第43話 聖女様は一つ一つをあまねく慈しまれます
「おわぁっ!」
突如沸き上がった(色気のない)悲鳴にナタリアが振り向いたら、お仕えする聖女様が何かに驚いて固まっているところだった。
「何事ですか!?」
慌てて駆け付けたナタリアへ、泣きそうな顔でココが振り向いた。
「うっかり落とした宝物が、跳ねて窓から外へ飛び出しちゃった……」
「ええっ!? 何を落としたんです!?」
ココにしては珍しい失敗に、聞いたナタリアも驚いて問い返した。
普段ココは危険予測に長けているから、こういう失敗は滅多にしない。つまり普段のやらかしは全て、ココ的にはセーフだと思ってやっている。
それに私物をあまり持っていない聖女様は、落とすようなアクセサリーの類もほとんど身につけていない。なので、こういう事故も非常に珍しい。
窓に駆け寄って外を必死に眺めるココが、落胆を隠しきれない声で返事を絞り出した。
「……銅貨を一枚」
「この世の終わりみたいな声で何を言うかと思ったら……」
予想通りと言えば予想通りだけど、くだらない内容にナタリアは脱力して仕事に戻った。聖女的には時給一時間分かも知れないが、それにしたって大した額ではない。
「何を言う! お金だぞ!? 銅貨一枚なんて……大金じゃないか!」
「それ以下の単位を私は聞いたことがないんですが」
「何を言うんだ、ナッツ。地金の色に貴賤なんかない……お金はすべて尊いんだ!」
「いや、地金の色は思いっきり価値の差じゃないですか」
呆れたナタリアのツッコミも耳に入っていない様子の聖女様。
「ちょっと探して来る!」
真剣な顔でそう宣言してバタバタと走っていくココの背中を見送り、ナタリアも窓から下を覗いてみた。
「うわぁ……」
窓の下は、よりによって全然手入れされていない裏庭だった。しかも大聖堂のゴミ捨て場に廃棄物を移動するまでの仮置き場になっている。
雑草は伸び放題で土を覆い隠し、刈り取った芝草や壊れた道具類なんかも散在していた。簡単に言えば、荒れ放題。
「この中から銅貨一枚を探すって……」
無理だ。
ナタリアは一目見てそう判断した。
散らかり具合から見て簡単に見つからないのは確実。さすがの守銭奴ココの執念も、今日ばかりは空振りに終わるだろう。
とぼとぼ帰ってくるだろうココをどう慰めようか。あれこれ考えながらナタリアは元の作業に戻ったが……ココは帰って来なかった。
「あら~……シスター・ナタリア。ココ様は~?」
ココの週給を届けに来たシスター・ドロテアに訊かれ、ナタリアも手を止めて周りを見回してみたらココがいない。
「あら?」
よく考えたら、さっき探しに出たまま帰ってきていない。
「道理で仕事がテキパキ片付くはずですわ……」
「ナタリア、ひど~い」
「……言わないで下さい」
うっかり忘れていた負い目にドロテアの一言がぐっさり突き刺さり、ナタリアはココを探しに出た。
ココが硬貨を落とした窓の下へ、ナタリアは回廊から裏庭へと回り込んでみる。作業している音がしたので覗いてみて……絶句した。
場所は確かに合っていて、そこにココもいたのだが……散らばるゴミを運んでいるココの法衣は泥だらけ。その土汚れから、さっきまで地面を這いずり回って探していたのが判る。そして今はゴミを関係ない場所まで運んで、捜索の邪魔にならないように取り除けているようだ。
「ココ様!?」
「お? ナッツか」
「どうしたんですか、その恰好!」
「うむ」
ココが眉をしかめてガラクタ置き場を眺めた。
「落ちたと思った場所をさっきまで丹念に探していたんだが……どうやら地面に落ちる前に何か固い物に当たって跳ね返ったらしい」
確かに、そうなってもおかしくない散らかり具合だった。
「予想した場所には影も形も無いんだ。だから捜索範囲を広げる前に、邪魔になるものを現場から外している」
「それは、見て判りましたが……」
高価な宝飾品や、大事な思い出の品を落としたというなら判る。
だけど今ココが探しているのは……。
「たかが銅貨一枚でしょう……?」
これほどの時間と手間をかけて探すような物では、ない。
たとえ見つかっても、収穫が銅貨一枚では絶対的に
ナタリアはそう判断したが、ココの考えはまた別のようだった。
「バカ者! ナッツには以前言っただろう? 銅貨一枚を笑う者は銅貨一枚に泣くんだ! そこにあるのが判っている以上、これを回収しないという手はないぞ!」
「と、言われましても……」
あまりに割に合わない。
「ココ様……また残業を頑張るということでは……」
「ダメだ! 新しく稼いだって、前のを無くしていい言い訳にはならない」
全然考え直す様子もなく、ココは取り付く島もない。ナタリアが見る限り、半日がかりで今やっていることよりも残業一時間の方がよっぽど楽に思えるのだが。
ナタリアは提案を変えてみた。
「あの、それなら私が代わりのを一枚差し上げますから……それなら働いた分ではないですし、同じことでは?」
これならココの稼ぎとしては変わらない……と、思ったけど。
「くれるならもらう! だけどそれは別の銅貨で、私の落とした銅貨じゃない!」
半分予想は付いたけど、やっぱり拒否された。
「……絶対に損じゃないの。なんでこんなに執着するのかしら……」
最後の粗大ごみを運び終えて気勢を上げる聖女様に、その原動力が理解できないナタリアは首を傾げざるを得なかった。
◆
「と言うわけで、ココ様はまだ捜索を続けておられまして……」
全然戻って来ないので、夕方になって騒ぎになる前にナタリアは修道院長にココの行動を申し出た。
お付きのくせに止めるか一緒に探すかできないのか! と怒られるかと思ったけど……さすがに
本人もいないので咎める言葉もなく、ただ呆れて言葉もない様子でこめかみに手を当てている。
ややあってシスター・ベロニカはナタリアだけ戻るように指示を出した。
「……仕方ありません。そこまで意志が固いようでしたら、聖女様には好きにやらせておきなさい」
「宜しいのですか?」
課業をサボることで咎めがあるかとナタリアは思っていたが、意外なことに院長は簡単に了解してくれた。
「うわの空で礼拝をされる方が、女神様に失礼です」
「あ、そうですね……」
言われてみれば。
「その代わり、私事で日課をこなしていないのですから夕食を取る資格はありません。聞かれたら本人にも、そうお伝えして下さい」
やっぱり怒ってはいた。
去って行く院長を首を竦めて見送り、ナタリアもとぼとぼ歩きだす。
「それにしても……ココ様、どうしてあそこまで守銭奴なのかしら」
今日の言動を考えると、改めて不思議に思う。
「ココ様、普段は勝手気ままなようで……理詰めで考えてるのよね」
むしろ合理的に過ぎて、慣習やマナーを無視しているところがある。
それを考えれば、落とした一枚の銅貨にこだわるのは逆に収支がマイナスになっているのを本人だって判っているだろう。
捜索にかかっている時間を考えると、その時間分仕事をすればココは一日分の日当を稼げたはずだ。
それに自分が探し回る分には費用は掛からないけど、あれだけの作業で体力は消耗している。疲労だって残る。おまけに今、サボった罰で夕食も抜きにされた。
改めて思うが、銅貨一枚が見つかってもこれではひどい赤字だ。
ココは無軌道に見えて、損得勘定にはシビアなタイプだと思っていたのに。それでも一枚の貨幣を探す。
ナタリアはまた、ココの考えていることがよく判らなくなった。
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