第45話 聖女様は思うところを語り聞かせます
思わず言葉を無くしたナタリアに、聞かせるつもりがあるのかないのか……湯を掻く音でも消えそうな音量で、聖女の独白が続く。
「私にも昔は親がいたんだ……よく覚えてないけど、父ちゃんは工房の窯焚きだったんだって。どういう仕事かよく知らないが、私が四つになる前に工房が閉まって失業したんだと」
無意識なのか、ココの手が小さく湯を跳ねて水面に波紋を立てた。
「それでも他の工房へ行って働けば良かったんだけど、脳天気な父ちゃんはそうは考えなかったらしくてさ……母ちゃんに言ったんだ。『よーし! ここはひとつ、でっかいことをやってやる!』って。それで冒険者になるって宣言して、ダンジョンへお宝探しに行ってそれっきりだってさ……ははっ。工房が閉まって仕事がなくなったって話だけど、案外ただ単に役立たずでクビになっただけかもな」
ナタリアが何も言わないので、ココはそのまま話を続ける。
「失業して働き口を探すより、一獲千金を夢見て冒険に行っちゃう父ちゃんだ。蓄えなんか持っているはずが無いよな。そこからは母ちゃんと私で食うや食わずの生活でさ。それだけは覚えてる。そんで母ちゃんもこりゃ帰って来ないって半年で見切りをつけてな」
そこまで話したココが、急に話を変えた。
「ナッツ。飢える母子二人の手元に、一人分にも足りないパンの切れ端があったとして。おまえはどうしたらいいと思う?」
「あ、それは……」
他者への愛と献身についての説法でよく使うたとえ話だ。ナタリアは当然、司祭が言う模範解答を答えようとした。
「それは、希望を一つ与えてくれた神に感謝を捧げて二つに……」
「子供を投げ捨てて、親が一人で食うのが正解だ」
かぶせるように言われた言葉の冷たさに、温かい風呂に入っているのにナタリアは一瞬氷室に放り込まれたような錯覚を覚えた。
「そ、れは……」
「二人で分け合えば共倒れ、明日なんか来ない。子供だけに食わせたって親が死んだ後に生きる術なんて持ってない。だけど親さえ生きてりゃ子供なんてまた作ればいい。己が生き延びて食えるようになってから、次の子供を新しく作れば命は繋がる。動物はみんなそうしているぞ? 人間が頭で色々考え過ぎるんだ」
聖女を抱きかかえるナタリアの腕に、知らず知らず力が入る。
「それじゃ……お母様は……」
「その頃、酒場で働いてた母ちゃんに言い寄ってたおっさんがいてさ。父ちゃんに期待できないって見極め付けた母ちゃんは再婚を承知したんだけど、連れ子はいらないっておっさんに言われたんだな」
「それでココ様を一人路上に置いて!? だって……自分の産んだ子でしょう!? 今まで苦しくても二人で暮らしてきたのに、見捨てて自分だけ嫁に行くって……」
「言っておくが母ちゃんも私に愛情が無かったわけじゃないぞ? おっさんのところに行く前に家を売って、あるだけの金で日持ちがする食い物を袋一杯買っといてくれたからな。一人だけでも助かる未来と、甘さを捨てられなくて二人で野垂れ死ぬ明日とを秤にかけただけだ」
何でもないように淡々と紡がれる言葉をナタリアは否定したかった。この世界はそんな非道な場所ではないと。
だけど。
実体験としてそれを語る少女に、飢えを知らないナタリアの薄っぺらい反論が届くとは自分でも思えない。
もしもココの親が、こんな事をいけしゃあしゃあと語ったのならば。
たとえ告解室で懺悔されたのだとしても、ナタリアは己の良心に従って相手をぶん殴っていた自信がある。だけど、今それをナタリアに語って聞かせているのは……捨てられた本人なのだ。
「……孤児院に預けるって方法だって……」
ナタリアがわななく唇からやっと絞り出した言葉も、聖女と呼ばれる少女は笑って否定する。
「母ちゃんがまだいるから孤児じゃないじゃないか。今でも入所待ちが行列している孤児院に、住所の確認も取れないような貧民の片親ありなんて入れないって」
「そういう子供を引き取るのが孤児院では!?」
「ナッツ。女神は全能かもしれないけれど、神の代理人の財布は限りがあるんだよ?」
年下に言い聞かせるように明るく、常識のように素っ気なくそう言って……聖女はぎゅっとナタリアを抱きしめ返した。
「銅貨一枚じゃ丸パンでも一個しか買えないけど、二枚あれば二個買える。二個あれば母ちゃんも子供もそれぞれ食える。お金がいっぱいあれば、父ちゃんも母ちゃんもどこへも行く必要はなかった。つまり父ちゃんも母ちゃんも、家族の幸せってやつも……金さえあれば世の中なんでも買えるんだ」
もうほとんど寝ているココが、最後にニコッと笑って囁いた。
「パンが一つ喰えれば、人間三日は生きられる。いいか、ナッツ。銅貨一枚は三日分の命の値段だ。金は銅貨一枚でも大事にしろよ」
寝てしまったココを抱きかかえ、しばらくナタリアは固まったままだった。
親に捨てられてから六歳で聖女と認められるまでの約二年間。
誰一人頼る者がいないこの子は、どんな生活をしていたのだろうか?
もしも聖女にならなかったら、この子は十まで生きられたのだろうか?
ココが教団に拾われ、聖女になってからもう八年。
それまでの人生よりも長い時間を教会で過ごしても……いまだ記憶から消し去ることのできない過酷な体験を思い、ナタリアは聖女を抱きしめ声を出さないように涙した。
◆
じつはまだ意識が飛んでいないココ。
猫の子みたいにぎゅっと抱きしめられた聖女は、されるがままに顔でナタリアの豊かな胸の弾力を楽しんでいた。
(金の大事さを説いたら、ナッツもようやくあればあるだけ良いと理解したみたいだな。たまには年寄りじみた説教もしてみるもんだ)
ナタリアが心に受けた衝撃を別方向に解釈した聖女様は、ついでにもう一つの事を思った。
(……にしてもナッツ、デカいよなぁ。私、あと六年でこんなに育つ自信は無いぞ? あれか? 成長期の食い物が違うのか?)
ココから見ても、ナタリアはズルいぐらいに見た目が良い。
顔はマルグレードの女たちの中でも上位に入ると思うし、背が高いし何よりスタイルが抜群だ。アデリア辺りも悪くはないけど、アレは中身がまだ子供だ。ナタリアの上品なしぐさとか落ち着いた物腰とか、そういう大人の色気ってものが表面に出てくるには時間がかかるだろう。
(
ナタリアがココの過酷な過去に泣いている間。
ココはナタリアの素敵ボディに嫉妬していた。
(それにしても……冬にベッドに入ってるみたいだな……)
くだらないことを考えているうちに、守銭奴の聖女様はぬるま湯の心地よさに考えるのが面倒になり……そのまま眠りの世界へと引き込まれて行くのだった。
◆
所用を終えたナタリアが大聖堂から戻っているはずのココの部屋まで来てみると、何故か聖女様は法衣じゃなくてパンツスタイルの私服に着替えていた。しかも袖も裾もまくり上げている。
「……ココ様、いったい何を始める気ですか?」
「おう、ナッツ! いや、さっき小耳にはさんだんだが」
ココが何に使うのか、タモを持って素振りを繰り返す。
「大聖堂の前に聖マルタの泉ってあるだろ?」
「ええ。初代聖女の聖マルタを記念した噴水ですね。それが?」
キラキラ……というかギラギラした目でココが振り返る。
「何をバカやっているんだか、大聖堂に来る連中がよく金を投げ込んで願掛けをするらしいんだ。あの広い噴水の底には、そうやって積みあがった貨幣が唸るほどあるらしいぞ」
「……ココ様、まさか……?」
「それをな、年に一回浚って回収するらしいんだよ。ウォーレスが明日やるって指示しているのをこっそり聞いたんだ」
「まさか教皇庁が回収する前に、先に浚って盗んでくるつもりですか!?」
「盗んで来るとは人聞きの悪い」
ココが使命感に燃えた顔でタモをびしっと振りかざす。
「水底に沈んだまま日の目を見なかったお宝がジジイの煙草代に消える前に、聖女たるこの私がお救いせねばな! ウォーレスのヤツ、そんな素敵な場所があるなら教えてくれればいいのに。なんで誰も教えてくれないんだ」
「そういうことを言い出すからですよ! ダメですよココ様! 聖女がそんな恰好で賽銭泥棒している姿を見られたら……」
「心配するな、ナッツ。見つからないように、ちゃんとみんなが寝静まった夜にやるから」
「そんな事を言いたいんじゃありません!」
先日感銘を受けた、あの生い立ちの話はなんだったのか……。
こんなココを見る限り。
やっぱり守銭奴なのは辛い人生経験じゃなくて、生まれ持った性格のせいなんじゃ……とナタリアはどうしても思ってしまうのだった。
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