第39話 司祭は事情を説明します

 市場で夕飯を済ませてきたココが馬小屋の近くまで戻ってくると、四つ辻に付近の住人が何人か集まっていた。その中に加工場で一緒に働いている主婦がいたので、何をやっているのかココは声をかけてみた。

「オバちゃん、どうしたの?」

「ああ、ココちゃんかい。いやね、さっきお役人みたいなのが来て布告を貼っていったんだけどさ。貼っただけでそのまま帰っちゃって」

「はあっ⁉」

 もっと品の良いアッパークラスの住宅街ならともかく、この辺りには庶民の中でも下の下しか住んでいない。その日暮らしの貧乏人ばかりで文字の読める人間なんかまずいないのに、読み聞かせをしないで帰るとは。

 皆が意味も分からず眺めている、そのおかしな張り紙をココも近寄って読んでみた。



   ◆



 マルグレード女子修道院のココの部屋に設けられた「聖女様 家出対策本部」では、ナタリアや院長黙認で入れてもらった王子たちが焦燥感を感じながら座っていた。

 対策本部と言っても今、特にできることは無い。王子の秘策に効果があるのを期待して待つだけだ。

「帰ってくるでしょうか。ココ様……」

 ナタリアのこの問いも、既に何回目か判らない。

「うーん……」

 肝心の発案者も自信がないのか、何度聞かれてもいまいち態度が煮え切らない。

「さすがのココもこれだけ長期潜伏するほど拗らせているとな……倍にするべきだっただろうか」

「?」


 特に進展もなく、また始まった沈黙を振り払うように王子が努めて明るい声でウォーレスに話しかけた。

「ところでウォーレス」

「はい? なんでしょうか」

 王子が机の上にあった小袋を軽く掌の上で跳ねさせた。チャリチャリと硬貨が触れ合う音が響く。

「ココが飛び出した原因の一つだが……ココの給料はなぜあんなに安いんだ? こんな時に言っては何だが、正直ココが嫌になっても仕方ない気がするのだが」

 そもそもそれが今回の事態を招いたのだ。拾われた六歳の頃ならいざ知らず……一人前に仕事をするようになった今は、もっともらっていてもおかしくない。

 改めて考えると、セシルには不思議なことに思えた。

「それなんですけどねえ……」

 王子の指摘に、ウォーレスがため息をつく。


「教皇猊下的には、できればゼロにしたいんですよねえ」


 そう言った秘書が顔を上げると、部屋にいる他の全員がドン引きしていた。

「あ」

 口元を押さえた王子が視線をそらしている。

「まさか猊下がココ以上の守銭奴とはな……」

 王子の護衛ナバロが天井を見上げた。

「うちの国では奴隷労働はご法度なんですがねえ」

 ナタリアが止められない涙をハンカチで押さえている。

「お可哀想にココ様……戻ってこないほうが良いのかも……」

「そうじゃないんです! ケチだからじゃないんですってば!?」

 言い方を間違えたウォーレスは皆の勘違いに気が付き、慌てて声を張り上げた。




「そもそもなんですが」

 ウォーレスが教団側の事情を話し始めた。

「今まで四十三代を数える聖女ですが、給料が出ていた人はいません。なぜだかわかりますよね? シスター・ナタリア」

「ええ⁉」

 いきなり決めつけで質問され、慌てふためいたナタリアが考え……自信なさそうに答えた。

「聖女も聖職者、だからですか?」

「正確に言えば『神に奉仕することを名誉に感じる』のが聖職者の本分だからです。聖職者は本来、女神に仕えることを喜びとするボランティアです。なかでも聖女は直接女神から名指しで選ばれたことを身に余る栄誉と考えていました。迷惑だなんて思わなかったわけです」

 王子が面白そうに口の端を歪めた。

「四十三代にして、初めてありがた迷惑と言う聖女が現れた……と言うわけか」

 ウォーレスが不本意そうな顔で頷いた。

「猊下はじめ我々も、まさか聖女の指名を断られるとは思いませんでしたが……当時は聖女様がまだ幼く、特に神の教えを全く知らない育ちだったので仕方ないかと納得しました。それでとりあえず、拒絶する聖女様を色々な方法であやした結果……まさかのお金で釣れたわけです」

 司祭の視線が王子の手に乗った小袋に向く。

「我々も最初はモノを知らぬ幼児だから、気を引くものをぶら下げてとりあえずやらせようと思いました。修道院で修行しながら暮らせば、大人になるにつれ信仰心も芽生えてくるだろうと思ったわけです。そうしたら聖女様は成長に伴って奉仕の心が芽生えるどころか……」

「がめつくなったと」

 王子が面白そうに入れた合いの手に、教皇秘書はがっくりと肩を落とした。

「金額が少ないのは、あくまでお小遣いだと強弁するためです。幸い聖女様がまだ少女と言える年齢なので、おやつとかを買いたいだろうから教皇猊下がお駄賃をあげていると……そういう建て前にしているのです」

 司祭の論理に、ナタリアが首を傾げた。

「はっきりお給料としたらまずいんですか?」

「まずいんですよ!」

 身内シスターからのまさかの疑問に、司祭が机を叩いて立ち上がった。

「あなたも聖職者でしょう!? しかも毎日教皇庁に出入りしているんですから、事情ぐらい判ってください!」

「すみません!」

 ウォーレスの予想外に強い剣幕にナタリアが慌てて謝る。

 事情が分かっていないので正直どこで逆鱗に触れたのかがよくわからないけど、とりあえずは謝る。それがナタリア。

 王子の護衛ナバロが間に入った。

「まあまあ。その、自分も門外漢だものですから何故なのかがさっぱり……その辺りを説明してもらえるませんか」

 慌てて肩を押さえるナバロに言われ、ウォーレスももう一度椅子に腰を下ろした。


 お茶を飲んで軽く気持ちを落ち着かせたウォーレスが、興味津々で周りを囲む人々を見回した。

「それこそ最初の話に戻りますが……聖女は女神のお声がかりを名誉に思って自ら奉仕する、そういう形で今まで来たわけです」

「うむ」

 王子が頷いたのを確認して、司祭は話を続ける。

「これを王国の方々に本当は話したくないのですが……まあ当然ご存じですからぶっちゃけますが、我々ゴートランド教団も一枚岩ではありません」

 それは一番政治に疎いナタリアでも知っている。ココのお付きとして教皇やウォーレスと交わっていれば、当然耳に入ってくる事情だからだ。

「わが教団は聖職者だけでも一万を超える信徒がいます。できるだけ一党であろうとしてはいますが……教義の解釈や戒律への態度、どういう立場かでも教皇庁の見解と意見が異なる集団はいくらでもいます」


 ゴートランド教は教皇庁があるゴートランド大聖堂の他にあと二つ、大聖堂の格を持つ寺院がある。

 その二つがゴートランド大聖堂とともに教団のトップ3ということになるが、当然それぞれが派閥の頂点でもあり……教皇庁があるゴートランド大聖堂が頭一つ上と見られているのを、他二つは常に苦々しく思っている。

 過去の歴史の中ではローカライズしたり先鋭化し過ぎた為に“異端”として追放、最悪では宗教紛争を起こして殲滅の対象になった学派もいた。歴代の教皇は教皇庁の下に意思の統一を図ろうとしてはいるが、教皇に同調する勢力は今でも過半数に達するかどうか……というところだった。


「……その教皇庁派の中でさえ、教皇猊下に者はいるわけで。聖女様は、その……」

「教皇猊下のアキレス腱と言うわけか」

 理解できた王太子が皮肉気な笑みを見せる。

連中から見れば、ココはツッコミどころしかないからな」

「猊下が聖女様に『信仰心を持て』と口うるさく言うのも、その現れでございます」

「なるほどなあ……」

 王子は首を振りながら背もたれにもたれかかり……。

「でも、ココには逆効果だろ?」

「そこなんですよねえ」


 自覚が足りないのではない。宗教的使命感がそもそも無い。ゼロに幾ら掛けたってゼロになる。教皇の言うことは理解できても、自ら期間限定雇用と言い切るココが斟酌してやる義理は無い。

「宗教者、政治家目線の教皇猊下と期間労働者アルバイトのつもりのココでは構え方が正反対だからな」

「聖女様がそう思っているのは判ってはいるんですがねえ」

 ウォーレスがうなだれる。

「だから給金を支払うのがまずいんです。な方々にすれば、神託が降りたなんて感涙して伏して受けるべき聖務ですからね。そもそもやりたくないという気持ちが理解できません。その理解不能な生き物ココに給金を払って教団最高栄誉である“聖女”をやらせているなんて広まったら……」

「教皇猊下を引きずり下ろしたい連中には何よりのスキャンダルってわけか」

「そうはさせないつもりですが、あんまり大事になると猊下の立場は教団内で弱くなるでしょうね」 

 間に挟まれた“中間管理職ウォーレス”はそう言って話を締めくくり、もう一度ため息をついた。




 説明が一段落したところで、黙って聞いていたナバロが口を挟んだ。

「教団内の事情は分かったのですが……それならそれで、なぜココ様に聖女をやらせているのです? 正直自分も、見ていてココ様が“聖女”……というか聖職者に向いているように思えませんし、そこまで都合が悪いのなら綱渡りをしてまでココ様のご機嫌を取る意味が分からないのですが。人選が失敗しているでしょう」

 騎士の発言に教皇秘書は首を横に振った。

「あなたは一つ忘れています」

「なんです?」

「人選とおっしゃいましたが……ココ様を選んだのは我々ではなく、女神様です」

 ウォーレスは頭上で掌をひらひらと振った。雪が舞い散るさまを表すように。

「密室会議で決めているんじゃないかと教団内でも疑う者はいるのですがね。神託は本当に降りてくるのです。これは派閥に関係なく代表者が集まって儀式を行いますから、反教皇派でも否定できません。その場で確かに、ココ様が指名されたのです」

「女神様が選んだ聖女を人間が取り換えるわけにはいかない、ということですか」

 こっくり頷いたウォーレスは、「それに……」と言って先を続ける。

「猊下は老獪な統率者ですから、確かに物事をなんでも政治的に処理すると誤解されやすいのですが……」

 秘書は視線を何もない壁に……その方向にある教皇の執務室に向けた。

「女神様からココ・スパイスと言う少女が指名されたことに、必ず理由があるはずだとも信じているのですよ」

「意外にロマンチスト……と言ったらいいのかな?」

 王子のからかうような言葉に、教皇随一の側近はどうとでも取れる微笑みを見せた。

「皆さん誰もが忘れていることですが……あの方は、女神信仰の頂点でもあるのです。政治家である以前に信徒なのですよ」




 ウォーレスが言葉を切った瞬間を待つように。

 皆の耳に、廊下を走る足音が聞こえてきた。

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