第14話 聖女様は理非を正されます
狂騒の一刻が終わり、全ての樽が動きを止めた時……アジトの中は死人が出ていないのが不思議なくらいの惨状になっていた。
一人避難していた高台から降りて来たココは、まだ動ける者たちへ謝った。
「すまん、うっかりぶつけちゃった。わざとじゃないんだぞ?」
そして爽やかな笑顔で手に持った“聖なるすりこぎ”を軽くスイングし、言葉もなく茫然とココを見ている軽傷者たちへ笑いかけた。
「安心してくれ。こんな軽い悪戯みたいなのじゃなくて、本番はちゃんとマジメに相手をしてやるから。んじゃ、みんな身体も温まったみたいだし……そろそろ始めようか?」
「すみませんでした!」
ふんぞり返るココの前に、アジトにある限りの金品を積んでギャングたちが土下座した。もうココに頭を下げることに、誰も異議を唱える者などいない。
「ふむ、別に金が欲しかったわけじゃないんだが……まあ君たちの“誠意”だから、ちょこっとだけもらっておこうか」
もったいをつけつつも行きがけの駄賃は断らないココ。喜捨は誰からでも断ってはいけないと教義にも書いてある。
「だけど全部は私も持って帰れないから……おいダニエル、そこの袋に銀貨だけ詰めてくれ。それでいいにしてやるよ」
「はいっ!」
積み上げられた中には金貨や宝石も混じっているけど、金貨なんて額面が大き過ぎて使いづらいし宝石も意外と換金しにくい。ココが貯め込むには銀貨ぐらいがちょうどいい。
さっさと帰ってもらおうと貨幣の山から必死に銀貨を選り分ける男たちへ、機嫌が良くなったココが笑いかけた。
「ま、私も元々そっち側だし? あんまり固いことは言うつもりはない。お上の目が行き届かない下町には下町のルールがあるしな」
実際問題、下層住民の社会はグレーゾーンで稼いで生活している者も多い。官吏が入り込んでくる方が嫌がられたりもするので、地廻りのギャングが日陰者の秩序を統制している側面もある。
「そ、そう言ってもらえると助かりやす……」
「うん、私も必要悪にまでケチをつけようってつもりも無いんだ」
ニコニコしているココが足元に転がっていた金貨を摘まみ上げた。
「ただ、なあ……」
金貨を眺めるココの目が、心持ち細くなる。
「私も食ってく為に油断してるヤツに散々迷惑をかけたけど、洗いざらい持ち出して一気に稼ぐようなことは慎んでた。仕入れの代金や生活費まで盗っちゃったら、他人の人生狂わせちゃうからな」
「お、おう……」
ココが何を言いたいのか判らなくて、ジャッカルたちは顔を見合わせる。
「
「ああ、もちろんだ」
ココの言った言葉は裏社会では有名なたとえだ。
根こそぎ奪い取ったら、奪われた方は生活が成り立たなくなる。奪われる者がいなくなってしまえば、奪う者もまた死ぬしかない。だから縄張りや利権で喰っている者は、下の連中が喰えなくなるような真似はするな……時として無茶な税を取り立てる領主権力を皮肉る警句でもある。
「だからおまえたちも、あくまで“上澄みをすくう”だけにして欲しいんだよな」
「あ、ああ……わかった、約束するぜ」
ココの言う理屈は
それを確認したココが顔の前に金貨をかざした。
「それでな?」
ココの指先に青白い光が揺らぎ始める。
「そのルールで言えばさ」
ココの指先の揺らめく蒼炎に見入っていたギャングたちは、その向こうに見えるココの笑顔が上っ面だけな事に今頃気が付いた。
「他人の人生を売り飛ばす人攫いは……絶対にやっちゃダメだよなあ?」
「!」
次の瞬間、灯火のような光は一気に輝きを増して直視できないほどの閃光となり。
その中心で、ココが摘まんだ金貨がみるみるうちに……溶けた。
「ひぃっ……!?」
悲鳴を上げたのは自分だったのか他の者だったのか……それも判らないぐらい、ジャッカルたちは恐怖に慄き腰を抜かしていた。
金貨は溶けて床に小さな黄金の水たまりを作ったが、ココの白い指先は燃えるどころか火傷の痕一つ無い。
人間がそれほどの高温を発する事も。
それほどの温度に指先の皮膚が耐えることも。
そんな事、ありえるはずがない。
……神の使徒を除いて。
女神の貸し与えた聖女の力がどんなものか改めて目の当たりにさせられ、ジャッカルたちは硬直して動けなくなった。
ココは立ち上がると、石像みたいなジャッカルの手から金袋を抜き取った。手の上で軽く何回かバウンドさせて重さを確かめる。
超常的な力を見せられ蒼白な顔で震える男たちをざっと見まわした。
「じゃあ私はこれで帰ってやるから、後はそこのバカどもを自分たちの手で警吏に突き出して本気を証明して見せろ」
大怪我をしているラダとポンスが指名を受けて短く悲鳴を上げた。
「お、おい、マジか!? 警吏に捕まったら俺たち縛り首だぞ!? ……な、なあ? そんな事しないよな?」
二人は慌てて周りを見回すが、さっきと違って誰も視線を合わせてくれる者がいない。聖女に見栄で対抗するのがどれだけ滑稽か、ギャングたちは今の短い時間で嫌というほど学んでいた。
孤立無援なことを理解した人攫いたちは、泡を喰って叫び始めた。
「お……おまえら、血の掟はどうなったんだよ!? おまえらだって似たようなもんだろ! 人のこと言えんのか!? たまたま、たまたま今回は俺たちがやっちまっただけだろ!?」
見苦しく叫ぶ二人をココが冷たく一瞥した。
「運が悪いって言ったらそうかもな。でもこの国じゃ、一回やっただけでも高いところに上がるには充分な罪科だったよな? しかもおまえら、常習犯だろ」
続いて周りで押し黙る「広場」一味を一人一人眺めていく。それぞれがココの視線を感じるように、じっくりと。
「庇い合いの掟も、まず他人様に迷惑をかけないって大前提があってこそだ。それを私が今教えてやったのに、それでも自分たちで手を綺麗に洗えないって言うんなら……仕方ない、私は何度でもまた来るからな?」
ココは返事を待たず、半壊したアジトを後にした。後ろで抵抗する男の悲鳴と切羽詰まった怒号が響くけど、それはもうココにはどうでもいい事だ。
◆
「やれやれ、遅くなっちゃったな……大事な睡眠時間がだいぶ削られた」
ナタリアたちはココがたっぷり寝たと思っている。明日の朝に寝ぼけていたら怒られるだろうな……それを考えるとちょっと憂鬱なココだった。
さすがに夜更けに大聖堂へ入れてくれというのも不審過ぎるので、ココは久しぶりに本気で気配を消して門番の隙に中へ滑り込んだ。
「いつも思うんだけど、大聖堂の警備ってザルじゃないのかな……」
こんなので諜報員や暗殺者を防げるのだろうか。ココは夜遊びから帰るたびに心配になる。
帰りは行きに使った昼間に人目を避けるルートではなく、修道院へ最短のルートを歩いていく。宿直しかいないこの時間なら、通用口の横の塀をよじ登ったほうが速い。
途中通りかかった礼拝堂で、ココは常設の喜捨箱に目を止めた。
自然と手に持った
「……ま、あぶく銭だ」
ココはできるだけ音をたてないように、中身を全部喜捨箱に投入した。
普段出先で受け取って懐に収めている浄財と違って、コイツは喜捨する人間の祈りが込められていない。そう考えると、まずは女神に供えて“綺麗な”物にした方が良い気がした。
「……私のやられた分をお仕置きしたって、今までの被害者が帰ってくるわけじゃないしな。そんな金の上澄みなんて、結局汚れた泥水だ」
やつらの金なら根こそぎもらっちゃってもいい気はするけど、いつもみたいに自分の懐へ納めるのはさすがに気が引けた。そもそもココは一発当てて大金をもらうより、働いてちまちま小金を積み上げる方が好きだ。
ついでに金袋も投入しといてやる。経理に有効に再利用してもらおう。
「あれだ、マネーロンダリングってヤツだな」
一人呟くと踵を返しかけ……せっかく喜捨を入れたのだから、何か願っておこうかと思い直した。
「うーん……でも、私は別に女神に頼みたいこともないしなあ」
毎日ご飯を食べられているから、身に過ぎた望みはいらない。
色々候補を考えたココは、思いついた中で一番切実な問題を女神に願うことにした。
祈りの手印を結んで喜捨箱に頭を下げる。
「男に縁がないナッツに、良い縁談が来ますように」
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