第3話 亀裂
沙羅は儀式を始めるにあたり、出かける際に首にかけてきた五つの勾玉の連なる首飾りを自身の胸元から外した。この首飾りの名は、「鎮めの玉の
沙羅は
沙羅はこの儀式の際に決まって唱える文言を、歌うようにして声に出した。
『鎮めの玉の御統よ、盟約によりて、荒ぶる魂をその玉の緒に繋ぎとめよ』
唱えると同時に、沙羅は自身の霊力を御統に注ぎ込んだ。瞼の裏側に届く勾玉の光が強さを増す。それに呼応するかのようにして、青白く揺らめく別の明かりが灯る。その青白い明かりの周囲を、御統として連なった五つの勾玉の明かりが分解してくるくると回りながら囲い込んだ。
目を閉じた瞼の裏に映ったこの光景を初めて目にしたときは、沙羅も驚いたものだ。だが、これはすべて目に見える現実として起こっているのではないと、先代の巫女である祖母が教えてくれた。これは、通常人の目では見ることのできない異質な空間で繰り広げられている光景であり、巫女は自身の霊力と鎮めの玉の御統の力を以てして、これを見ることができるのだと。
異質の空間で繰り広げられる明かり達の動きは、いつも華麗で鮮やかだ。五つの勾玉の明るい光と、幽鬼のように揺れる青白い明かりがくるくると回る。何度も何度もくるくるくるりと。だが、それもじきに終わりを迎える。やがては勾玉の明かりが青白い明かりを打ち消すからだ。そうなれば、魂鎮めの儀式は終わる。
だが、今回はそうではなかった。どれほど五つの明かりが回ろうとも、たった一つ暗闇に浮かぶ青白い明かりは消えない。沙羅は、込めた霊力が足りなかったのかと思い、いつも以上に気力を振り絞って御統に力を注ぎ込む。だが、まるで改善する気配がない。と、その時、揺らめく青白い明かりが、ボッと炎のように燃え上がった。幽鬼のように揺らめいているのは炎になっても変わらない。だが、不気味さは増していた。沙羅は、吸い込まれるようにして燃え上がる炎の炎心を見つめる。白い炎心の奥の奥、何かが蠢いているのが見える。蠢く尾のようなもの。血塗られたような赤い光。
——見てはいけない
沙羅は必死で炎から目を逸らそうとした。だが、魅入られたように自分の目は意思に反して炎を見つめ続ける。沙羅の心臓が早鐘のような速度で脈を打つ。これはまるであれではないか。幼い頃から繰り返し見てきた夢の内容と。そっくり、同じ。夢の中の幼い自分と同じように、沙羅はそれを見て自分がひどく怯えていることを感じ取った。身体中の血が怖気立ち、うなじが冷たい何かに触れられたように震え上がる。怖い。怖くてたまらない。誰かーー。
「姫様!」
若葉の焦った声で、沙羅の意識は引き戻された。ハッと目を開ける。それと同時に、手にしていた鎮めの玉の御統から何かが弾けたような音がして、沙羅の手から祭壇に向かって吹っ飛んだ。
座ったまま後ろに倒れ込みそうになった沙羅の体を、若葉が慌てて支える。
「姫様、大丈夫ですか!? 儀式の最中随分と体調が悪そうで、思わず声を……」
沙羅は支えてくれている若葉の手を振りほどき、吹き飛んで地面に落ちている御統を無我夢中で拾った。良かった、御統は壊れていない。そう安堵したところで、沙羅は連なった五つの勾玉のうち一つに大きな亀裂が入っていることに気づいた。稲妻のような形をした亀裂は、勾玉の曲線を描く部分に沿うようにして入っている。このようなこと、今まで起こったことはないのに。
「姫様……?」
勾玉を見て固まっている沙羅を心配してか、若葉が恐る恐るといった調子で尋ねてきた。沙羅はゆっくりと振り返って、若葉に亀裂の入った勾玉を見せた。それを見た若葉の顔は、たちまち真っ青になった。
「ひ、ひびが……」
沙羅は御統を手に持ったまま、立ち上がって封印石を見上げた。封印石の方は変わらず白いままだ。一片の淀みも見えない。それに少し安堵はしたものの、御統に亀裂が入ったことはどう見ても非常事態だ。
「あの、姫様。一体何が起こったのですか」
「わからない……。でも、儀式がうまくいかなかったのは確かだわ」
沙羅はそう言い放つと、御統をぎゅっと右手の中で握りしめ、洞窟の出口に向かって駆け出した。
「あ、どちらへ!?」
「大叔母様のところッ」
沙羅の大叔母。つまりは、沙羅の父の親兄弟。彼女は先代の守り巫女だ。この不可解な出来事を相談できる一番の人物といえば、この多津瀬領において彼女しかいない。
沙羅は洞窟から飛び出し、繋いでいた水月の背に飛び乗る。遅れて洞窟から走り出てきた若葉も、おっとりさんへ跨った。
「若葉、急ぐわよ」
若葉へそう一言告げると、沙羅は手綱を握りしめて水月の腹を蹴った。水月は軽くいななくと、蹄の音を轟かせて駆け出した。若葉もそのあとへ続く。
「姫様、そんなに急がなくても」
「いいえ、急ぐことよこれは。こんなこと、前代未聞だもの。鎮めの玉に亀裂が入るなんて。それに……」
手綱を握りしめた手に、沙羅は視線を落とした。風で煽られてめくれ上がった袖の下から覗いているのは痣だ。
沙羅はグッと言葉を飲み込むと、水月にもっと急ぐよう合図を出して、森の道を疾風のように駆け抜けていった。彼女の後を追うようにして、その後を風が吹き抜け、ザワザワと木々の葉を揺らしていく。
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