第05話 聖女様はとにかく縁談を拒否します

 頭にきている聖女はそらとぼけている爺さんの首を絞めながらわめき散らす。

「今年こそは絶対給料を上げてもらうぞ! もう一時金で騙されないからな⁉ ベースアップを要求する!」

 怒っている内容は聖女らしくない。

「そう言われてもな……教会も浄財で成り立っておるから経営が苦しくてのう」

 この期に及んでまだ白々しい事を言う教皇もタダモノではない。

「その手を何度使う気だ! テメエがプカプカ吸ってる煙草、調べたら半ポンドで銀貨三枚もするぞ! 酒は飲むは煙草は吸うわ、私の待遇とえらい違いじゃないか!」

「おぬし何処で調べて来たんじゃ……ワシ、値段なんか知らずに吸っとったぞ」

「テ、メ、エ……私を安くこき使っておいて、自分は値札も見ずに贅沢してるとか!」

 キレる聖女が怒りにぷるぷる震えるのを、教皇はまあまあと押し止めた。

「良いか聖女。聖職者が奢侈しゃしを戒め、清貧を守ることは大事じゃ。だが同時に、人々を教え導く者がみすぼらしいというのもまた宜しくない。人間、頼る相手には威厳を求めるのも真理じゃからな」

「だから教皇が多少の贅沢をしていても仕方ないと?」

「うむ。これはこれでさじ加減が難しいのじゃぞ? 我らは泥沼の中で清く可憐に咲く蓮の花のように、首まで社会の泥沼に埋まっていても心は清くあらねばならぬ」

 いかにももっともなことを言いながら教皇が顔をあげると、首を絞めているココが視界いっぱいまで顔を近づけて睨みつけている。

「おいジジイ」

「なんじゃ」

「その理屈なら見た目だけが問題なんだから、髭とゴテゴテした法衣で十分じゃないか」

「まあ、そういう見方もある」

「逆に煙草も酒も信徒の前でやってないよな?」

「……そうだったかの」

「だいたい上に立つ者がみすぼらしくちゃダメって言うのなら、聖女が低賃金で働かされているってのは教団的にマズいんじゃないのか?」

「……そいつはほれ、信徒は知らん話であるし」

「見た目っつったって私、一般の修道女と同じ法衣でも聖女様って充分崇められてるんだけど?」

「……」

「そもそも外面繕わないとならないのは、ジジイに問題があるからじゃないのか?」

「ええい、子供が屁理屈ばかりこねるでない!」

「その言葉、そっくりそのままお返しするわ!」




 襟首を掴んでつべこべ喚きながら揺さぶる聖女を、業を煮やした教皇は秘書の手を借りて引っぺがした。

「とにかく王宮から通達があった以上は予定は本決まりじゃ! 王子がおぬしに会いたいのなら、おぬしは王子に会わねばならぬ!」

「いーやーだー!」

 教皇は無理やり議論を打ち切ると、ココに退出を命じた。

「細かいことはシスター・ナタリアと打ち合わせをしておく。おぬしはせいぜい愛想笑いの練習でもしておけ! 修道院長にも話は通しておくからの、出張も脱走もさせんぞ。おい、ウォーレス。聖女にお帰り願え」

「承知しました。はい聖女様、お疲れさまでした」

「横暴だ! 話は終わっていないぞ!」

 わめく聖女が教皇秘書の司祭につまみ出されると、教皇ケイオス七世はやれやれとため息をついた。

が浮浪児をしていたのはせいぜい二、三年の話であろう? その後八年教会で暮らしておって、なぜ礼儀が改まらないのじゃ」

 ナタリアもそんなことを聞かれたって答えられない。

「よっぽど強烈な体験だったのではないでしょうか?」

 ナタリア自身は平均的な貴族の家庭で生まれ、それなりに豊かな環境で育ってきている。なんでもわがままが通る大貴族の生活もわからないけど、路上で暮らす貧民の気持ちもわからない。

 扉を閉めて戻ってきたウォーレス司祭も首をひねった。

「教育の効果がないわけでもないんですよね。聖女様、教えられたことは水を吸うように覚えますし、書き取りや計算などは同い年の女子の中ではかなりできる方ではないかと」

「大事な帳簿付けや給与計算がありますからね……」

 これはナタリア。ウォーレスが顎を撫でながら宙を睨んだ。

「あの子、頭はかなり良いんですよね。だからもしかしたら……」

「もしかしたら?」

 その時、外の廊下から……少女が声を張り上げ通行人に呼びかけるのが聞こえてきた。


『道行く教会関係者の皆様、私は聖女ココでございます!』

「なんじゃ?」

 三人が閉まった扉を見る。その向こうからドア越しに、少しくぐもってココの声が聞こえてくる。

『児童虐待やワーキング・プアの問題が叫ばれる昨今、ここゴートランド教団でも低年齢層聖職者の劣悪な待遇での過重労働が問題となっております! 具体的には聖女の給料がここ八年、六歳児のお駄賃レベルで据え置きになっております! 雑用しか任されない職人見習いでも、今時ここまでの低賃金はありえません! 私はこの状況を改善すべく経営陣と交渉を行っておりますが、残念ながらいまだに具体的な進展は見られないままです! そこで私は皆様のお力添えを願い、署名活動で大衆の意思を届けたいと……」

 しばし黙り込んだ三人の中で、司祭が最初に口を開いた。

「……こんな当て付けを即座に思いついて実行しちゃう悪知恵とツラの皮の厚さ。これって育ちじゃなくって、生まれつきの才能なんじゃないかなーって思うんですよね」

 この付近はそもそも教団の中枢職員しか通らないし、日常的に前の廊下を行き来している人間はココの性格も待遇も判っている。それはココも知っている。

 だからこれは通行人の賛同が得られないのを判った上で、部屋の中へ向けて聞えよがしに悪口を言っているだけのデモンストレーションだ。

 たまたま事情を知らない一般人が通りかからない限り、やられたからって実害があるわけでもない。だけどこんなことをわざと耳に入るようにされれば、言われた方は確実にフラストレーションが溜まる。

 関係決裂までは行かない、ギリギリ嫌がらせの範疇にとどめる高等テクニック。聖女様は人情の機微が判るだけに、デッドエンドすれすれで踏みとどまるチキンランが得意なのだ。


 聖女様の思っている通り。

 神経を逆撫でするココの抗議活動にストレスを溜めた教皇は、額に青筋を立てるとナタリアに怒鳴った。

「シスター・ナタリア! 外聞が悪いから、急いで聖女を連れ帰って部屋に放り込んでおきなさい! 鍵をかけてな!」

「は、はいっ!」

 結局、しわ寄せは自分のところに来るんだ……。

 ナタリアは内心ため息をつきながら、ココを連れ帰るために部屋を飛び出した。



   ◆



「もう……ココ様、なんで教皇猊下に対していつも喧嘩腰なんですか」

 ナタリアはココのベッドの準備をしながら嘆いた。

 この聖女、とにかく教皇と相性が悪すぎる。せめて出会いがしらの挨拶からして「よう、ジジイ」とか息をするように喧嘩を売るのを止めてもらえないだろうか。

 待遇の悪さを騒ぎ立てていたので御機嫌取りにもらった蜂蜜酒ミードを舐めながら、ココが首を捻った。

「うーん……ジジイだからかな」

 答えになってない答えにナタリアも意味が判らない。

 ナタリアが困惑しているのを見て取って、ココは杯を置くとベッドに飛び乗ってあぐらをかいた。天井を見上げる。

「ジジイはなー……自分では坊主のつもりだけど、アイツの頭は政事に偏り過ぎてる。ま、教皇庁ってのはそういう場所だけどな」

 なんと言っていいか判らないナタリアが黙っているので、ココは上を向いたまま先を続けた。

「悪い事じゃない。ゴートランド教ここはでっかいからな、無邪気な坊さんだけじゃやってけない」

 ゴートランド教団は魔王を退けた勇者パーティを後援したことで名を馳せて拡大し、今では大陸中に散らばる聖職者だけで万を超える。その威勢は大国に並び、大陸全土に張り巡らされた連絡網はどんなギルドもかなわない。教皇庁はその領土無き国家の執政府だ。

 そんな組織を取りまとめるためには、清濁併せ呑む必要も出てくる。奉仕活動に勤しむ現場の善人ばかりじゃ、巨大組織は維持できない。

「だけど、政治家の頭で本業をやっちゃうと、本末転倒なことをやらかすんだよ……だからジジイが坊主の頭になるように、私が時々つついてやらないとな」

 そこまで言われると、修道女と貴族令嬢の二つの顔を持つナタリアにも言いたいことが判る気がする。

 世俗的に過ぎるダメ聖女のココに手を焼くから教皇は聖職者の本分を忘れない、と。ほぼ教会の中しか知らない十四歳の少女が言うには、ずいぶん不遜もいいところのセリフだけれど……でも言われてみれば、硬直した教団組織の中で教皇に意見できるのは聖女だけな気もする。


 聖女がらしくないから、教皇が常に聖職者として苦言を言い。

 教皇が踏み外しそうだから、聖女が身を持って立ち位置を思い出させる。


 ナタリアはなんだか笑いが込み上げてきた。

「鶏が先か、卵が先か、みたいですね」

 ココが寝転がって仰向けになった。

「全くだな……いい歳こいて私に手間をかけさせるなって言うんだ」

「あれ? ココ様の方が親目線?」

 ナタリアが振り向いたときには、ココはもう毛布もかけずにスヤスヤまどろみ始めていた。

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