第38話 聖女様は里帰りを満喫します

 ココが初日の終わりがけに「しばらく働きたい」と言ったら、すんなり親方に承知してもらえた。八年前もそうだったけど、魚の加工は人手を集めるのにやはり苦労しているらしい。

 明日からはそのまま加工場に夜明けに集まればいい。広場に行って日雇いに応募する必要も無くなったので、ココは夜は加工場の隣にある馬小屋で梁の上に登って寝た。ここなら遅刻しないし、深夜の路上で同業者浮浪者や辻強盗に身ぐるみ剥がされる心配もない。


 家出初日に働き口も寝床も簡単に見つかった。ココの想定以上だ。

八年しばらくブランクがあったからどうかと思ったけど……私、街に出ても生きて行けるな」

 今回思い切ったのは、ただ単に理解の無い教皇たちに怒ったからだけじゃない。

 四年後に聖女を引退して、いきなり十二年ぶりに街へ戻って暮らしていけるか。それを試してみたいのもあった。

「うん。大丈夫、大丈夫」

 ココが昔覚えた技術と要領は今でも通用する。

 これは聖女の任期切れが楽しみになってきた。いざとなったら今回みたいに、その前に教会を飛び出してしまってもいい。

「そうなると……貯金をどうするかもマジメに考えないとなあ……」

 ココはもたれかかった柱に縄で身体を縛り付けると、そう呟きながら眠そうに目を閉じた。




 それから一週間。

 ココは毎日充実して仕事をしていた。

 毎日夜明けから魚を捌き、塩干を作り、その日の材料が尽きたら日当をもらって解散。修道院と違って衣食住に金はかかるけど、給金が元の三倍もらえてるから心配はしていない。住むところは(勝手に)馬小屋で寝ているし、家族を養っているわけじゃないから食費も十分ある。

 むしろ僅か一週間で、この生活に馴染み過ぎている自分が怖い。

「なんか、まだ一応聖女ってことを忘れそうだな……」

 そのまま一庶民として馴染んじゃっているけれど、とりあえず今回は家出のつもり。はっきり辞めてきたわけじゃないけれど……。

 口に出して不安になったココは、周囲を確かめてから僅かに力を込めてみた。

 パッと青白い光が身体から漏れる。

 やはり聖心力はまだ使える。聖女の資格は剥奪されていない。

 そして全身のクリーニングが一瞬で終了した。聖心力があれば風呂いらず。


「私がまだ聖女ってことは……」

 教皇ジジイ修道院長ババアはきっと今頃怒り狂っていると思うけど……女神はまだ、神罰を加えるほど怒ってはいないということなのだろうか。

 それとも、息抜きの休暇ぐらい大目に見ると言うことだろうか。

 教会から逃げているのにまだ聖心力は使えている。警告もない。

 全てを見通している筈の女神から、何のリアクションも無いのがココには逆に不気味だった。




 それはともかく。


 ココは掌の臭いを嗅いでみる。

「魚の腹に半日も手を突っ込んでいるのに、生臭さも一瞬で取れるんだものなあ……すごいわ、女神の力」

 ココは初めて女神の偉大さに思いを馳せた。



   ◆



 王太子セシルは来客を前に、行儀悪く頬杖を突いた。

「ふむ……私を頼ってくれるのは良いのだが、来るのがちと遅くないか?」

 王子に言われ、ウォーレスは言い訳もできず頭を下げた。

「なにぶん、我々にとって外部へ漏らせぬ不祥事でございまして……」

「まあ、そうだろうな」


 聖女が家出した。


 これは非常に大きい事件だ。

 もし当代の聖女がココでなければ。あるいはセシルがココと個人的に付き合いが無ければ、発生から今まで黙っていた教団の失策をセシルも責め立てていたところだ。置手紙などあったところで通常なら事件性は否定できないし、世間知らずの聖女が騙されて連れだされた可能性も考えなくてはならない。

 まあそれを言えばゴートランド教団も、普通の聖女だったら即座に通報して捜索に乗り出していた事だろう。「コイツならあり得るわ」と思わせる、ココの素行が凄まじい。


 それはともかく、教団が王国へ報告するのを最後の最後にしたい気持ちは確かに判る。ゴートランド教団とビネージュ王国は唇歯輔車の切って離せない間柄とはいえ、無限の信頼を寄せていると言うほど密接ではない。陰では主導権を争っている相棒に、敢えて弱みを見せたくは無いだろう。

 今日の協力要請にしても王国への依頼というより、ココのファンである王子個人へ頼みに来た感が強い。それも正解だ。貴族の中には敢えて騒ぎを大きくしたい重鎮もいる。

「それにしても、無為に十日を浪費したのは痛いな……ココがその気だったら、もう外国へ出ていてもおかしくない時間だぞ?」

「面目次第もございません」

 セシル王子はウォーレスから視線を外すとしばし考え……護衛騎士のナバロを呼んだ。

「ナバロ、急だがすぐにホバートに影武者の準備をさせてくれ」

らしく見せる筋書きシナリオを何も用意していませんが」

「今日は特に来客もない。ここに座って適当な書類を眺めているか、城の女の子にキャーキャー言われそうな周囲からよく見えるテラスでお茶を飲んでいればいい」

「分かりました。すぐに準備します。」

 ナバロは“女の子にキャーキャー言われる”の部分は必要かな? と思ったが、どうでも良いことなので何も言わずに頭を下げた。

 王子は立ち上がり、マントを手に取った。

「大聖堂へ行く。騎士でなくても良いので、おまえが信頼できるやつを五人ぐらい用意してくれ。荒事は無いから剣の腕はどうでもいい」

「絶対に秘密が守れる者ですな?」

「そうだ。特に結婚したてか、子供ができたばかりのヤツが良い」

「はっ」

 もし教団をクビになって再就職先を探すとしても、この王子の部下だけはヤダなあ……そう思いながら、ウォーレスはマントのフードをかぶって出ていく王子に付き従った。 



   ◆



 修道院についた王太子セシルはウォーレスやナタリアから状況を聞くと、ココの金庫や置き手紙を確かめた。

「どう思われます?」

「うむ……私から見ても、ココはそれほど長い期間いなくなるつもりだったと思えないな。多分教皇猊下たちに一泡吹かしてやる、程度の考えだったはずだ」

「判りますか?」

 セシルは金庫を見た。

「シスターの言うとおり、あのココが金を捨てていくと思えない。それにこの手紙」

 手元の紙に視線を落とす。

「怒り心頭の人間が書いたら震える筆跡で書き殴っているはずだ」

 短文とは言え、きちんとした……きちんとしすぎた文字が並んでいる。

「カリグラフィーを通り越して装飾体だぞ、このフォント。頭に血が上った人間に書けるものか。家出の計画を立てているあたりから楽しくなってきたな、あいつ」


「本気でないとすると、意外と近くにいる可能性もあるのでしょうか?」

「うーむ、そうだな……」 

 縋るようなナタリアの質問に言いよどんだ王子は、ココの部屋から廊下に出ると、周囲を見ながら何事か考えた。

 ナバロに向かって手を出す。

「ちょっと財布を貸せ」

「はっ? はぁ……」

「どれ……うん、程よく銀貨と銅貨だな」

 護衛の差し出した財布の中をちらっと確認した王子は……その中身を廊下の石畳にぶちまけた。

 静謐な廊下にこだまする、十数枚の硬貨が硬い床の上で跳ねる音。

「はいっ!?」

「殿下!?」

 耳が痛いほどの騒音に周囲が驚いて硬直しているのを無視して、セシルは鋭く辺りを見回した。

 ……しかし結果が思わしくなかったらしく、肩をすくめて空の財布を騎士ナバロに投げ返した。

「残念ながら修道院の中に隠れているという線は無くなったな」

「聖女様、そんなんですかね……身を隠しているんだから、お金が落ちる音を聞いたぐらいで出てくるでしょうか」

「不意打ちで金を落とす音が響けば、危険だとわかっていても思わず顔を出してしまう。それがココだ」


 王子は髪をかき上げながら眉をしかめた。

「やはり外……たぶん王都からは出ていないと思うが」

 確認するかのように呟いた後、ふと我に返って部下を見る。

「ああ、もう小銭は使わんからしまっていいんだぞ?」

「しまっていいぞって……お心遣い感謝いたしますよ、まったく!」

 同情した皆がナバロの小遣いを拾い集めているあいだ、セシルはじっと置き手紙を見ていた。

「実家……実家か」

 なにか、ひっかかる所があったらしい。

 しばらく見つめて、ふっと口元を緩ませたセシルが顔を上げた。

「おいウォーレス、紙とペンを用意しろ」

「承知しました。お手紙ですか?」

「ああ。今から言う言葉を一字一句までその通りに、二十枚ほど書かせろ」

 こんな時なのに愉快そうな表情の王子様は、手にした紙を指先ではじいた。

「帰って来いと、に呼び出しをかけるぞ」

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