第18話 再会

 沙羅の顔を見つめ返したのは、長く伸ばした亜麻色の髪と、黒い着物を雨に濡らして佇む青年だった。今はおさげにして左右で結わえている沙羅の髪よりも、長いのではないだろうか。さらさらと流れる女のように美しい髪は、結われもせずに無造作な流れを作りながら腰のあたりまで届いている。


「あのままでは、見つかれば抵抗もできずに殺されていた。だから、その壊れた神器に身を隠していた」


 青年は沙羅の手元の御統に視線を落とし、淡々とした口調で答えた。その秀麗な面は沙羅に感情を読み取らせようとしないが、若い見た目の割に老成した雰囲気は伝えてくれる。夢のような場所で出会った時と、印象はひどくかけ離れてはいるが、彼が九尾の妖狐で間違いなかった。


「それじゃあ、若葉に渡された時から、ずっと私と一緒だったのね」


 御統から手を離した沙羅は、そのまま言葉を続け、九尾の妖狐へ「さっきはありがとう」と礼を告げる。しかし九尾の妖狐は、「いや」と謙遜しているのか否定しているのかよく分からない言葉を述べ、不意に沙羅の両手をとった。


「これは、もういらぬな。すまなかった」


 九尾の妖狐に、ぎゅっと手を掴まれると、手のひらまで広がっていたあの黒い痣が、ハラハラと零れ落ち、その欠片が空気に溶け込むようにして消えていった。沙羅は手を離し、元に戻った自分の手を前にかざして眺めた。それから、脚にも広がっていたはずの痣も確認する。


「全部っ、消えてる」


 ここ数月の間、罪人の証のように、穢れた身である証のように、消えることなく沙羅の心を苛んできた黒い痣が、綺麗になくなっている。


「どうやったの!?」


 九尾は片方の眉をあげ、「俺がつけたものだ。それを消すことくらいできる」と答えた。


「しかし、しばらくは力を使えない。ここ数月の間、勾玉に潜み回復していた力が、先ほどあやかしを燃やした炎でほとんど底をついた」


「……それは、大丈夫なの?」


 不意に心配になり沙羅は尋ねる。


「問題ない」


 九尾の妖狐は短く答えると、沙羅に背を向け、目の前の惨状を眺めた。


 沙羅はおずおずとその横に並ぶ。この惨状を前にすると、今こうして自分の命がある事が不思議でならなかった。もし、九尾の妖狐が御統の中にいなければ、もし、彼が助けようとしてくれなければ、もし彼の力が回復していなければ、自分はここにこうして立っていられなかった。少しでも何かが違えば、自分も彼らととも常世へ旅立っていた。


 沙羅は、自分より頭一つ分背の高い九尾の妖狐をぼんやりと見上げる。だが、九尾の妖狐が何も言わないので、沙羅は思っていたことを口に出した。


「……彼らを、このままに、しておけないわ。ちゃんと供養してあげないと」


「供養?」


 隣で、九尾の妖狐が首を傾げた。


「ここに倒れている者は、お前の知り合いなのか」


「いいえ。全く知らない人たちよ。けれど、だからってこのままにしておくのは惨すぎる」


 沙羅は進み出ると、適当な場所を選んでしゃがみ込み、その下の地面を手で掘り起こし始めた。雨に濡れた土は冷たく、先ほど温められた沙羅の手はたちまち冷たくなった。爪の間に土が入り、痣のなくなった手はたちまち泥に汚れていく。


「鋤か鍬があれば、一番良いのだけれど。町で頼めば、誰か貸してくれるかしら」


 自分が無謀なことをしているのに気づき、沙羅はため息をつく。照れ隠しに九尾の妖狐の方へ笑いかけようとすると、彼の姿はどこにもなかった。


「え、あれ?」


 また、御統の中へ戻ったのだろうか。そんな気配は感じなかったのだが。

 思わず胸元の御統を覗き込んだが、何もわからなかった。





 少し強くなってきた雨に打たれながら、沙羅は馬も含めた遺体の一つ一つに手を合わせ、目を見開いたまま息絶えた人を見つけては、そっとその目を閉じて回った。途中、白い骨がむき出しになっていたり、食い散らかされた臓腑が目に入り何度も目を背けたくなったが、これは誰かがやらねばならないのだと自分に言い聞かせた。


「後で、きちんと埋めて、供養します」


 誰にともなくそう呟いた時、人の気配を感じて沙羅は振り返った。するとそこには、鋤と鍬を持った九尾の妖狐の姿があった。


「その鋤と鍬は……?どこへ行っていたの」


「お前が言ったろう。頼めば貸してくれると」


 では、先ほど姿を消したのは、わざわざそれをしに山を下りていたということか。少し驚きながらも、お礼を言い、沙羅は九尾と共に鋤と鍬を使って土を掘り返し、遺体を埋葬していった。最後にひときわ大きな穴を掘って、黒焦げになったあやかしを運び入れようとする。


「自分を食おうとした化け物さえも、供養してやるのか」


 理解に苦しむといいたげな顔をしながらも、九尾はあやかしの巨体を運ぶのを手伝ってくれた。


「ええ。誰にだって、どんな生き物にだって、安らかに眠る権利はあるはずだもの。それに、この子だって好きで暴れていたわけじゃないかもしれない」


 遺体に土をかけながら言った沙羅の言葉に、九尾はわずかに眉を動かしたが、

「それはないだろう」とすぐに否定した。


「そのあやかしは鬼熊と言って、人を食い過ぎた熊が変じたあやかしだ。もともと、人を喰う奴だ」


「それでも、誰にもこの子がそうじゃないとは言い切れないわ。もちろん、私にも、あなたにも……ね」


「お前は……なぜ」


 言いかけた言葉を途中で飲み込み、九尾の妖狐は誤魔化すようにあやかしの骸へ土をかける作業に没頭した。


 埋葬作業が終わると、並んだ土まんじゅうに向かい、沙羅はひざまづいて手を合わせ、長い間身じろぎもせずに祈った。苦痛と共に死んでいった彼らの魂が安らぐように、次の生が健やかなものであるようにと。死者に向かってこうして祈るのは、沙羅が巫女であるからだとか、そうしたものは関係ない。この国の者の習慣だ。死した魂が安らぐよう、冥福を祈り、手を合わせる。


 生者の列から外れてそれほど時間の経っていない死者たちに向かって冥福を祈るのは、沙羅にとって二度目だった。一度目は、母の葬儀の時だ。あれは忘れられない、母との最後の思い出だった。母のため懸命に祈りを捧げていると、死んだはずの母の声が聞こえてきたからだ。その時、名前も知らない白い花が咲き乱れる光景を、同時に見たような記憶があるのだが、なにぶん幼い頃の出来事なので、夜に見た夢と勘違いしている部分もあるのかもしれない。そういえば、白い花が一面に咲く光景を、つい数月前に、見たような。


「お前、その力は一体なんだ」


 驚いた九尾の声に、沙羅は祈るのを中断して「え?」と顔を上げる。そして、自分の体の周囲に生じた変化に気づいた。沙羅の体を、柔らかな白い光が包み込んでいる。風もないのに、衣の袖や左右に結んだ髪がゆれている。しかし、その不思議な現象は、沙羅が見ている前ですぐに消えてしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る