第36話 聖女様は我慢ができなくなりました
眉間に皺を寄せてしばらく考えていたココは、机を両手で叩くと立ち上がった。
「……もう怒った」
昼間、大聖堂へ仕事で行ったついでに
いかに不当に安くこき使われているかを可視化するために、資料も作って持って行った。
ここ八年の物価や各種職業の賃金の変動(ココ調べ)とか、やらされている業務がどれほど多岐にわたってくるようになったか(ココ記録)とか、大聖堂の収支が今どれほど黒字であるか(ウォーレスの極秘資料を勝手に転写)とか。数字は大事だ。
それなのに、聖女の献身義務とか聖職者の奉仕の精神とか、またもやいつもの精神論で誤魔化されて追い返されてしまった。それは好き好んでこの道に入った
だいたい神に仕えるありがたさなんて話を言うんだったら、その自発的に神への奉仕を選んだジジイが
結局最終的にはいつものようにジジイがキレてウォーレスに摘まみ出された。正直うやむやにするために、そうやって毎回ジジイがキレ芸をしてるんじゃないかとココは勘繰ってしまう。
マトモに相手にされず追い返され、ぷりぷり怒っているココは仕方なく修道院に戻った。
そうしたらこちらでは修道院長が待ち構えていて、生活態度についてくどくどお説教をされてしまった。
修道女を集めてサイコロ賭博をやったり、洗濯場から石鹸をちょろまかしてシャボン玉遊びを流行らせて洗剤を売りまくったのがいけないと言う。おかしな話だ。修道院の規則には、ギャンブルやシャボン玉をやってはいけないなんて書いてない。
事後立法で咎めるのは常識に反すると抗議して大喧嘩になったのだけど、いつものように最後はシスター・ベロニカに「修道院の法は私が決めます!」と押し切られてしまった。
「大人はみんな理不尽だ」
どいつもこいつも、ココを簡単に騙せる幼児扱いしている。この辺りで一発、目にもの見せてやらないと扱いが変わらないのではないだろうか……。
だから決断した。
「ジジイもババアも、スパイシー・ココ様を甘く見るなよ……!」
あいつらに最も効果的に打撃を与えるのは、やはり聖女が居なくて聖務が滞る事だろう。
そう結論付けたココは、抗議の家出をすることに決めた。
ココは庶民の暮らしに使えそうなボロい服とか、以前渡されてからそのまま持っていた靴磨きの道具とかを袋に詰め込んだ。ちょうどもらった先週分の給金も隠し持つ。
王子がくれた指輪とか、僅かに持っている貴重品は下町に持っていくわけにいかない。それは貯め込んだ貯金の貯蔵庫に一緒に入れて、最高レベルの聖心力で開かないように護呪をかけた。
夜に出ていっては無駄に野宿をすることになるので、全部準備したうえで夜明けに出ていくことに決めた。ココは街に遊びに行くときの格好でベッドに入り、天井を睨みつけてニヤリと笑う。
「たまには私が居なくて困ればいいんだ……ふふん、ちょっと休暇を取ってやる」
明日から街へ潜伏して、どうしようか。
楽しくそれを考えながらココは眠りについた。
「……いかん。なんだかウキウキしてきて全然眠れない」
◆
ナタリアがココを起こしに来たら、なんだか少し部屋の空気に違和感があった。
理由が判らないながらも嫌な予感を感じる。
なぜか不安を感じつつ、とりあえずナタリアは窓を開けた。
「ココ様、朝です……よ?」
振り返りながら声を掛けたら……ベッドが、空。
「え? ココ様?」
ペタンコの毛布の上から触ってみたけど、当然いない。
毛布を引っぺがしてみたけど、当然いない。
もしや寝相が悪くて床に落ちたかとベッドの下も見てみたけど、そこにもいなかった。
「ココ様、どこに行っちゃったのかしら……」
トイレにしては全然戻って来ないし、早起きしたから早朝の散歩に出るような性格でもない。ココなら「せっかくの睡眠時間を削ってたまるか」と二度寝する筈だ。
「おかしいなあ……」
「何かのメモかしら?」
近寄って手に取ってみる。紙にはこう書いてあった。
『実家に帰らせていただきます ココ』
しばらく無言で眺めていたナタリアは……何が起きたかを理解し、メモを取り落して思わず叫んだ。
「実家って、どこ!?」
◆
ココが家出した。
極秘の対策会議の為、関係者が教皇の執務室に集められた。
「参ったのう……」
ゴートランド教団を代表する神の代弁人、教皇ケイオス七世はため息をついた。
「まさか聖女が今さら反抗期とは」
反抗期という認識。
「猊下」
彼の筆頭補佐官である教皇秘書のウォーレス司祭が挙手して発言の許可を求めた。
「なんじゃ?」
「聖女様、いつでも反抗期なのでは?」
「それはそうなのじゃが」
この場では一番下っ端のナタリアが、恐る恐る手を挙げた。
「あの、一つ疑問なんですが……」
「なんじゃ?」
「ココ様の『実家に帰らせていただきます』って……どこに帰ったんでしょう? もう家は無いって御自分で言ってましたよね」
「ふむ」
一同が揃って考え込み、ウォーレスが顔を上げた。
「王都の路上だったら、どこでも実家なのでは?」
「それで上手いことを言ったつもりですか……」
「とは言っても、元々住んでいた家という意味なら誰も把握してないですよ。聖女様は見つかった段階で、既に家には住んでいなかったんですから」
「うーん……」
庶民、特に所有権があやふやな貧民街の家など無人ならどんどん住民が代わる。ココの家族が今でも健在ならともかく、両親ともに行方不明で兄弟がいないのは判っている。
聖女候補の探索当時にココ自身に案内してもらっていれば家の場所も判ったかもしれないが、その段階で六歳のココは既に二年ぐらい帰っていなかったという話だ。四歳までしか住んでいない家を覚えていたかも疑問だし、それから八年経った今となっては……建物自体が残っているかも怪しい。
教皇が手を挙げ、ウォーレスとナタリアを黙らせた。
「実家に帰るという文言は文字通りの意味ではあるまい」
「と、おっしゃいますと?」
「うむ、おそらくは……」
「おそらく?」
教皇は顎髭をしごきながらしかめ面で虚空を眺めた。
「アレの事じゃ。ノリで書いてみただけじゃないかのう」
推測というにはあまりに軽い教皇の言葉を、他の者はしばし考えてみた。
「……言われてみると、否定できないですね」
「ココ様ですからねえ……あんまり意味は無いのかなぁ」
ココの言動は意外な計画性とちゃらんぽらんな場当たり感が混ぜ込まれて、どこまで本気かわからない。
今まで散々喧嘩している教皇がそう分析するのなら、ウォーレスもナタリアもそんな気がしないでもない。
ウォーレスが髪を掻きむしりながら白紙のままの議事録をペンでつついた。
「こうなると……聖女様が自分の意思で失踪した、以外のことは判らないということですね」
教皇とナタリアも同意するように深くため息をつき、議論が元の地点へ戻りかけた……ところへ、今まで黙っていた
「聖女様の失踪先も原因もはっきりしませんが」
シスター・ベロニカはいつもと変わらぬ無表情で三人の顔を見渡し、先を続けた。
「聖女様にはお戻りになる意思があると思われます」
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