第2章 聖女様は残業手当をご所望です

第15話 聖女様は吝嗇家であらせられます

 守銭奴な聖女様は金欲と食欲は旺盛なのに、物欲は無い。だって、物を欲しがるとお金がかかるから。

 つまりココちゃんケチなのだ。


 だからかわいいドレスにも興味が無い。

 普段着ている法衣はそもそも清貧の教えに沿ったかなり質素な代物なのだけど、そこから着替えた私服は更に物が悪い。メイド服の方が仕立てがいいんじゃないかって安物だ。

 ココ自身は「一日のほとんどは法衣を着てるんだし、服の体裁は整っているんだからいいじゃないか」と言うのだが……お付きのナタリアとしては、ココの美貌をかわいく飾れないのがつまらない。




 周りの修道女たちも、華美を禁じられているという条件は一緒。

 だけど元々行儀見習いで仮出家しているお嬢様ばかりだから、好きで地味にしているわけじゃない。下着に凝ったり見えにくいところにアクセサリーを付けてみたり、厳粛な院長の目をかいくぐってお洒落をしようと誰もが涙ぐましく努力している。

 中にはわずかな自由時間、誰に見せられる訳でもないのに私室で好きな私服に着替える者もいる。それぐらい“華の年頃”にとって着飾るのは大事なのに、今から思春期に入るはずの聖女様はすでになんだか枯れている。

 ココだってが良いのだからもっとお洒落をすれば、と子爵家令嬢のナタリアなんかは歯がゆい思いをしているのだけど……当の本人は「修道女が色気を出してどうするよ?」とケタケタ笑って全然その気がない。

 それは神職にある者としては正しい。

 確かにその通りなのだけど……ただ、間違いなくココの本音は宗教的な倫理観から来ているものじゃないとナタリアは看破していた。


 ココは単純に、お洒落にかける金が惜しいだけだ。




 ココが授業を受けている間の手空きの時間、ナタリアはそんな思いを親しいシスター・アデリアに愚痴っていた。彼女も貴族出身者としては下っ端なせいか、言動が俗っぽいのでココと仲がいい。

「うーん、ココ様のオシャレかあ……」

 アデリアは男爵家の長女で、ココの一つ上の十五歳。歳で言えばココに近いけど、ココが幼く見えるお子様体型なので見た目はナタリアに近い。

 外見はこの国の貴族令嬢らしく、長身で金髪。但し落ち着いた物腰がいかにも淑女らしいナタリアに比べて、ぱっちりした大きめの瞳と落ち着きのなさが少女らしさを感じさせる。わずかに頬に浮かんだそばかすが、その印象を深めているかも知れない。この修道院では一番ココに立場と年齢が近いので、ナタリアはココ問題の相談相手として彼女を一番頼りにしていた。


 ナタリアに言われて、アデリアも心当たりがあったことを思い出した。

「言われてみれば」

「みれば?」

「ココ様あれだけかわいいのに、綺麗な服を着た姿が全く想像できないよ。思い描けば頭には浮かぶんだけど、そういうキャラクターじゃ無いだろってツッコミをついつい自分で入れちゃう」

 雪の妖精のような透けて輝く銀髪と、溶けて無くなりそうな儚い美しさを兼ね備えているのに……動きとやることはガキ大将! 言うことと態度はオッサン! それがココのイメージ。

 アデリアの知る限り、ココは大陸一のガッカリ美少女と言って良い。あれだけの顔の良さなのに、上品なドレスで優雅にお茶会を楽しんでいる姿が全く脳裏に浮かばない!

「でしょー……」

「持ってる服もあれ、古着を一山いくらで買い取った孤児院向けのヤツでしょ? いくら何でも興味無さ過ぎだよねー、あはははは」

 笑っちゃうアデリアを、ナタリアは苦い顔でたしなめる。

「笑い事じゃないわよ。ココ様、服は着れればいいって考えなのよね……」

「一人で暮らしていた時は一着しかないから、小川に行って裸で洗濯してたって?」

 失神したナタリアの意識をアデリアが呼び戻すのに、しばらく時間がかかった。


 血を上げる為にブランデーを落としたお茶をちびちび舐めながら、ナタリアはため息をついた。  

「ココ様も『誰かくれるなら、ひらひらしたのを着てもいいけど』とはおっしゃるけど」

「それ絶対着る気ないよ。古着屋へ右から左だよ?」

「うん、判ってる。だから私も、家からお古を取り寄せないのよ」

 ココの真意は見え見えだ。いい物をもらったら、転売して貯金にしようと考えているはず。

「ココ様はお人形さんみたいなのにねー」

「ホントにね……」

(十四歳なら、いい加減色気づいてもいい頃なのになあ……)

 育ちのせいなのか、金を稼ぐこと以外は全くお子様なココ。

 いろんな意味で常識人なナタリアは、それがもったいないなと思うのだった。



   ◆



 大聖堂でのミサが終わって修道院へ帰ろうとココが歩いていたら、なにやら一般信徒の出入口で騒ぎが起こっていた。

「おいナッツ、何かあったみたいだぞ」

「そうですねえ。なんでしょうか?」

 儀式の最中は特に何もなかったはずだ。今頃揉める原因がわからずココとナタリアは顔を見合わせた。

「とりあえず見に行くか」

 足を向けるココをナタリアが慌てて引き留める。

「いやいや、ココ様止めて下さい。ココ様がトラブルに巻き込まれたらどうするんですか」

「聖女が信徒間のトラブルを避けてどうする」

「本当は?」

「毎日辛気臭い修道院の暮らしで退屈しているんだ。たまには刺激が欲しい」

「絶対行かせませんよ」

 そこへ呼ばれたらしい教皇秘書のウォーレスがバタバタと走って来た。

「おや、ウォーレスさん。ちょっといいですか?」

 話しかけられたウォーレスはココをちらと見て行きすぎようとした。

「ああすみません聖女様。今急いでいるので賃上げの交渉でしたら猊下宛てに書面で提しゅウォォォッ!?」

「ああっ!? 大丈夫ですかウォーレスさん!」

 ココはよそ見をしたまま走り抜けようとしたウォーレスを、自分で蹴たぐりしてすっ転ばしておいて助け起こす。そして介助する振りをして締め上げた。

(おいこらウォーレス。大聖堂おもてじゃ言動に気を使えって言ったのはおまえらだよな?)

(すみません! つい、いつものノリかと!?)

(次にヌケたことをしたら、鬼ババアシスター・ベロニカにたっぷり三時間はお説教してもらうからな!?)

(すみません! ホント、すみません!)

「それで、あの騒ぎはどうされましたの?」

(それはですね……)

(ヒトが演技に戻ったのに声を潜めてるんじゃない!)

(すみません!)


 ウォーレスの説明によると、ミサの一般参列者で浄財の徴収を拒否しているオヤジがいるらしい。

「そんな払えないほど高額でしたっけ?」

 ココははっきり金額をおぼえていなかったけど、すごく高いと言うほどでもなかったような……。それに帰りがけに喜捨を求められることを、大聖堂のミサに来るほどの信徒が知らないはずがないのに。

「前半分の椅子席にいたそうですから、相場はだいたい半銀貨一枚ほどでしょうか」

 ココにとっては給料三日分だけど、祭壇の列席者がよく見えるところに座るような富裕層リッチマンにはポケットの小銭に過ぎない額だ。

 ソイツはなぜ支払いで揉めているんだろう? ココにもナタリアにも判らない。

「ぴったりのコインを持っていなかったとか」

「それぐらいはこちらも、さすがに融通を利かせますよ。参列に伴う喜捨は、本来で言えば金額は決まっていないですからね」

 喜捨は“お気持ちで”と言われるけれど、実際には相場ってものがある。最前列の後援者タニマチ席に座るような貴族や富豪なら金貨ぐらい奢っても……となるし、庶民なら後ろの立見席で銅貨を二、三枚投入すればいい。ミサに出たいなら、自分の懐具合身分に見合った席に入ればいいのはココでも判る。


 身分には、高さに応じて負わなければならない責任がある。

 偉い人や金持ちがポンと高額を入れるのを虚栄心だと言う人がいるけど、成功者の自分はそれだけの責任を担っていると他人に見せつける為でもある。高貴なる者の義務ノブレス・オブ・リージュというヤツだ。

 ウォーレスが肩を竦めた。

「その辺りは基本的に、知識人や独立商人などの社会的身分がある人が座ります。顔が知られている人ばかりですから、普通はこんな場でケチるなんてありえないんですけど」

 今日はその有名税を堂々払わない人間がいたわけだ。

「そんな席に座っておきながら、銅貨数枚しか入れない人がいたと……それは確かに恥ずかしい」

 払える者がケチるのは立場に相応しい義務を果たしていない=上に立つ資格が無いと見られるし、払えない者が前に出るのは身分をわきまえないも甚だしい。“立場に見合った態度を取れ”。これは社会に生きる人間として最低限のルールだ。


 ココが呆れかえっていると、ウォーレスが首を横に振った。

「いえ、違うんですよ聖女様」

「はい?」

 事態が飲み込めないココに、ウォーレスが噛んで含めるようにゆっくりと説明した。

「あちらの方は、全く……つまり、銅貨一枚も入れないと仰っているんですと」

「……はい?」


 今聞いたばかりの言葉が信じられなくて……ココは営業スマイルつくりえがおのまま、思わずウォーレスに訊き返してしまった。

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