第08話 聖女の手を取る王子様

 追いついたナタリアが淹れた茶をすすりながら、むくれている聖女は王子を上目使いに睨んだ。

「毎度毎度、おまえは何しに来るんだ」

「何をって」

 セシル王子はココの発言に傷ついた顔をした……けど、そんな表情も芝居クサい。

「もちろんココに愛を囁きに」

「ざけんな!」

「誰もふざけてなんかいないぞ。定期的に顔を見せておかないと、おまえなぜか俺の存在を忘れようとするからな」

「定期的に顔を出されたって、私はいつだっておまえなんか居ないものと考えている」

「つれないなあ、未来の旦那様に」

「おまえと結婚する未来なんか来ない!」

 自国の王子相手に青筋立てて怒鳴るココを、冷や冷やしながら見てるナタリアがなだめようとする。

「ココ様、落ち着いて下さい。相手は王太子殿下ですよ?」

「このムカつく男を前に落ち着いていられるか」

「またあ……殿下は国中の女子から大人気なんですよ? 何が不満なんですか」

「涼しい顔をして男子禁制の女子修道院に侵入して、勝手に部屋に入り込んで茶を飲んで待ち構えているような男だぞ? 変態性犯罪者になんで不満が無いと思うんだ」

「何を言うんだココ。性犯罪はやってない」

「ほらな! 不法侵入と変態は否定しないような男と結婚なんか考えられるか!」

 ココは乱暴に茶碗を戻すと立ち上がった。

「コイツと同席なんかしていられるか! 私、しばらくチャペルで女神に苦情を言ってくるいのってくるから! コイツが帰ったら呼びに来い!」

「ココ様!」

 憤然と出て行こうとするココと追いすがるナタリアを眺め、静かにカップを置いたセシルがのんびり声をかけた。

「おい、いいのかココ? 今護衛騎士ナバロにピロシキを買いに行かせているんだが」

 ココが立ち止まった。

「……念のために聞くが」

「うん?」

「おまえの言うピロシキとは、肉と野菜を細かく刻んで煮込んだ餡を生地の中に包み込んで油で揚げたパンの事か?」

「俺はそれしか知らないが、ピロシキって他にあるのか?」

「うっ……」

 見るからに挙動不審になる聖女様。

「ココ様? ピロシキが何か?」

 不思議に思ったナタリアがココの顔を覗き込むと……聖女様は、好物ピロシキ苦手王子の間で苦悩していた。

「うう、ピロシキ……熱々の肉と野菜を詰めた美味しいアレ……」

「そうそう」

「大好きなのに、五回に一回ぐらいしか逃走に成功しかっぱらえなくて滅多に口にできなかったピロシキ……!」

俺の肩書王子の手前、言葉は選んでくれないか?」

 しばし悶えたココは……ガックリうなだれると静かに元いた椅子に座り直した。




「まったく……もちもちのパンだねを油で揚げているだけで贅沢なのに、さらに具がたっぷり詰まっているなどと……」

 ぶちぶち文句を言いながらも、まんざらでもない顔でココが二口目を頬張る。口調と反対にご満悦なのが誰からも丸わかりだ。

 実際ココは久しぶりの好物を心行くまで味わっていた。今までは盗んだ時も買った時も、追っ手に見つからないうちに夢中で口の中へ押し込んでいた。落ち着いて口に入れるのは人生初めてかも知れない。

「んぅ~……この生地のふくらみ具合といい、味付けをケチらない餡の作り方といい、ヤノシュ親方の仕事だな! 市場に五件あるピロシキ屋台の中から親方の店を選ぶとは、おまえの護衛もなかなか目利きのパシリだな。誇っていい!」

「いや、アイツの本業は騎士なんだけどな」

 醒めた王子の合いの手も気にせず、ココは夢中でピロシキを頬張った。買ってきた王子の護衛がこの場にいれば褒めてやるところだ……彼は修道院に入れないので顔も見てないけど。

 受け取って来たナタリアが感心したようにココを見つめる。

「ココ様は本当にピロシキが好きなんですね」

「わかるか?」

「ええ。殿下にぬいぐるみみたいに抱かかえられているのに、悲鳴一つ上げないんですもの」

「私は道理のわかる女だからな。給料ピロシキ分は仕事をしてやるおもちゃになるとも」


 揚げパンを三個食べ、上機嫌でお茶も飲み干した聖女。

「ふー……やはりピロシキは良い……食べたのはどれぐらいぶりだろう? 修道院の食事には出てこないからなあ」

 ココは満足そうに茶碗を置き、王子を振り返った。

「それじゃ王子、おまえもう帰っていいぞ」

「ちょっとドライ過ぎないか? ココ」

「私とおまえはビジネスライクなそういう間柄だろ?」

 ココの指摘にセシル王子は肩を竦めた。

「ピロシキ一個で五分間触り放題? 娼館に提案したら新しいジャンルが開きそうなアイデアだな」

「ジジイのバカが伝染うつったのか、腹黒王子」

 王子の膝から飛び降りたココがちょっと真面目な顔になった。

「敬虔な信徒の教会訪問なんて屁理屈で聖女に会いに行く。世間になりふり構わない逢瀬だと信じさせるには十分な時間を潰しただろ? 目的は果たしたんだからさっさと帰れ」

「おいおいココ、愛しい彼女といられる時間を自分で短くするバカがいるか」

「はん、おまえが色ボケするようなタマか」

 王子の反論をココは鼻で笑った。

「おまえは王子、私は聖女。結婚するとなれば民に受けがいい組み合わせだ。しかも政治的には貴族の勢力図に影響は出ないし、一方で王家と教皇ジジイたち教皇庁はより強く結びつく。お前とジジイはお互いに利益があるってわけだ。どうせおまえが私の引退を待ってるなんて噂も、おまえたちが素知らぬ顔で流してんだろ?」

 引退後婚約説の裏を突くココの指摘に、セシルはニヤリと頬を歪めた。美麗なキラキラ王子の甘いマスクの下から、したたかな王位後継者の黒さが顔を出す。

「教団ではなく教皇庁と来たか……ほんとにココは鋭いなあ。“アホの子”にしておくにはもったいない」

「なあ、宮廷じゃ聖女の隠語が“アホの子”なの?」

「宮廷って言うか、教皇庁の教団上層部や上級貴族……当代聖女発見の経緯を知っていて、なおかつココを知らない連中はだいたいそう言ってるかな」

「私を浮浪児だと舐めてるやつらってことな」

 その辺りのことはココも判っている。暮らしを経験しているだけに、他人の裏の顔には貴族なんかよりよほど敏感だ。

「現物はこんなにヤバいのになあ。“教皇の操り人形”なんてガラじゃないよな」

「余計なお世話だ」




 セシルはゆっくり立ち上がると、空いている椅子に畳んで掛けてあったマントを羽織った。

「だがココ、言っておくが……俺は“聖女といい関係”なんて宣伝をするためだけに通っているわけじゃないぞ?」

 そういうと美貌の王子様は、油断していたココをまた抱きかかえて頬ずりする。

「おいっ、何をする! もういいだろ!」

「つれないなあ……君と俺の仲じゃないか」

「寒い事を言うな! 冗談は顔だけにしろ!」

「あいたっ!」

「ひいっ!」

 ココが王子のすねをかかとで蹴って拘束から脱出するのを見て、今まで空気になっていたナタリアが思わず短い悲鳴を上げた。

 ビネージュ貴族令嬢のナタリアからしてみれば、王子が悪いとはいえ危害を加えるなんて信じられない暴挙だろう。でもココはやる。

 距離を取ったココは大アリクイのファイティングポーズを取りながら上目遣いに王子を睨んだ。

「おまえはそこら中の御令嬢にこんな事をしているのか!? よく今まで痴話喧嘩を起こさなかったな」

「冗談じゃない。俺に好意を持っている御令嬢にこんな真似をするか」

 蹴飛ばされた足を撫でながら王子は真顔で言い切る。

「本気の女は後が面倒だからな」

「最低だな」

「そう言ってもな、ココ……下手なちょっかいをかければプロポーズと勘違いして、翌日には王宮に引っ越してきかねない」

 それからしみじみと頷いた。

「やっぱり甘やかすなら嫌悪感を隠そうともしないおまえに限るなあ」

「骨の髄から根腐れしてやがるな」

「ははは、誉め言葉と受け取っておくよ」



 出て行こうとした王子が振り返った。

「そうそう、忘れてた」

 そういうと王子は、小さな包みを取り出した。

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