第02話 守銭奴ココちゃん

 午後の休憩時間。

 ココが修道院の自室でナタリアの淹れたお茶を飲んでいると、軽くノックの音がして穏やかそうな修道女が顔を出した。年はナタリアより少し上だろうか。

「ココ様~」

「おっ、どうしたドロシー」

「ココ様、シスター・ドロテアとお呼び下さい」

 と、これはナタリア。

 庶務を担当しているおっとりさんは、微笑みながらココへ小さな袋を差し出した。

「教皇庁から預かってきました~。先週のココ様のお給料です~」

「おおっ! 待ちかねた!」

 ゴートランド教団の象徴である聖女は行儀悪くバタバタ足音を立てて走り寄ると、麻布の小袋を大事そうに受け取った。

 この麻袋の中身がキャンデーとかならお転婆な様子も年相応で微笑ましいとかいうところだけど、聖女が飛びついた小袋の中身は金である。



   ◆



 ココは女神より神託に依って指名された、ゴートランド教の聖女だ。

 聖女は地上における女神の代理人であり、教団の顔とも言える。


 ちなみに、神職にある者はどこの教団でも普通は給料をもらわない。

 神に仕えるのは良心と信仰心による奉仕であり、生活の為に働いているのではないからだ。教団からお金をもらうとすれば、それは活動資金であって個人あての労働の対価ではない。

 なのになぜ、教団の象徴である聖女が給料をもらっているのか。


 すごく簡単に言えば……ココは、ゴートランド教の信徒じゃないから。




 八年前に女神の神託で見つかった新しい聖女ココは、ものすごく例外的な条件が揃っていた。


 一つ。信徒ではない。

 孤児だった為、ココは教会へ通うどころか神の教えに触れたことも無かった。


 一つ。上流階級ではない。

 全員ではないけれど、少なくともここ二十何人の聖女は全て王族か貴族の娘だった。ところがココは庶民、というか貧民の出身でおまけに孤児だ。


 一つ。教育を受けていない。

 孤児で貧民で施設にも預けられておらず、おまけに神託が下りた時のココは六歳だった。したがって教育を受ける機会は全くなかった。


 そして最後に。信徒でないどころか、信仰心というものがまるで無い。

 そもそも神の教えというもの自体を知らなかったため、ゴートランド教どころか何の宗教も信じていない。ストリートチルドレンだったので親も親戚もいない。信じるのは己のかっぱらいのテクニックのみ。


 そんな少女を聖女に据えて、まともに任が務まる訳がない。




 しかし彼女を聖女にというのが女神の御意志。

 見つかった次期聖女の素性が判明した時は教皇庁も拠点があるビネージュ王国の宮廷も上を下への大騒ぎになったけど、女神の思し召しなのだから次点の候補を繰り上げるわけにはいかない。

 それで教団上層部が問題しかない聖女候補を抑え込む為、苦心惨憺アレコレ試した結果……試行錯誤の末にココを真面目に働かせる方法を見つけることができた。その操縦法が、


 “お駄賃で釣る”


 これだ。

 

 ……真面目な話である。


 以来八年。

 教団上層部は聖女のイメージを守る為、ココの素行を必死に糊塗しながら涙ぐましい努力を続けている。



   ◆



 ココは袋を受け取ると急いで書物机に戻って、近くの棚から帳面を引っ張り出した。机の上に袋から出した銅貨を積み上げ、数を数えながら書いてある内容と見比べる。

「えーと……」

「それ、なんですか?」

 帳面を不思議がり、二人の修道女が両側から覗き込んだ。何やらびっしり数字が書いてある。

「これか? 私の勤務記録簿だ。ジジイが金額をごまかさないように、給料をもらったら毎回きちんとチェックするようにしている」

 ココに施された教育は、変なところで実効性を発揮していた。

「給与をごまかすって・・・・・・教皇猊下にそんな心配をする人なんて、ココ様ぐらいですよ……」

 ココの返答にナタリアが額に手を当てて嘆息するが、聖女ココは大まじめに反論した。

「何を言うんだナッツ! 偉大な先人が言い残しているじゃないか」

「なんと?」

「『他人を見たら泥棒と思え』って」

「それを教皇猊下に言いますか!?」

 聖女ココを神託で選ばれた神の代理人とすれば、教皇ジジイは教団の組織運営のトップであり、布教活動を統括する神の代弁人である。つまり教団で一番信仰心があって長年神に仕えて来た偉い坊さんが教皇だ。

「ナッツ……ジジイだって人間だぞ? 魔が差して私の僅かな給金をちょろまかしたくなるかもしれん」

「だからそれを教皇猊下一番えらい坊主に言いますか!?」

「何事も例外は無い。その証拠に聖女をかっぱらいわたしがやってるじゃないか」

「……それを言われると、もう何も言えません」

 孤児で路上生活をしていたココは、当然ながら頼る大人がいなかった。聖女捜索隊が見つけるまで、ココは市場の辺りで主に万引きと置き引きで生計を立てていた。

 ……生計を立てていたという言い方が正しいのか、ナタリアには判らない。


 ココは帳合を終えるとまた立ち上がり、金袋を持って部屋の一番奥にある戸棚を開いた。

 中には……。

「うっわぁ……」

 と引いているナタリア。

「これ、何度見てもびっくりしますよねえ~」

 間延びした声で呆れるドロテア。

 戸棚の中には、いろいろな容器に詰められた銀貨銅貨の山が詰め込まれている。どれも口に封をして、ラベルに中身を入れた期間の日付が書いてあった。

 ココは一番手前の開始日しか入っていないガラス瓶を取り上げると、中に先週の給与を投函した。ガラス越しに中の硬貨を眺め、にへらっと笑みを浮かべる。

「あー、この瞬間を味わう為に働いてるようなもんだよな」

「ココ様、それ聖女のセリフじゃありません」

「そんなの知った事かっての……よしっと」

 また蓋を閉めたガラス瓶を、ココは嬉しそうに棚へ戻した。


 この戸棚の中に積まれている貨幣の山は、ココが聖女に指名されてから今まで必死に貯め込んだ給与と寄付金だ。

 幼児のお駄賃みたいな給料を無駄遣いせず、手渡しされた寄付金も教皇庁へ届けず懐に入れ、ささやかな聖女の権力で搔き集めたココの財宝おたからである。

「ココ様~。自分の給金はともかく、信徒から受け取った喜捨を自分の懐に入れちゃうのはまずくないですか~?」

 ドロテアに訊かれたココは、得意げに指を振りながらチッチッチッ! と舌打ちをした。

「私はちゃんと、受け取るときに『女神さまのお役に立てますね』って言って受け取ってるぞ」

「だから~、それを着服してしまうのは~まずいのでは~?」

 ドロテアの再度のツッコミに、ナタリアもウンウンと頷く。しかしココは意に介さない。

「だから言ってるじゃないか。“女神の役に立てる”、つまり“女神の名代ココちゃん”のチップに使っている」

「あぁ、そういう理屈で~」

「納得しちゃダメですよ、シスター・ドロテア!」

「どっちにしたって私がもらったんだから私の物だい」

「あっ! ぶっちゃけた~」


 ココが聖女でいる期間は限りがある。


 大昔は聖女に任期は無かったらしい。

 それを何代目だか知らないが、女神に「生涯を捧げるのはつらすぎる」と直訴した聖女がいたので気持ちを汲んでくれたのだとか。願ったヤツはたぶんココみたいに超世俗派だった信者じゃなかったに違いない。

 そんなわけで、ココは十二年と決められた任期おつとめを全うしたら一般人に戻る。今はけど、ただの街人に戻るのだから新しい仕事を見つけるまで当面の生活費が必要だ。だからココは荒稼ぎといわれようと小銭を掻き集める。




 満足そうにお金をしまい、戸棚を閉めるココにドロテアが聞いた。

「ココ様~。いくら修道院の一番奥と言っても、現金のまま貯めておくって心配じゃないですか~?」

 シスター・ドロテアの実家は商家だ。泥棒の心配は貴族階層のナタリアより身に染みている。そんなドロテアから見て、ココの金蔵は修道院という性善説で成り立っている社会に寄りかかり過ぎているようで危なっかしい。

 一方貧民だったココは泥棒そのものを何度も見ている。て言うか本人がそうだ。だからドロテアの懸念も判るし、その点も抜かりはない。

「案ずるなドロシー。だから、こうして・・・・・・」

 扉を閉めたココの手から、青白い光が漏れた。

 眩しいほどの不思議な光は両開きの扉全体へ、表面を嘗めるようにブワッと広がり・・・・・・すぐに染み込んで消えていく。

「なんです? 今のは」

 目を丸くしたナタリアに訊かれたココは、得意満面に胸を張った。

「今のはな。聖心力で私にできる限りの、思いっきり強固な護呪をかけたんだ。泥棒どころか王国騎士団が破城槌で突進してきたって、この扉はビクともしないぞ」

「聖心力を何に使っているんですか!?」

「もちろん、私の大事な貯金を守るためにだ!」

 帳面をまた戸棚にしまいながら、聖女は高笑いを始めた。

「フハハハハ、聖女になってから八年でこれだけ貯まったからな。任期が終わるまで頑張ってさらに貯めて、後の人生は悠々自適に生きてやる!」

「引退する歳って言ったって、後四年でしょう!? 今の私よりも若いじゃないですか……若い乙女らしく、もっと夢見て行きましょうよ。聖女がお金第一ってどうなんです」

 嘆くナタリアを、ココがビシッと指さした。

「バカ者! 資産形成は計画的に行かないとうまくいかないぞ!? 銅貨一枚を笑うものは銅貨一枚で泣くんだ!」

 イイことを言った……とポーズを決める聖女と拍手する同僚ドロテアの姿に……。

「引退したいのは世話係のこっちですよぅ……もうやだぁ、こんな聖女様」

 シスター・ナタリアは泣きそうな顔で天を仰いだ。

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