第44話 聖女様はお付きを嘆かせます
夕食が終わってもまだ戻って来ないのでナタリアが裏庭を見に行ったら、ちょうど探し物が見つかったらしいココが光り輝く笑顔で出迎えてくれた。
「やったぞナッツ! ついに見つけた!」
高く掲げた指先には、土に塗れた銅貨。
「……」
ナタリアが見て、やっぱりそれはただの銅貨に過ぎない。
なんと言って良いか判らず言葉に詰まるナタリアに、達成感に溢れたココが熱く語る。
「いやあ、苦労した。やっぱり落ちた時に派手に跳ねたんだな。初めの捜索範囲からかなり飛んだところに落ちていたんだ。あのままじゃ、探す場所をちょっとずつ広げてもダメだったな。探し方を根本から変えて正解だった」
一人で納得してウンウン頷くココに、ナタリアはやっと言葉を絞り出した。
「こ、ココ様?」
「ん? なんだナッツ」
「この……地面の有り様はなんですか!?」
「なんですかって……」
ココも振り返って自分の後ろを見た。
適当にゴミを放ってある空き地から、邪魔なゴミを取り除けた。そこまではナタリアも見ていた。
そして今、何も無いはずの空き地には……一面に棒が建てられ、紐が引かれている。
キレイに等間隔に突き刺した棒に紐が巻かれ、地面がチェスボードのようにきれいな正方形の集合体になっている。その代わり地面自体は雑草も抜かれて土も掘り起こされ、種まき前の畑のようにぐちゃぐちゃになっていた。
「ああ、これか? 探す場所にムラが出ないように、捜索範囲を小分けにして目印を付けた。こうして作業すれば重複や調査漏れもなく、端からしらみつぶしに捜索できるってワケだ」
ココは己の綿密な仕事ぶりに胸を張った。
理屈は判った。
ココらしい合理的な手法だとナタリアも思う。
だけど。
「全っ然割に合わないですよね、これ……」
ここまでして探したのが、銅貨一枚なんて……。
金貨なら手間暇かけて探すのも判る。
ナタリアあたりだと銀貨でも一枚じゃどうかと思う。
そして銅貨になると、ここまで手間をかけて探す意味が判らない。
コストのことを言われたココが胸を張った。
「これか? 費用は全然掛かってないぞ。支柱も紐も農機具小屋にあったのを使ったから」
「一番お金がかかるリソースは人件費だって、ココ様が前に言ってませんでした
?」
答えは聞く前から判っていた。
「人を雇ってないから、かかってない」
自分の労務時間にだって人件費がかかっていることは判っているだろうに……。
「他の人が聖女様を雇ってこれだけのことをさせたら、金貨十枚じゃきかないでしょうね」
「いいな。誰か雇ってくれないかな」
呆れたナタリアの当てこすりを言葉通りに受け取って、至極マジメに答えてくれる泥だらけの聖女様。
(ダメだわ。認識が違い過ぎる……)
いつもの残業代にこだわる姿勢はどこへ行った?
僅か銅貨一枚を積み上げる為に少しでも勤務時間を引き延ばす姿と、その一枚にこだわって時間と体力を浪費する今の行動は……本人の中で矛盾していないのが不思議だ。
やり遂げた清々しささえ漂わせているココになんといっていいか判らず、しばらく言葉を探していたナタリアは……。
「……とりあえずココ様、お風呂に行きますよ」
諸々話をする前に、まずは入浴させることに決めた。
◆
本人もさすがに今日は、ひどく汚れている自覚はあったらしい。風呂に入れと言われても、いつもみたいに嫌がる素振りは見せなかった。
但し。
「ナッツ、やっぱり一緒に入るのか?」
ナタリアが一緒に入るのはやっぱり嫌なようだ。
「当然です」
「えー……」
構わずどんどん浴室に追い立て、泥だらけのココに反応を見ながらナタリアが湯を汲んでかける。腰掛に座らせ洗い始めてみたら、実は汚れを吸って固まっている髪を洗うのが一番大変だった。
全身こすって再度お湯をかけながら、ナタリアは嫌がる理由を尋ねてみた。
「何が嫌なんですか」
「だって……ナッツが一緒に入ると、延々湯舟に浸けようとするから」
「ココ様が早く出過ぎです。あれじゃ温まるどころか、汚れも落ちませんよ」
浴槽に入って、座って、立って、出てくる。ココの自主性に任せていると屈伸運動一回と変わらない。
「身体の汚れは外でこするからいいじゃないか。熱い風呂に入っていると、鍋で煮られている感じがしてイヤだ」
「そこまで熱くはありません」
ナタリアはココの細い腕を取って、筋肉を揉んでみた。
「お風呂は汚れを落とすだけじゃありません。しばらく浸かっていると、身体の疲れが抜けて来るんですよ」
長風呂の効用を説明しようとするナタリアに、ココが真顔で返した。
「私、風呂で抜ける程度の小さな疲れなんて感じた事ないぞ。ナッツ、おまえが歳なんじゃね?」
ココは問答無用で浴槽に叩き込まれた。
「茹だる!」
「そんな温度じゃありません」
「のぼせる!」
「のぼせるぐらい浸かってみてください」
押し込んでしばらくは騒いでいた聖女様も、ナタリアが押さえつけているうちに目つきがトロンとして来た。湯をぬる目にしたので、まだ我慢が出来たようだ。まるで猫みたいだな、とナタリアは思った。
半分夢うつつなのか、今日はココの方からナタリアに抱きついて来る。甘えることを知らないココにしては珍しい事だった。
「ココ様、お風呂もいいものでしょう?」
「んー……寒いときはいいかもなあ」
つまり夏はやっぱり油断できない。
ココが静かになった頃合いを見て、ナタリアは今日の紛失騒ぎについて話をしてみた。
「ココ様……ココ様がお金を大事にしているのは判りますけど、今日のはどう考えても手間の方がもったいなかったですよ」
「んー……」
ナタリアの胸に半分顔を埋めているココが気のない返事を返す。それ以上は言わないので、ナタリアは先を続けた。
「あの一枚を探す時間と気力で働いていれば、十枚か十五枚ぐらいは稼げたんじゃないですか? ココ様式に言えば大損じゃないですか」
それが道理だと思うのだけど。
でも、ココには別の理屈があるみたいだ。
「ケチって言うのはなー……そう言うもんじゃないぞ、ナッツ」
半分意識が飛んでいるみたいなのに、ココからは意外と明晰な答えが返ってきた。
「そうですか?」
「損得だけが問題じゃないんだよ。たとえ銅貨一枚でも、私たちが真摯に向き合っているかどうかが問題なんだ。粗雑に扱う者にはしっぺ返しが来るぞ」
「なんだか、別の宗教みたいですね……」
「宗教っていうより、生き様かな」
「そんなカッコいい言葉になりますか、これ?」
ナタリアが羨ましくなるくらい綺麗な顔をした少女。
それなのに、頭の中はお金でいっぱい。不思議というより歪に見える。
「ココ様はどうしてそんなに貧乏性なんでしょうね……たかだか銅貨一枚で……」
抱きかかえながらナタリアが思わず漏らした言葉に、もう寝かけているココがそっと囁くように返してきた。
「……ここの連中はみんな、貧乏を知らないんだ」
「そうですか? 実家が貧しい人も結構いますよ?」
マルグレード女子修道院の修道女は貴族や富豪の令嬢が多いけど、マジメに出家した者には庶民もいる。学問を修めたいのに支援者を見つけられなくて、修道女になって研究の道に入った者もいる。
ナタリアはそれを指摘したけど、ココはそれにも異論があるようだった。
「ナッツ……それは違うぞ」
「そうなんですか?」
(お金が無いのを貧乏と言うのでは?)
ナタリアの素朴な疑問に、ココは目をつむったまま囁いた。
「毎日食うものがある家なんか、貧乏とは言わない」
ココが発したのは本当に小さな声なのに……その一言は激しく怒鳴られたように大きく強く、ナタリアの耳の中に響き渡った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます