【7年前 東京駅丸ノ内JR北口駅舎前】
春先の午前10時を少し回った頃だった。ヒロシはオフィスを出て東京駅から客先に向かおうとしていた。その日は客先でちょっとしたプレゼンを行う予定だった。少し時間に余裕がある。ヒロシは少し身なりに気合を込めようと、靴を磨くことにした。
最近は三人が揃って営業していることはあまりない。一人か二人だ。特に、高齢の男は体調もあるのかあまり見かけない。それもあって、ヒロシは長髪か小太りのどちらかに磨いてもらっていた。高齢の男には一度も磨いてもらったことはない。だが高齢の男の席に迷わず座る客を何人もみたことがある。彼の客は、来ているスーツ、コートが違う。富裕層であることが見てわかる。年齢も高齢の男に合わせて高いと見受ける。高齢の男は話したことはないが、上得意をたくさん持っているのだろう。おそらく年齢的に一番長くここで営業していると思われる。
いつもの通り、靴磨き屋達は北口前のガードレール横で露天営業をしていた。今日は、小太りの男と高齢の男の二人だった。既に高齢の男には、やはり金持ちそうな客が座り靴を磨いてもらっいた。ヒロシは、空いていた小太りの男の椅子に腰かけた。
「お早うございます。やってもらえますか。」
「あいよ、随分と温かくなったねぇ。我々とっても有り難いよ。」
小太りの男はいつものように靴を磨き始めた。小太りの男も話し上手だ。やはりただ者でないと感じていた。この職人達に興味を持っていたヒロシは、この日、少し突っ込んだ質問をしてみることにした。
「おじさん達、いつ頃から靴磨きやってるの?」
小太りの男、
「1960年台からだよ。隣の俺達のオヤジが始めたからね。60年以上になるよ。露天の靴磨き屋はね、東京ではもう10人ぐらいしかやってない。俺達が一番古いんだ。」
ヒロシは驚いた。
「えっ、あの方、お父さんなの。60年とは凄いねぇ。」
「オヤジは靴磨きで生計立てて俺達を育てくれたからね。ちゃんと大学にも行かしてくれた。」
兄弟の父親は、隣で黙々と仕事をしている。
「おじさんは大学では何を?」
小太りの男、
「西洋美術系の勉強をね。早稲田の文学部だよ。靴磨きやってるんなて意外だろ。」
「えっ、早稲田とは僕と同じだ。僕は理科系だけど・・。」
ヒロシは、この靴磨き屋が大学まででいることに正直驚いた。そして改めて、彼らの高尚さの裏側にあるものを少し理解した。さらに、同じ大学と聞いて親近感を覚えた。ヒロシはさらに立ち入ったことを聞いてみようとしてみた。
「ところで、今日は弟さんは?」
「弟さん?、ははは、お兄さん、ここ2,3年来てくれているけど勘違いしているようだね。俺が弟の方だよ。兄貴は幸一、俺は賢二っていうんだ。幸一の方が背が低くて痩せ型で遊び人風だから年下に良く見られるけど、実はあいつが兄貴、俺が弟だ。ははは。今日は兄貴は別の仕事で休みだよ。」
彼らの家族構成を知ったヒロシは、その後もちょくちょく靴を磨いてもらいに寄った。その度に豊かな寸暇を職人達は与えてくれた。ヒロシにとっては、靴がピカピカになることよりも彼らとは暫しの会話が楽しみにしていたほどだ。話の端々に何人ものお金持ちや有名人の話が出る。ただモノではないところがおもしろい。ヨレヨレのシャツに靴墨のシミがあちこちついたズボン、そして手も墨でどす黒い。だけど靴だけは高そうな革靴を履いていて格好よくピカピカに磨かれている。ヒロシは彼らのそういうところに惹かれていた。
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