第42話 ナタリアの憂鬱
「どうしたんだ、ナッツ。今日はやけにぼんやりしているな」
ナタリアがタオルをかぶせて頭を拭いてやっていると、タオルの合間からココが顔を見上げてきた。こういう所は本当に鋭い。
「あー……いえ、大したことではないのですが。そろそろココ様付きになって六年ぐらい経つかなあと思いまして」
新入りがいきなり側付きになって東奔西走していたら、いつの間にかマルグレード女子修道院の中でも古株のほうになってしまった。新しく入って来る令嬢たちを見ても、はっきり世代が違うなあと思う。
ナタリアももう婚期遅れと呼ばれてもおかしくない二十歳。一番若かったはずなのに、修行そっちのけでココの世話に忙殺されていたら……すっかり過去の人に。
最近新品のまま出番が無くなって棚で埃をかぶったデッドストックを見ると、どうにも他人事に思えない。
なにしろ十六歳で還俗して結婚する予定が、そのまま既に二十歳。
そして聖女様との相性を考えたら、間違いなく彼女の任期切れまでは辞めさせてもらえない。
ココの任期が終わるまであと四年。
年頃の乙女が社会と隔絶された塀の中で過ごすには、まだまだ先が長すぎる。会ったことは無いけれど、監獄の長期囚になぜか親近感を覚えてしまうこの頃だ。
当初修道院を出たらすぐに結婚する予定があった通り、元々ナタリアには許婚がいた。
しかし、あまりにも待たせ過ぎて……一昨年とうとう許婚から「申し訳ないけれど、いつ結婚できるか目途も立たないのでは……」と婚約破棄を言い渡されてしまった。向こうの都合も判るので、文句も言えない。
それは仕方ない。ナタリアの運と巡り合わせが悪かった。だから元許婚を恨む気持ちは毛頭ない。
ただ教団には……特に、任命してくれたシスター・ベロニカには苦情を言いたい気持ちはある。
……貴族女性として完全に嫁ぎ遅れの二十四歳で外の世界へ放り出されて、その後どうしろというのか……!
このまま四年後のココの聖女退任まで残留したら、そのころナタリアは二十四歳。
聖女様ほどではないが宗教的使命感は無いので、修道女で残るか外に出るかと言われたら当然
ナタリアだけにしかできない
補償を求めても教会が責任を取ってくれるとしたら、間違いなくマルグレード女子修道院の幹部ポストだろう。監督として、ココの代わりに新人の面倒を見ろと……報酬とか言いながら仕事を増やされるだけの話だ。絶対に御免被りたい。
同世代は当然みんな子供がいて当たり前の歳になっている。二十四歳から探し始めて、今さら条件のマトモな結婚相手が見つかるとも思えない。
かと言ってマルグレードに残り、一生をシスター・ベロニカみたいに過ごすのも嫌だ。彼女と二人三脚で修道院の経営をやるのはもっと嫌だ。
そう考えると、自宅で兄夫婦の厄介になりながら暮らしていく未来しか想像できない。
「……まさか
ありえない話でないのが、ナタリアは怖くて仕方ない。
四年後からの人生設計を考え、暗いため息しか出てこないナタリアだった。
「……ココ様?」
気が付くと、聖女様が横からナタリアの顔を覗き込んでいた。
「なあ、やっぱり気に病んでるのか?」
「ココ様……」
ただの暴れん坊に見えて人の気持ちにも敏感なココ。ナタリアが落ち込んでいるのが気にかかっている様子だ。
心配させまいと、ナタリアは無理に笑顔を作った。
「なんでもないですよ」
「そうか?」
無理しているのが判るのだろう。ココはまだ浮かない顔だ。彼女にしては珍しく、ウジウジしながらチラッとナタリアを見る。
「やっぱり、このあいだ
「そんなことを気にしているのではありません!」
◆
年齢のことだと正直に白状したら、またもや聖女様に哀れみの目で見られた。
「だからナッツ、常々銅貨一枚でも無駄にせずに貯めておけと……」
「いえ、さすがに実家までは放り出されないと思うんで、老後の心配をしている訳じゃ……ココ様、ホントに貯金の話ばかりですね」
「当たり前だ。このあいだ最悪の変態サディストに貯金を持って行かれたからな、手元に金があることのありがたさを再認識させられたばかりだ!」
「あれは別に返さないと言っているわけでは……」
「『俺と結婚するか、もしくは貯金全部没収された上に指名手配になるか、好きな方を選べ』って言うのは“選択の自由”って言わないんだよ!」
「まあ、それは……」
不思議と言えば不思議なのだが、なんにでもこだわりの無い
お金のことには、とにかく細かく固執する。妄執と言ってもいい。
だけど彼女が貪欲なのかと言えば、むしろその逆。その他のことには全然執着しない。
食事も量は食べるけど、少し嫌いな物があるくらいでメニューには文句をつけない。
物に対する好みがうるさいとか無茶なわがままも無い。
衣服も宝飾品も興味の無さは男性以上。
意地の悪さも当り散らすこともない。
ピンポイントで余計なことをして機嫌を損ねなければ、これほど扱いやすい上役はいない。
貴族の感覚で言えば、聖女様はまさに聖職者よりも無欲。
……なのに貯金だけはやたらとこだわる。
それが何故なのか、ナタリアはいまだに核心にたどり着くことができない。
「……ココ様はまだ十四歳なのに、なんでこんなにケチなんでしょうね」
思わず漏らした言葉に、ココがなぜだか急に照れ始めた。
「おいおい、いきなりお世辞か? あんまり褒めるなよ」
「いえ、褒める意図だけは全くなかったんですけど」
カネにだけ執着するのがなぜなのか純粋に気になると言われ、ココは少し考えた。
「んー……」
ちょっと唸って、結局何も言わずに首を振る。
「それはまた今度な」
「そうですか……」
「ま、そういう気分になったら話してやるよ」
それだけ言うと、ココはニカッと笑って上着を着始めた。
◆
不意に聖女様が何かを思い出した。
「そういえばさ」
「はい?」
「歳と言えばナッツ、おまえ確か今二十だったっけ?」
「ええ、そうですけど」
急に何を言い出すのかとナタリアがココを見ると、ココもごくマジメな感じに首を傾げた。
「貴族なのにそろそろ結婚しなくて大丈夫? 新しい男を紹介してくれるヤツはいないのか?」
「うっ!」
油断した。
聖女様、いきなり古傷をピンポイントで抉って来た。
ナタリアもさすがに胸の痛みで涙が出てきそう。
「おかげさまで!」
「何を怒ってる」
「何をじゃないですよう……この仕事を辞められないから婚約を破棄されたんじゃないですか!」
自分では気持ちに整理をつけたつもりだったけど、やっぱり他人に指摘されるのは堪える……特に、原因を作った張本人に不思議そうに聞かれるなんて。
「ううっ、それがある限り、あと四年は結婚できないんですもの……」
「あっ、そうか」
「そうかじゃないですよ! 二十四からじゃ、もう縁談のクチも無いですよ……。私、ココ様のお世話をしている間に立派に行き遅れです」
「あー……」
さすがにバツが悪そうな聖女様はちょっとうろたえ、それから……ふわっとナタリアを抱きしめた。
「ナタリアを捨てるだなんて……元許婚も見る目のないヤツだったよなあ」
「ココ様……」
年下の少女に抱きしめられ、ナタリアはその胸の温かさに泣きそうになった。
そうだ。
聖女様はあれこれ言われているけれど、やはり心優しい一人の少女で。
……そんな娘だからこそナタリアは、還俗よりも婚約よりもこの子を支えることを選んだのだ。
世の中に貴族夫人の成り手はいくらでもいるけど、聖女ココとマンツーマンでやっていけるのは世界広しと言えどナタリアしかいない。
(聖女のココ様の方が重荷を背負って大変なんじゃない……私が結婚できないくらい、聖女の職責に比べたら!)
“仕事の奴隷”の典型的な思考パターンである。
(余計な心配をかけちゃダメ! 元気を見せなくちゃ!)
婚約破棄なんて私事でウジウジしていた自分が恥ずかしい。そう思ってナタリアは心の中で弱い自分に活を入れた。
自分で私事を仕事の下に置いてしまう。これも“便利なヤツ”の代表例である。
自縄自縛の罠に陥っていることに気づかず、ナタリアは気を取り直してココに笑って見せた。
ナタリアが立ち直った様子にココもホッとしたようだ。
「全く男どもも見る目がないよなあ……ナッツの価値を判ってない!」
「エヘヘ、そうですか?」
……ホッとしたついでに、その聖女様が脳天気にのたまわってくれた。
「そうだよ。私なんかナッツが便利過ぎて、ずっと手放したくないってアピールしているのに!」
「だから私が行き遅れるんですよ!」
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