第1章 聖女様には事情があります

第01話 聖女ココ・スパイス

 緑の広がる孤児院の庭に、子供たちの楽しくはしゃぐ声が響いている。

「お姉ちゃん、こっちこっち!」

「わああん、待ってくださいよう!」

 笑いながら逃げ回る子供たちと、翻弄される年若い修道女が一人。口々に呼ばれるものの、一人で追いかける彼女はすばしこい子供たちを全然捕まえられない。

「もう、待ってぇぇ……あっ!」

 締め方がゆるかったのか、修道女のベールが突風に跳ね飛ばされて宙を舞う。途端に、ベールで押さえていた輝くシルクのような銀髪がバッと風に広がった。

「わぷっ!」

 顔に自らの髪が張り付き、視界を遮られた修道女はたたらを踏む。慌てて掻き上げた前髪の下からは、やや童顔だが貴婦人と呼ぶにふさわしい気品のある美貌が現れた。

「あうー、ベールがぁ……」

 一目見れば視線を離せなくなるほど美しいその顔は、今は思わぬミスで泣きそうになっていた。だけど子供たちは容赦がない。

「お姉ちゃん、どんくさい!」

「はーやーくー! アハハハハ!」

「待ってー! お姉ちゃん疲れましたよぉ」

 子供を捕まえる前に風にさらわれたベールを取りに走りながら、修道女は涙目で悲鳴をあげた。


 孤児院の軒の下では、施設を運営するスタッフや慰問団の司祭たちが鬼ごっこを微笑ましく見守っていた。

 孤児院長を務める老修道女がまぶしそうに目を細める。

「子供たちもに遊んでいただいて楽しそうです。今日はわざわざ当院まで足を運んでいただき、ありがとうございます」

「いえいえ、聖女様も今日の訪問を楽しみにしておられたんですよ。ねえ、シスター・ナタリア?」

「ええ、本当に」

 孤児院長となごやかに語る福祉担当の司祭に話を振られ、聖女の側付きをしている若い修道女も笑顔で相槌を打つ。


 そう、今人々の見守る中で子供たちに弄ばれている修道女はただの尼僧ではない。かつて勇者と共に魔王から世界を救った聖女の系譜に連なる、当代の聖女なのだ。




 ユトリノ大陸で最大の信徒数を誇るゴートランド教団には、女神の神託に依って代々選ばれる神の代理人・聖女が存在する。いや、聖女を擁しているからこそゴートランド教は大陸における女神信仰の本流となっていると言ってもいい。

  勇者に随伴し魔王を倒したその初代から数えて第四十三代に当たるのが、今皆の目の前で子供たちと戯れている少女ココ・スパイスだ。

 ココは聖女のイメージにぴったりくる神秘的で線の細い美貌の持ち主で、その容姿に見合った控えめながら明るい性格が信徒に広く敬愛されていた。


 もちろん見た目と愛嬌だけで聖女が務まるわけではない。

 ココは目を離せば消えていなくなりそうな儚げな印象と裏腹に、聖職者のみが使える聖魔法・聖心力の強力な使い手としても知られる。しかも歴代聖女の中で最高と目される膨大な聖心力の保有者で、降魔専門の折伏司祭よりも力を自在に使いこなし魔を屠ることが可能なのだ。

 強大な神の力と妖精のような美しさを併せ持つ少女。

 彼女はまさに、地上に降り立った女神のようだった。


 見た目だけは。




 遊びに一区切りついてヒイヒイ言いながら戻って来た聖女に、側付きのシスター・ナタリアはタオルと飲み物を持って駆け寄った。

「お疲れ様です、ココ様」

「ああ、ありがとうございます。シスター・ナタリア」

 嬉しそうにタオルを受け取って額に滲んだ汗を拭き、聖女ココはニコリと微笑んだ。その彼女にコップを渡しながら(に見せながら)さらに顔を寄せたナタリアは、眉間に皺を寄せて囁いた。

(滞在時間をわざと延ばしてますね? ココ様)

 水を一口飲んだ聖女は、ナタリアにしか見えない角度でニタッと笑った。

(ったりめーだろ、ナッツ。せっかくの遠隔地の慰問だぞ? こういう機会に残業手当を稼がないでどうする?)

(一時間で銅貨一枚でしょう? そんな小銭を稼いでどうするんですか!?)

(バカか、おまえは。それを言ったら私の日当は一日八時間労働で銅貨八枚だぞ? 雀の涙ってヤツだぞ? 雀が同情して涙が出てくるほどに低賃金なんだぞ? 一時間に銅貨一枚でも、四十八時間働けば銀貨一枚になるじゃないか。安くこき使われてるんだから、こういう機会に地道に稼がないとな!)

(とりあえずココ様、雀の涙ってそういう意味じゃないです……)


 第四十三代聖女、ココ・スパイス。

 外見は理想的な聖女。

 内面は模範的な守銭奴である。



   ◆



 教団の本拠地・ゴートランド大聖堂に併設されたマルグレード女子修道院の奥深くに、聖女ココの部屋はある。

 出張を終えて帰って来たココは、部屋に戻るなりベッドにダイビングした。枕に顔をうずめ、大の字でうつ伏せになる。

「うっはー、やっぱり馬車にずっと揺られていると疲れるなあ」

 ココはまだ十代半ばとはいえ、片道二時間も馬車に揺られているとさすがにクタクタだ。

 外出着のままもそもそ毛布をかぶろうとする聖女に、世話係兼お目付けのナタリアからさっそく注意が飛んだ。

「ココ様、まずは法衣を脱いでください!」

「固いこと言うなよ、ナッツ。私は疲れているんだぞ」

 お世話係に叱られて、口ごたえしつつもノソノソ起き上がる聖女。一応年上のナタリアに一目置いてはいるらしい。

 “姉”に叱られて嫌々動くあたり、こうして見ればココも十四歳という年齢なりのただの少女だ。

「着替えもしないうちからベッドに寝転ぶなんて、聖女が行儀悪いですよ」

 そう叱りつつも“どうせまともに聞いてないんだろうなあ……”と思い、シスター・ナタリアはため息をついた。


 元々ただの見習修道女シスターだったナタリアは、六年前にココの付き人に抜擢された。前任者が片っ端からココの素行に匙を投げた結果なので、栄転と言っていいのかどうか……。

 ただナタリアは“どうせすぐ辞める”という大方の予想に反して、世話係として何故か上手くハマった。

 中小貴族の三女という育ちのせいか、ナタリアは杓子定規な性格ではない。柔軟で家庭的な所が気に入ったのか、ココはナタリアの言う事なら(わりと)素直に聞いてくれたので現在も側付きの任にある。

 

 しかしそのおかげで、常識人のナタリアは気苦労が絶えない。

 この年下の聖女様は良く言えば自由奔放。

 正直に言えばモラルもマナーも知らない山猿なのだ。

 そしてかわいい容姿に似合わず金にがめつい。

 内面的にはまるでいい所がない。

 初めて聖女の本性を知った時はナタリアも、教育係が皆辞めるのも無理は無いと思ってしまった。塀の上を猫のように走る聖女を見ながら、そう思った。


 給金がかかっているから、守銭奴のココは表向き言われた通りに言動を取り繕って良い子を演じている。けれど、中身がこんなだからいつボロが出るかわからない。

 教団首脳部からも「聖女のイメージを絶対に守れ!」と厳命されている。と言ったって、素のココはお転婆なんて言葉じゃ収まらない生まれついての野生児だ。を今さら可憐なお嬢様なんかに叩き直す事などできるはずもない。

 おかげで間に挟まれているナタリアの心労は溜まる一方。同僚からは「眉間の皺が取れない」とか「目の下にクマが出来てる」とか言われ放題になっていて、二十歳と微妙な年ごろのナタリアはもう泣きたくて仕方ない。


 聖女の任期は十二年と決まっている。

 わずか六歳で女神に見いだされたココは今十四歳。任期はあと四年残っている。ココに気に入られているナタリアも、多分あと四年振り回されなければならない……涙が出てきそう。


 そんなお付きの気持ちを知ってか知らずか。

 ワンピース型の法衣を重ね着ごと一息に脱ぎ捨てたココは、着替えを用意するナタリアの疲れた顔を見て眉をひそめた。

「ナッツ、あんまり悩みを溜め込むんじゃないぞ? もっと気楽に生きようぜ?」

「誰のせいだと思ってるんですか!?」

 ナタリアの非難するような悲鳴が、ココの部屋に響き渡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る