第06話 聖女様は修道院の暮らしに思います

 中庭に面した窓から下を見下ろしながら、頬杖を突いたココは洗濯物を干す様子を眺めていた。修道院で雇われている家政婦たちが忙しく働いている。

おかげで私は住む所も飯もタダの身だから、文句をつけられる立場じゃないんだけどさ」

「はあ」

 ナタリアも窓辺に来て、ココと一緒に景色を眺める。いつもどおりの作業風景だ。

「洗濯物を干しているのが、何か?」

「うん。ナタリアでさえ、そう思っちゃう辺りが……この修道院ってマナーの他にも教えることがあるんじゃないかなあって思うわけなんだ」

「はあ?」

 時々ココはナタリアには訳が判らないことを言って、一人で納得している。元は無学でも、今では何人も家庭教師がついて色々叩き込まれている。ナタリアよりも何か判るものがあるのかも知れない。

 まだ若い修道女が首をかしげていると、物問いたげな視線に気付いたココが振り返った。

「いや、この修道院で暮らすのは恵まれているなと改めて思っただけ」

「はあ・・・・・・」

 やっぱりココの言いたいことが判らないナタリアは、もう一度首をかしげた。



   ◆



 マルグレード女子修道院は独立した修道院であると同時に、ゴートランド大聖堂の併設施設でもある。具体的には大聖堂と一体化した教皇庁の直轄下にある、教団で最も格が高い女子修道院になる。

 増築を繰り返して迷宮のような大聖堂の一角を区切り、外からの出入りを制限した修道院の専用区画は初代聖女の教会付近になるらしい。いくつかある中庭の一つに建つぼろいチャペルがそうだと、まことしやかに言われていた。


 その修道院のだだっ広い食堂に、当番の修道女が唱える女神への感謝が朗々と響く。

(あー・・・・・・好きに食いたい)

 歌うような聖句の詠唱を聞きながら両手の指を組み合わせて、皆と同じように形だけこうべを垂れるココ。俯いて黙想しながら毎度毎度思うのは、儀式みたいなテーブルマナーのめんどくささ。


 カトラリーの使い方は別にいい。それはもう覚えた。

 いつまで経っても慣れないというかこそばゆいのが、修道院ゆえの宗教的な煩雑さ。


 全員集まって席に座ってから食事を前に、修道院長のスピーチと感謝の祈り。

 給仕係へ合図する以外は前を向いて黙って音を立てずに食べる、沈黙の行。

 まず一口分のパンを千切り取って祈りを捧げてから口に入れる、よく判らん慣習。

 一斉に食べ始めて一斉に食べ終わる、横を見ちゃいけないのにタイミングを合わせろという無茶ぶりルール。

 そのあいだ五十人からの人間がいるのに一切無言、当然無音。


 この修道院特有の陰気くさいメシの食い方が、ココはいつまで経っても慣れない。

(清貧で無駄はいかんって言うのは判るけどさ・・・・・・わざわざメシをまずく感じる雰囲気作って食うのも無駄じゃないのかな?)

 酒場みたいに楽団に一曲やらせろなんて贅沢は言わない。でも、せっかくの食事なんだから雑談ぐらいは楽しんでいいんじゃないか?

 庶民感覚が抜けないココが思うに、食事って一日で一番楽しく気を抜ける時間の筈。

 でも修道院にとっては、この時間もレクリエーションより修行らしい。

(ま、そういう修道院のきまりローカルルールはまだいいんだけど・・・・・・)

 ココが修道院の食事で一番うんざりしているのは別にある。

(なんで私がババアと並んでメシを食う必要があるんだ・・・・・・)

 席次の関係で、聖女ココの隣が修道院長のシスター・ベロニカ鬼ババア

 彼女はまさに一生涯を女神に捧げた真っ直ぐな修道女で、規律の権化で、マルグレード女子修道院きっての融通の効かない古株ナンバーワンで、地獄耳で、体罰も辞さない風紀の鬼・・・・・・。


 品行方正だろうが素行不良だろうが、口やかましくて四角四面なお局様の隣でメシを食いたい少女がこの世の中にいるだろうか・・・・・・。


 やっと終わった聖句の朗読にほっとしながらココは急いでパンを手に取り、一口千切ったパンに祈る振りをしてすぐに口へ放り込むのだった。


 

   ◆



「ココ様、出先でお昼をいただくの好きですよね」

 ナタリアに言われて、ココはきょとんとして問い返した。

「そうでしょうか?」

「ええ。慰問に来たときは普段の食事時間に比べて明るいような・・・・・・?」

 んー・・・・・・と少しのあいだ斜め上を見つめて考えたココは、にっこり笑ってナタリアに答えた。

「やっぱり元気な子供たちと一緒に楽しくいただくと、ごはんの味も良くなるような気が致します」

 聖女の気の利いたお世辞を真に受けた周囲の孤児院関係者がどっと喜ぶ中、ココは不用意な質問をしたお付きまぬけの尻をこっそり摘んでひねった。

 聖女スマイルのまま、目じりに涙を浮かべるナタリアにそっと囁く。

『アホか、ナッツ。家長席お誕生日席シスター・ベロニカくそババアと楽しくメシが食えるか』

『そ、そうでした・・・・・・』

(ま、それだけじゃないんだがな・・・・・・)

 ココは残りの言葉はナタリアにも言わずに飲み込み、微笑みながらスプーンを手に取った。



   ◆



 馬車の中はだいたいココとナタリアの二人だけなので、ココの私室以外では一番のんびりできる空間になる。

 今日もココの正体がバレずに済んで、帰りの馬車はナタリアが一番ホッとする時間でもある。

「はぁ~・・・・・・今日も無事に慰問を乗り切りましたよ。女神様に感謝します」

「努力しているのは私だろうが。感謝を捧げるなら私だろう」

「そういうところですよ、冷や冷やしているのは」

 いつもの遣り取りをしながら、ナタリアはふと昼の話を思い出した。

「それにしても・・・・・・私、慰問先のお食事苦手なんですよね」

「そうか? ガキどもにたかられるからか?」

 母性的でおっとりしているナタリアは母や姉の理想に見られるらしく、どこの孤児院に行っても子供たちに人気がある。ちなみに実年齢より幼く見えるココは友達枠だ。

「いえ、そうじゃなくて・・・・・・単純に、内容が・・・・・・」

「あー・・・・・・ま、マルグレードで生活してるとそうなるだろうな」



 

 ビネージュ王都にある大聖堂の成立の経緯を考えると、ある意味大聖堂や教皇庁よりも女子修道院の方が歴史が古い。

 その歴史と教皇庁直轄の格の高さ、そしてビネージュ王都の真ん中にありながら厳重に世俗から切り離された空間という安心感。ビネージュの王侯貴族が子女の花嫁修業先を選ぶのに、マルグレード女子修道院はこの上ない好物件と言える。


 貴族や富豪などのの御令嬢は社交界デビューの前に、行儀見習い、いわゆる花嫁修業をする為に一、二年他所へ預けられることが多い。

 マルグレードの他に王宮の女官付きや大身貴族の侍女も人気がある。そういうところで仕込まれれば、実践的な行儀を学んだり宮廷で役に立つコネを作るのに有効だ。但し、それが裏目に出てしまう事もある。

 主人からのお手付きの心配。

 出会いが多すぎて男ができたりする可能性。

 最悪なのは遊び人の貴公子にのぼせ上がることだ。

 その点マナーの習得との保証に関しては、修道院の右に出るものはない。すでに婚約者がいる娘なら、わざわざ社交界に近いところで良縁を探す必要もない。

 マルグレードの若い修道女はだいたいそういう理由で修道院に放り込まれた、上流階層のお嬢さんたちが多い。二十歳を過ぎて残っているドロテアみたいなは三分の一ぐらい。

 ……花嫁修業だったはずなのに、ココのせいで辞められなくなったナタリアは超例外。


 


「ナッツ、ちょっと手を出して」

「はい? なんですか?」

 ココは掌を上に差し出されたナタリアの手を撫でる。

 普段ココに振り回されていても、さすがに子爵家令嬢らしくほっそりした長い指とすべすべした綺麗な肌をしている。

「ナッツは手が綺麗だよなあ」

「えへへ、ちゃんとお手入れは気を付けていますから!」

 得意げに胸を張るナタリア。その無邪気さに、ココも苦笑を返す他ない。


 そう。

 ナタリアの手は綺麗だ。


 ココはさっきまでいた孤児院の修道女たちの手を思い浮かべる。

 院長から見習まで、みんな労働で手指の肌は荒れていた。

 掃除。

 洗濯。

 炊飯も裁縫も。

 場合によっては施設の修繕から畑仕事、運営資金稼ぎの特産品の内職まで。

 

 マルグレード女子修道院はいいところのお嬢様を預かるのに特化している。

 修道女は本当に修行だけをしている。労働は当たり前のように、別に雇われている家政婦たち任せ。ナタリアが一人でココの世話をしていると言っても身の回りの世話をしているという話で、ココの服をナタリアが洗濯したりするわけじゃない。

 若い修道女たちは皆社交界デビュー前に、マナーを習いに僅かな期間だけ尼僧の真似事をしているだけだ。


 (ココのおかげで)わりと我慢強いナタリアでも孤児院の食事に不満が出るのは、マルグレードではちゃんと料理人が毎食メインディッシュにパンとスープが付いた料理を出してくれるから。

 末端の修道院では麦粥や野菜煮込みを食事係の修道女が作っていて、おかずがまともに無いことも多い。満足な量があればそれだけでも上出来なくらい。

 だから上流階級にふさわしい食事を三食食べているナタリアが、塩も薄い水っぽいお粥に弱音を吐くのも当然。


 ココは慰問先で子供たちと遊ぶ時、大人たちが見ていない間にこっそり普段の食事について訊いてみたりする。

 するとナタリアが音を上げるようなメニューについて、

「今日はちょっと豪華だった!」

 そう言われることが多い。

 隠すつもりはないけれど、やはり聖女の訪問ということで僅かでも見栄を張る気持ちが出てしまうのだろう。




 頂点のマルグレードも末端の修道院も、それぞれ社会的に役割というものがある。

 だからココは待遇の差について、あれこれ言うつもりは無いけれど……。

「それでも、上の人には知っていて欲しいんだよなあ……」


 地に這って空を見上げる気持ちを。


 そうしないと、いつか何かが壊れる気がする。


「どうしました? ココ様?」

「うーんん? なんでもない」

 ココがナタリアの手を離した時、馬車はちょうど大聖堂の立派な門をくぐった。


 いつもの世界が二人を待っている。

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