第37話 聖女様は久しぶりの実家に羽を伸ばします

 修道院長シスター・ベロニカ聖女ココに帰ってくるつもりがあると言い切った。

「ほう?」

 意外な推論に皆が注目する中、院長は当たり前のように論拠を上げた。

「聖女様のが固く閉ざされております。置かれている量を考えても持ち出してはいないでしょう。聖女様がどれだけ固いお気持ちで今朝教団ここを出ていったのだとしても……あのお金を捨ててどこかへ行くと思いますか?」


 ……。


「ないな」

「それはないでしょう」

「絶対ありえないですね」

 皆が知っている限りで、この世で一番の守銭奴がココだ。落とした銅貨一枚を探して池の水を掻き出すようなココが、どんな理由があったとしても八年分の給金を棒に振るわけがない。

「先週の段階で金庫の中身がそのままだったと、シスター・ドロテアが証言しております」

 修道院長は会議の前に確認しておいた点を淡々と話す。

「一週間程度で、少しずつ持ち出して大聖堂の外に隠す時間があったと思えません。先に逃がしていたならそれはそれで、他人に見つかっていないか心配で挙動不審になっていたでしょう。ですので、聖女様はこのまま何処かへ逃亡するほど深刻に事態を考えて行動してはいないと思われます」

 退任後のココの自由を担保するはずの貯金が、現状では足かせになっている矛盾を突くと……シスター・ベロニカは列席者の顔を見渡した。

「ですので。調べようがない失踪理由や行き先を考えて無駄に時間を過ごすよりも、今は先にやるべきことがあると思います」

「ほう。と言うと?」

 話の続きを促す教皇に、院長は断言した。

「いない間の聖務をどう誤魔化すか、です」

 

 慰問や表敬訪問。

 ミサの祝福。

 式典の参列。


 全部が全部「体調不良で欠席」にしてしまうと、超有名人なだけに逆に信徒を不安がらせてしまう。また、“聖女が病気に負けている”“聖女は病弱”という評判が立つのも困る。

 それに高位の人間から見舞が来たら、全く本人に合わせないというわけにはいかなくなる。替え玉を立てようにもココの顔は良く知られているし、そもそも似たような少女が簡単には見つからない容姿をしている。

 外部の人間に不信感を持たれないように聖女が姿を現さない言い訳を直ちに準備しなくてはならない。

「……ソレじゃのう」

「どうしましょうね……」

 指摘されるまでもなく、教皇たちもその問題には気づいていた。

 というか正直言えば教団運営上、短期の家出と推測された聖女の探索よりもそっちのほうが喫緊の課題ではある。

 ただ……どうやって居留守を使うかの理由付けが難題だったので、直視したくなくて失踪理由のほうをグダグダ議論していたのだ。


 目を背けていた議題を真面目に議論しろと言う院長の言外の圧迫を受けて、

「うーむ……」

 教皇とウォーレスは本気のため息をついて、二人して頭を抱え込んだ。

「そのアイデアが簡単に出てきたら世話ないのう」

「ですねえ」

「そんな悠長なことを言っている場合ではありません。明日、既に外出の予定があるのです。なによりまず、この点を解決していただきたい」

 そう言って冷静に教皇と司祭に催促する修道院長。一人慌てない姿はさすが理性の人だ。

 ……が、あまりに動じていない姿を見て、ナタリアはハッと気が付いた。

(そういえば)

 今ここにいるメンバーの中で、ココの不在を詰問されないのは院長だけだ。

 彼女だけは監督責任はあるものの、普段連携して行動していないからセットで見られることが少ない。だから修道院から出ない限り、他の人間みたいに苦しい釈明に追われる心配はないのだ。つまりある種、他人事。

(そっかー……自分には火の粉が飛んでこないものなあ……)

 こんな場面でもとっさにそこまで計算する、上司ベロニカの判断力に感心したナタリアだった。 



   ◆



 しかしすぐに戻るだろうと言う予想に反して、ココは一向に姿を見せなかった。


「ココ様が行方不明になって、もう一週間か……」

 ナタリアは窓の外を眺めた。

 聖務のほうは元々対外的に顔を出す機会が少なかったのもあって、何とかウォーレスがここまでは誤魔化している。ただし、大きなミサが十日後に迫っている。そこで出席しないと体調が悪いのではないかと噂になるのは間違いない。

 ココの失踪理由のほうも何となくわかってきた。

 いなくなる前日にちょうど教皇と院長、両方と喧嘩をしていた。両方の現場に居合わせたのがココしかいなかったので、失踪当日は誰もそんなことがあったと気が付いていなかった。

 立て続けに腹が立つことがあって、頭に来て衝動的に出ていってしまったのではないか……というのが消息筋アデリアの見立てだ。

 ナタリアなどは「愚痴をちゃんと聞いてやればよかった……」としょげ返ったのだけど、教皇とシスター・ベロニカは「ぐうの音も出ないまで、きちんと叱っておけばよかった」などと言っている。さすが妖怪まで進化したベテラン、肝の腐り方が違う。


「ココ様、今頃どこでどうしているのかしら」


 ちゃんと屋根のあるところで寝られているのだろうか。

 ごはんが無くて人の物を勝手に食べていないだろうか。

 干し肉か何かに釣られて、知らない人について行ったりしてはいないだろうか……。


「ナタリア、ココ様だって十四歳の人間だよ? はぐれ犬じゃあるまいし」

 呆れたアデリアにはそうツッコまれたけど……。

「そうは言っても……ココ様だもの」

 相手がココとなると、普通に少女が弱っているイメージが思い浮かばないナタリアだった。



   ◆



「よいしょ!」

 ココは大ぶりな鱒を五匹ほど下げた棒を、風干し棚の空いたところへ引っかけた。

 すぐに次の魚を取って、使い減りしたナイフで腹を一文字に裂いて腸を掻き出す。塩水で血を洗い流す。特に腹の中を念入りに洗い、塩をまぶして擦り込む。裂いた腹が閉じないようにつっかい棒を身の間に二本立てたら、荒縄を口に通して棒に括る。

 作業を監督していた年配のオヤジが、ココの作業スピードに感嘆した。

「手際がいいな、新入り。おめえなら港の加工場へ行っても重宝されるぞ。前にやっていたんか?」

「あざーす! しばらくぶりっすけどね!」

 ナタリアに心配されるまでもなく、普通に元気に暮らしているココちゃんだった。




 ココは置手紙で宣言したとおり、実家下町に帰って来ていた。

 ブランクがあるとはいえ元々慣れ親しんだ貧民街。時々遊びに来ていて今の様子にも詳しい。発作的に家出したとはいえ、どうするかはちゃんとシミュレートしてあった。


 夜明けに修道院を抜け出して、街が動き始める頃に下町にやってきたココ。日雇いの人工を集める小広場の混雑に紛れ込んで、しれっと塩漬け加工場の募集に手を挙げた。

 教皇庁で皆が不毛な会議をしていた頃。

 すっかり勘を取り戻していたココは下町の小汚い小屋で、ずっと勤めていたみたいにオッちゃんオバちゃんと一緒に魚に塩を擦りこんでいたのだ。


 魚の加工場は軽労働だけど、塩で手が荒れやすくて生臭さが抜けなくなるから人気が無い。おかげでまだ陽が高いうちに一日の仕事が終わったけど、もらえた給金はわりと高くて半銀貨一枚にもなった。聖女の給料三日分だ。

「昔に比べても給料高くなったよなあ……王都の景気が良いのかな」

 聖女と違ってガッツリ身体を使う仕事なので、ココの晩飯もピロシキ一つと言うわけにはいかない。この日は初仕事の打ち上げの意味も込めて、ココは豚肉の角切りと葱の塩焼きを割った丸パンに挟んで食った。粗塩のキツイ塩味が疲れた身体に何とも言えない。その塩と脂を柑橘水をグビグビ飲んで洗い流す。

「くはー、生きてるぅ!」

 やっぱり労働ってのはこういうものだ。ココは満足げに指を舐めながらそう思った。




 ナタリアの心配など露知らず、ココのほうは改めて下町暮らしが身体に馴染むのを痛感していた。

 一日働いてみて、何と言うか……やはり単純労働は水が合う。

 むしろ逆に、肉体労働で日当をもらって市場で飯を買って食うというルーチンを難なくこなしてみたら……今までの修道院での八年の方が一炊の夢のように思えてきた。

「……いやいや。私はちゃんと働いて給金だって貯め込んでたんだし」

 そう、今のこれはちょっと気晴らしに出ているだけ。

 

 一瞬修道院に戻らなくてもいいんじゃないかと言う考えが頭をかすめ……ココは頭を振って邪念を振り払うと、自主休暇を楽しもうと二回目の市場巡りに出かけた。

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