りたくなかった。
ココが特別で、前任者はマトモだと思っていたのに。
小さな頃は美しく気高い聖女様に憧れていたのに。
「……考えてみればココ様だって、一般信徒からは“深窓の麗姫”とか“地上に降り立った女神様”とか言われてるのよね……」
世間の評判なんか、もう二度と信じない。ナタリアは強く心に誓った。
「どしたん、ナッツ。さっきから酒が進んでないな」
うじうじしていると、人の気も知らないで呑気に訊いてくるココ。
ナタリアはとぼけたその顔にキレそうになりながら、半分自棄気味にカップをあおった。
「進むわけないですよ!? 経験豊富な前の聖女様からありがたいお話を聞きに行くって言うから、今日は期待に胸を弾ませて来たのに……!」
「ありがたいお話はさっきから聞いているじゃないか。仮病でうまく徹夜の礼拝をサボる方法とか、
「そういう! 裏技的なアレじゃなくて!」
「
「あ、それは知りたい……」
エッダ夫人も馴れ馴れしく肩を抱いてきた。
「ほらほら、ナッちゃんも溜まったものを吐いちゃいなよ。
「それはそうなんですけど……」
あらためてそう言われれば、ナタリアにもモヤモヤする気持ちはある。さりげなく夫人が注ぎ足したカップの酒を飲み干し、さらに注がれたお代わりも一気飲みする。
そして額に拳を当てて考えてみた。
「……よく考えたら、私の鬱憤ってだいたいココ様がらみなんじゃ……」
「よしナッツ、飲め! 飲んで忘れよう!」
ナタリアの口に、ココがフルーツワインを瓶ごと突っ込んだ。
「そもそもココ様とエッダ様、どこのあたりで気が合ったんですか?」
酔いが回って遠慮も消えたナタリアに聞かれ、二人の聖女は顔を見合わせた。
ココの返事は明快だ。
「引継ぎだって顔を合わせたら、姉御はこの通り話せる性格でさ。坊主どもと違って杓子定規でもないし、大聖堂でマトモに話ができる相手って姉御ぐらいだったんだよな」
つまり規格外だったので通じるものがあったとココは言った。
エッダの方はもう少し複雑な思いがあるようだ。
「ココちゃんが見つかった時、アレだったじゃない。大聖堂に勤労奉仕に来る良いトコのお坊ちゃんたちと違って、騒いで暴れていかにも子供子供してたからね……なんか、可愛くて」
市場で窃盗を繰り返し捕縛に半日もかかった“山猿”を「カワイイ」の一言で表現すると、微笑む前聖女は遠い目で頬杖を突いた。
「私も婚礼の日程を詰めようってところで、まさかの聖女認定だったからね……指名が無くってあのまま結婚していたら、自分の子供がこれぐらいかなあって思うと」
「あぁ……」
そう言われてナタリアも、エッダ夫人が聖女時代に“悲運の約束”で有名だったことを思い出した。
◆
エッダ・ブランジット伯爵家令嬢が十六歳で聖女の神託を受けた時、彼女は許婚と二、三か月後には結婚をするという最悪のタイミングにあった。
すでに成婚まで秒読みのスケジュールに入っていたとはいえ、神託が降りた以上は中止せざるを得ない。聖女指名を断るなんて、当時の人々には考えもつかない話だった……十二年後にココが即答でまさかの実現を果たしたが。
そこで問題になったのが、当然婚約のこと。
名誉ある指名を受け入れるとはいえ、貴族の結婚が十二年も先延ばしにできるわけがない。それはそれ、これはこれだ。
かといって女神様にまさか苦情を言うわけにもいかないので、致し方なく婚約は破棄され許婚は別の女性を探すという流れになった。
しかし。
親の決めた婚約だったとはいえ、エッダと許婚は心から愛し合っていた。
婚約者はどうしてもエッダでないと嫌だと婚約破棄を承諾せず、あらためてエッダが聖女から降りるのを待って結婚すると宣言した。そして教皇ケイオス七世に直訴し、エッダが聖女の任にある間……十二年もの間、聖堂騎士としてエッダの身辺に仕えたいと願い出た。
教皇は引き裂かれた恋人に自分のできることで尽くそうと思い詰めた青年の心根を憐れみ、彼を聖女の警護に登用する。そして許婚同士の間柄から聖女と警護の立場に変わった二人は十二年の任期を耐え忍び、エッダの任期が明けた二十八歳……もう若いとは言えない彼女と恋人のエインズワース次期伯爵は、ついに念願の結婚式を挙げることができた……。
◆
「悲恋ですけど、素敵な話ですよね……」
相変わらず乙女脳のナタリアはうっとりと夢見るように呟いた。ナタリア自身、彼を二年待たせて婚約破棄されたので感じるものがあるらしい。
よく考えれば、この逸話の本人が目の前にいる。それも凄い。
「あー、それねー……ホント、指名されたって聞いた時は目の前が真っ暗になったわ」
ナタリアに熱い視線で見つめられるエッダ本人は、かなり複雑な表情になっている。綺麗なラブストーリーも当事者はたまったものじゃないのだろう。
「今でも修道院では有名なんですよ! 友人のシスター・ドロテアも『二十八からでもイケる! 私、全然大丈夫!』って憧れていましたし!」
「そ、そう?」
熱く語るナタリアの後ろで、そのドロテアさんを知るココが何とも言えない顔をしているのがエッダは気になった。
「でも確かに、付いてきてくれたアーサーには感謝しかないわ」
手酌でカップに注ぎながら、エッダ夫人は一昔前を振り返った。
「すぐ側にいてくれるって大事よね。待っていてくれるって言われても、お互い十二年は長すぎるし……私も彼も、途中で耐え切れなくなっただろうねえ」
「そうですよね……」
まさに遠距離恋愛で敗れたナタリアが我が意を得たりと頷く。口約束のもろさは身に染みている。
「やはり毎日顔を合わせることができると、心がつながっているって実感できますよね!」
「あー……心がって言うか」
時々ココがやるみたいに、エッダが白けた顔で後頭部をボリボリ掻いた。
「身体が」
「…………身体?」
「身体」
意味の分からないことをエッダが至極マジメに繰り返すのを聞きながら……ナタリアはエッダの頭を掻くしぐさについて一つ思い出した。
あのポーズ。ココが認識の思い違いを訂正する時によくやるヤツだ。
実は
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