第03話 聖女様は教団の象徴です

 ゴートランド教団の当代の聖女、ココ・スパイスは普段は大聖堂付属のマルグレード女子修道院で暮らしている。

 神託で聖女の指名を受けたが、ココはまだ十四歳の年若い乙女でしかない。女神の代理人とはいえ、尼僧としてはまだまだ修行中の身と言って良い。

 なので公務以外では修道院で年の近い他の修道女たちと寝食を共にし、神の示す道へ進むべく日夜研鑽に励んでいる。


 と、言うことになっている。




 お付きのシスター・ナタリアを連れて大聖堂をココが歩いていると、大抵ココを見つけた職員や信徒が次々に挨拶をしに集まってくる。

「聖女様だ!」

「聖女様、こんにちわ!」

 何か儀式でもないと聖女は大聖堂おもてむきには顔を出さない。その為、人々にとってたまたま彼女に出会えること自体がラッキーだ。

「はい、こんにちわ。お元気ですか?」

 そんな彼らにココは偉ぶることなくにこやかに会釈し、時には求めに応じて祝福を与えたりする。


 上層部の執務室などが集まる区画に入ると、さすがに人通りはほとんどなくなった。

「一般の方も来られている大聖堂おもては、いつも人でいっぱいですね」

 人目が無いのを確認したシスター・ナタリアが、張り付いた笑顔営業スマイルをやっと地の表情に戻した。

「もみくちゃにされるのは勘弁して欲しいなあ。応対してやるから一列に並べよな」

 ココもちょっと作り笑いに疲れた顔へ掌を当てて、ぐにぐに顔の筋肉を揉んでいる。

 上層部しかいない区画とはいえ、普段は一般信徒が出入りできる場所では取り繕った態度を崩さないようにしている。けど、今日は一言で良いからお話ししたがる信徒ファンが多かったのでだいぶ疲れた。

「素のガラの悪さがバレないように、できるだけ大聖堂に来るなって言われているけどさあ……その分希少性が高まっちゃって人が集まるんじゃ、本末転倒じゃね?」

「それは私も思います」

 そんなことを話しながらココたちが教皇の執務室に着くと、ちょうど前の来客が帰る所だった。知らない奴がいるのを視認した途端、瞬き一つの時間で仮面をかぶり直したココとナタリア。もう彼女たちの顔芸は職人の域に達している。

「教皇猊下にお目通りがかなった上に聖女様のご尊顔も拝する事が出来ますとは……!」

「いえいえ、そんなに持ち上げられてはお恥ずかしい限りですわ」

 恐縮しつつも聖女にも出会えた喜びを延々喋りまくる信徒代表に笑顔の仮面で対応し、やっと送り出したココは……教皇の秘書が扉を閉めて外の足音が聞こえなくなった途端、ソファにふんぞり返ってローテーブルにドカッと足をのっけた。教皇へぞんざいに顎をしゃくる。

「ジジイ、茶!」

「自分で汲め!」

「呼びつけといて客に茶も出さないのか」

「おぬしは一応身内であろうが……!」

 執務机に座って頭を抱える立派な白髭の老人は、うんざりとした顔で呟いた。

「こやつめは八年も教育を受けて来て、なぜ行儀一つマトモに身につかんのかのう……」


 ココの態度に苦悩する老人の名はケイオス七世という。

 彼はゴートランド教団の最高指導者・教皇であり、教団の拠点であるゴートランド大聖堂の大司教も兼任する最高位の神官だ。そして大聖堂があるビネージュ王国の王室顧問も務めているので、世俗的にも大きな権威を持っている。おそらく世界で一番偉い坊主だ。

 ……が、ココにとっては低賃金で児童ココをこき使うしみったれの雇用主。敬意を払ってやるような相手じゃない。

「おいおいジジイ、バカにするんじゃないぞ? マナーだったらキチンと身にはついてる。使う場面じゃないから出てこないだけだ」

「使う場面じゃ、バカモン!」

 教団の最高権威教皇に怒鳴られるが、一向に堪えた様子が無い聖女ココは言われた通りにサイドボードの茶道具を漁っている。

「んで、何の用だジジイ」

 棚を覗きながらぞんざいに聞いて来る聖女に、教皇は再びため息をついた。


 


 ゴートランド教団で一番偉いのは誰か?

 これはちょっと答えにくい質問になる。


 教団を統括し布教を進める神の代弁者・教皇。

 神託を受け女神の秘蹟を顕現する神の代理人・聖女。


 教皇と聖女のどちらが教団の最高権威なのか?

 これはそれこそ教団が今の形になった五百年近く前から、神官の間でさえ幾度も論争を呼んでいた。


 もっとも内部の事情で言えば、これは単純に教皇の方が偉い。というか立場が強い。

 聖俗の権力を握り政争を乗り越え教皇まで上り詰めた海千山千の老人に、社会経験のない無垢な少女があれこれ言えるわけがない。

 まして今は平和な時代。聖女の一番の仕事が教団の広告塔なんて状態では、教団運営を握っている教皇の方が上に見られるのは当たり前と言えば当たり前だった。

 そんな理屈はココには通用しないけど。


 歴代の聖女は上流階級の子女から十代のうちに選ばれることが多かったから、「教皇は偉い人」って基礎知識が身についていたけど……ストリートチルドレンから六歳で聖女になったココにそんな常識は無い。身分が違い過ぎると逆に敬意を払わなくなる見本と言えよう。


 ひたいを押さえたまま、教皇は傍らの青年司祭に手を振る。一礼した秘書のウォーレス司祭がスケジュールを読み上げた。

「来週の三日、王室より公式訪問があると連絡が参りました。聖女様も一日予定を空けておくようにお願い致します」

「そうか、判った」

 ココが頷いた。傍らの世話係を振り返る。

「おいナッツ、三日はどっか慰問に行くぞ。どこでもいいから遠いトコ!」

「待てい。これは要請じゃなくて命令じゃ! 聖女のおぬしが王子を出迎えないでどうする!」

 青筋を立てて怒鳴る教皇の言葉に、こちらも思いっきり嫌な顔をしたココが吐き捨てる。

「いかにも御大層な言い方してるけど、要するにあれだろ? スケベ王子が視察にかこつけて私に会いに来るだけだろ」

「判っておるではないか。光栄であろう」

 大聖堂があるビネージュ王国のセシル王太子は聖女ココが大好きだ。ファンと言ってもいい。だからこそ。

「光栄もくそもあるか。ヤツからはいやらしさしか感じない」

「セシル王子は聖女の信者というよりココ様の信者ですからね」

「ナッツ、気持ち悪いことを言うな!? そいつは笑えない冗談だ」

「冗談も何も、王子は常々ココ様を嫁にしたいとおっしゃってるじゃないですか」

「それを言うから笑えないって言ってんだよ!」

 そう、王子はココ自身が大好きなのだ。奇特な事に。




 貧民出身の野生児を聖女と認めるかで揉めた時。教団の最大支援者であるビネージュ王国のお偉方にも、見つかった少女の出身に問題があることが知らされた。

 当然王室には新聖女ココの素性も性格も真っ先に情報が入ったのに……なぜかセシル王子はそのココを気に入ってしまった。


 現在十六歳のセシル王子はすでに許嫁がいないとおかしいのに、いまだに婚約者を決めていない。王都では“聖女に熱を上げている王子は、王太子妃の席を空けて聖女の任期明けを待っているのだ”とまことしやかに囁かれている。

 十二年の聖女の任期を終えた時、ココは結婚適齢期真っただ中の十八歳。王子は二つ上の二十歳。元が貧民とはいえ聖女の任期を無事満了したとあれば、ココと王子の結婚は理想的なロイヤルウエディング……。

「冗談じゃない!」

 ……本人の意思を除けば。


 教皇が眉をしかめる。

「これ以上はない良縁じゃろ。ビネージュは大陸で一二を争う大国。セシル様は冷や飯食いどころか王太子。どこに不満があるのじゃ」

「そもそも王子と結婚が嫌だ!」

 ココも譲らない。

「青春を丸ごとジジイの“猿回し”で安くこき使われて、やっと自由になれると思ったら王室に嫁入りだと⁉ 私の自由で楽しいセカンドライフが……ふざけるな!」

 ココの言い分に、教皇がちょっと考えた。

「あー、あれじゃ。おぬしの好きな言葉で言ったら」

「なんだよ?」

「定年退職後の再就職先が決まったようなもんじゃぞ? しかも好待遇で終身雇用。もうやらない理由が見つからない」

「ふ・ざ・け・ん・な、ジジイッ!?」

 とぼける教皇を怒鳴りつける、ココの罵声が広い部屋にこだました。

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