第07話 聖女様は天敵が嫌いです

 大聖堂の廊下を歩く聖女ココは、どこか浮ついた慌ただしさに違和感を覚えた。後ろから付いて来るお付きの修道女を振り返る。

「シスター・ナタリア。今日はミサもセレモニーもなかったですよね?」

「はい、ココ様」

 聖女の問いに、ナタリアが頷く。

「?」

 この空気。何かイベントがある時の、ソレだ。

 でも定期的に開かれている儀式はどれも今日じゃない。

教皇ジジイに急に呼ばれたのと何か関係があるのか?)

 唐突と言えば、今ココたちが教皇に呼び出しをくったのも急な話だった。用件の説明もなく、とにかく急いで来いというもの。

 その二つを合わせて考えて、それに加えてもう一つ……。

「あっ!」

 考えながら歩いていたココが石畳の僅かな段差につまづいた。バランスを崩してたたらを踏み、おっとっとと言いながら柱の陰まで流れてうずくまる。

「ココ様? 大丈夫ですか?」

 コケて足をくじいたココの様子に驚いて駆けつけたナタリア……を上手く物陰まで誘導したココが襟首をねじり上げ、ニタリと笑った。

「おいナッツ、おまえ何を隠している?」

「しまった!」

 上手く乗せられたまぬけな側付きは狼狽したけど、もう遅い。

「よくよく考えたら……さっきからおまえ、お小言を全然言わないなあ? 私がジジイの悪口を言うと、いつもなら何回かたしなめるのにな……ナッツ、ジジイに何を命令されている? 今日は大聖堂おもてで何があるんだ、ああん?」

「あの、それは……何も無いですヨ!?」

 ナタリア、否定しながらも思い切り目が泳いでいる。間近からココに覗き込まれて、全く目を合わせない。何かを知っていることが思い切りバレている。

「何も無いんだな?」

「何もありません!」

「そうか……」

 しゃがみこんでいたココがナタリアの襟を放して立ち上がった。

「何も無いんなら帰ってもいいよな」

 言うなりココが、修道院目指して歩き出す。

「えっ!? そんな、教皇猊下の呼び出しはどうするんですか!」

 ナタリアがオタオタするけど、ココは知ったこっちゃない。

「ジジイには判らん女の子の日ってヤツだ。体調不良だからどうしようもない」

「そんなぁ!? 殿下だってお待ちなのに!?」

 またもや失言したナタリアの腹に、再度Uターンしたココがグリグリと拳をねじ込んだ。

「ナァァッツゥゥゥ?」

「ひぃっ!?」

 爆発寸前のココに、ナタリアはもう顔も向けられない。

王子アホの来るのは明後日の予定じゃなかったのか? なんで二日も早まってるんだ!」

「せ、先日の呼び出しの感じからして、ココ様が大人しく待ってるはずがないって話になりまして……!」

「それはその通りだ。それで? 王子ともあろうものが簡単に予定日を変えたと?」

「変えたっていうか……ココ様の反応は判り切っているんで、本当の来訪日は油断している数日前に設定してあったって今朝連絡が……」

「クッソジジイめ! ……いや、あの欲ボケ老人ジジイにこんな芸当は考え付かないな。人の隙を突いて来るやり方は……ウォーレスか!」

 ココはいつも教皇の後ろに立っている秘書を思い浮かべた。あの青年司祭はさすが教皇の懐刀だけあって、人畜無害な顔のくせにえげつない裏工作が得意だ。

「アイツが動いているんじゃ、こうしちゃいられない!」

 企みがバレたことに教皇が気付いたら、人海戦術で追い込まれて捕まりかねない。大聖堂に居ては危険だ。

 もう外ヅラを取り繕うこともなくココはダッシュする。

「あ、ココ様!? どこへ!?」

「一刻も早く戻って自分の部屋に立て籠もる!」

 さすがのウォーレスも、マルグレード女子修道院の中までは追って来れない。

 もちろん院長はじめ修道女たちは教皇の命令に従うけど、かといって火事や強盗みたいな緊急事態でもない限り男性の立ち入りは許されない。修道女たちだけなら力技でココを連れ出すのはまず無理だ。

 ココはナタリアを置き去りに、今来た道を走って戻った。




 途中からは人が少ない脇通路を爆走し、窓から中二階に飛び移って庭に着地。大胆なショートカットで大幅に復路のタイムを縮める。本気のココは軽業師サーカス顔負けに三次元移動ができるのだ。

 封鎖指示が伝わる前にココは無事連絡通路を走り切って、修道院に戻ると内門を自ら締めてがっちり閂をかけた。

「よし!」

 大聖堂に出ているナタリアや連絡係が戻れなくなるけど、ココにしてみればどうでもいい。連絡口ここが大騒ぎになって、内部の者が施錠に気づくまではまだ時間がかかるだろう。部屋に立て籠もるまでの時間稼ぎが出来れば上出来だ。


 修道院長シスター・ベロニカに出くわした時に怒られないよう、走らず早足で急いだココは何とか見咎められずに自室に着いた。

「はー、危なかった……とりあえずこれで凌げたか」

 野郎おうじが諦めて帰るまで、最短でも夜までは絶対扉を開けない。もしなんだったら聖心力も使って扉をがっちりロックしてやる。

 そう思いながらココが扉を開いたら。


 ウェーブのかかった流れるような金髪に、中性的で優美な容姿。

 ココとはまた別種の優し気な美貌に、朗らかな天使の微笑みを浮かべて。


 地位だけではなく美しさでも女性の目をひきつけてやまないビネージュ王国一の優良物件けっこんあいて、王太子セシルが見惚れるような仕種でお茶を飲んでいた……ココがいつも座っているティーテーブルで。

「やあ!」

 爽やかな笑顔で手を挙げて見せる王子の顔を黙って二秒ほど見つめたココは……叩きつけるように勢いよく扉を閉めた。




 ココが走って逃げる間もなく、即座に開いた扉から突き出た腕が聖女の後ろ襟を掴む。

「黙って出ていこうなんて無作法だぞココ。俺が挨拶したら『ごきげんよう』と返すところだろう? そんなに急いでどうした? まるで逃げるみたいだぞ?」

「“まるで”じゃなくて、逃げているんだよ! 変態ストーカーから! おまえなんでここにいるんだ!? 大聖堂でジジイが歓待中じゃなかったのか!?」

「あっちは影武者のホバートだ。堅苦しいことが嫌いな聖女様はどうせ参加しないでサボるだろうと思ってな。ふふふ、俺たち気が合うな」

「堅苦しいことが嫌いなのは同意するが、サボる理由の主な原因は今私の目の前にいる!」

 ココはムリヤリ抱きしめて頬ずりしたがる王子を力の限り押し返しながら、懸命に身をよじって拘束から逃れようとする。

「おまえどうやって女子修道院へ侵入した!? ここは教皇ジジイでさえ修道院長ババアの許可なしには一歩も踏み込めない場所なんだぞ!?」

「忘れているようだから教えてやるが、ここに住んでいるお嬢さんたちの親はだいたい俺の家臣でな?」

「畜生! これだから権力者ってヤツは!?」

 マルグレード女子修道院の修道女は……院長のシスター・ベロニカを含めて……ほとんどがビネージュ王国貴族の令嬢だ。

 もっとも恋に恋するお年頃の娘が多いので、この美青年イケメン王子に笑いかけられれば罪悪感も無しに聖女ココを差し出すぐらいは簡単にするだろう。親を人質に取る必要もない。

「おまえもう冗談は顔だけにしておけよ!? 女子修道院に出入り自由とか、とんでもない色ボケ独裁者じゃないか!」

「おいおい、俺は誰にも無理強いなんかしていないぞ? 笑顔で『黙っていてくださいね?』とお願いするだけだ」

「それが無理強いっていうんだよ! 家庭教師に一回ボキャブラリーのテストをしてもらえ!」

「それに俺がココ一筋なのは知られているからな。だからお嬢さん方も安心して奥へご案内してくれるわけだ。女子修道院に入り込んだからって、俺が修道女に手を出すような不謹慎な男じゃないのはおまえも知ってるだろう?」

 “誠実”を訴える王子の“いかにも自分で顔の良さをわかっています”な決めポーズに……。

「だったら聖女にも手を出すな!」

 自分の部屋に引きずり込まれながら、ココは面の皮が厚い王子に罵声を叩きつけた。



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