第33話 元カノ

 私が後悔するのは、そう時間が掛からなかった。


 圭介と別れた後、その喪失感は、新しい相手で埋められると思っていた。実際、圭介と別れる前の数ヶ月間、その相手とは何度か二人きりで遊びも行ったし、相性が良いものだとも思っていたからだ。そして圭介と別れ、その相手にその事を告げた時、実際にその相手から正式に付き合って欲しいと告白され、私はそれに了承した。だから本当であれば、後悔なんて無いはずだし、圭介には悪いとは思いつつも、新しい相手と幸せになる筈だった。


 でも今私は後悔している。我ながらどうしようも無いと思っているが、圭介と一緒にいた時ほど、気持ちが充足されないのだ。何故、如何して?私は最初の頃はまだ付き合いが浅いからだと言いかせた。でも実際はどうだろう。会う回数も重ね、恋人らしい事もしている。でも何故だか圭介といた時ほど、今の恋愛が良いものだとは思えなかった。

 元々は物理的に距離が離れた事による寂しさが理由だった。圭介は東京、私は地元である。お互いに行き来できないわけでは無いが、そうしょっちゅう行き来できる訳でもない。勿論、遠距離を埋める様に電話やSNSを駆使して頻繁にやり取りはした。ただやっぱり会いたいし、何も無い時間が無性に寂しくなった。

 そんな時、今の彼氏が遊びに誘ってくれた。私は寂しさが嫌でつい誘いに乗ってしまう。相変わらず、圭介とはマメにやり取りをし、空いた時間で今の彼と遊びに行く。いつしか私は圭介への申し訳なさで、苦しくなっていく。

 その時は別にやましい関係ではなかった。でも二人で遊びに行けば、手くらい繋ぐし、場合によってはハグ位もした。大したことないと言えば、大したこと無い。でももしそれを圭介が知った時と思うと、罪悪感で押しつぶされそうになった。

 だから別れた。別れるしか無かった。その罪悪感から逃れる為、私は圭介に別れを告げたのだ。そして本当は圭介には罵られたかった。この裏切り者と怒鳴り散らされたかった。それが私の罰であり、そうされるべきだった。でも圭介は喚きもせずにただ受け入れた。その顔は何かに耐える様に、悲しみを感じさせる切ない表情だった。彼が私を大事にしてくれ、大切に思ってくれていたからの表情。酷い、残酷な私をそれでも精一杯虚勢をはって、受け入れた先の表情だった。

 だから私は馬鹿なのだ。本当に馬鹿なのだ。圭介が大事にしてくれているのに、その手を離した馬鹿な私。私はその時もまだ自分の中にできた大きな穴が埋まると思っていた。初めて大好きになった、初めての彼氏。穴は思った以上に大きく、埋まる筈が無かった。今の彼氏は私に出来た小さな隙間を埋めただけ。出来た穴の大きさに比べたら、今の彼が埋められたのはほんの小さな穴だったのだ。


 私は未だに消せていない圭介の電話番号を見て、また大きなため息を吐く。決して掛ける事の出来ないその番号は、今もなお埋まらない大きな穴の奥底にあった。だけど私はその番号を消す事ができない。それは私の私自身への罰なのだから。


 ◇


「ああっ、夏休み!?」


 俺は大学の食堂で中途半端な時間に遅めの昼食を食べていた。今日は夕方からバイトで、その前の腹ごしらえで、今懸命にカツカレーを頬張っていた。すると傍に置いたスマホがブルブルと震える。因みに俺はマナーを守る男だ。決して食事中に通話などしない。そして周囲に迷惑をかけない様にバイブにしている。別にカツカレーをさっさと食べたい訳では無い。マナーを守る男だから着信を無視していた。しかし、だ。俺の前に座る偽彼女が煩いからさっさとでろと訴えてくる。いや待てバイブだよ?と思いもしたが、確かに机の上に置いていたら煩い。仕方がないので、頬張っていたカツカレーのスプーンを脇に置き、スマホを持ち上げ、親指で軽くタップする。


 おふっ、母上様ではございませんか。まあ確かに去年のこの時期にも同じように電話がかかってきた。話の内容は容易に察する事ができ、そして漏れ出た言葉が冒頭の声だった。


「あんた、夏休みはこっちにいんの?そういう事、ちゃんと報告くれないと、こっちにも用意ってもんんがあるんだから」


 と母上様。正直夏の予定は考えてなく、なので当然連絡もしていなかったのだが、どうやらお気に召さなかったようだ。


「あー、基本こっちでバイト三昧かと思ってたけど、帰らなきゃ駄目か?」


 俺はその場の思いつきで、そんな返事をする。因みに目の前の我が偽彼女は俺の思いつきの言葉にニマニマし始め、自分のスマホでスケジュールを確認し出す。おいコラッ、勝手にその謎のハートマークな日を増やすんじゃないっ、今俺、バイトって言ったよね!?


「当たり前でしょっ、まああんたにもそっちの付き合いがあるだろうから、あれだけど、お盆くらいは帰ってきなさい」


「ええっ、お盆混むじゃーん、帰るならできればそれ避けて帰りたいんだけど……」


「何言ってんの、あんた、どうせお盆みたいな理由が無いと帰ってこないでしょう?大体茜ちゃんに振られてからすっかり帰って来なくなって。全くあんな良い子に振られて甲斐性のない、ああでもあんたには上者過ぎたから、まあ、予想通りと言えば予想通りだけどね」


 ぐふっ


 流石は母親、息子を刺しにくるのに躊躇いがない。いや確かに茜、元彼女と別れてから帰る理由が無くなって、春以降、厳密には春に行った時も家には寄らずに戻ってきたから、正月以来か?家には行ってない。おっ、ちょっとだけ親不孝感が湧いてきた。すると目の前の奈々が少し寂しげに実家帰っちゃうのアピールをしてくる。いや、その表情で上目遣いは卑怯。そもそもお前、ここ最近、ほぼうちに来て最近では通い妻扱いされているのわかっているだろうっ!


「それは半分母上様のDNAですので、貴方の責任でもあるのでは?って言うか良いんだよ。もうそれは吹っ切れているから。ああ、それにもう彼女もいるからな」


 まあ嘘は吐いてない。うん、嘘ではない。実際しこりが全くなくなったわけではないが、大分前向きにはなったと思う。勿論、彼女がいると言うのも嘘ではないのだ。コラ、奈々さん、パッと顔を輝かせない、いや、奈々のお陰で前向きになったのは事実だけど、一応まだ偽だからね?君わかってる?


「またまたー、エアな彼女?ああバーチャルな奴?お母さん、オタク趣味は否定しないけど、二次元の女子は付き合えないとはっきり言っておくわよ」


「失礼だなっ生身の人間だっ」


 おいコラッ、母親っ、息子を流石に過小評価し過ぎじゃね?確かに二次元作品は嫌いじゃないけど、その沼にはハマってないよ!?


「あはは、冗談、冗談よ。あんた一時期、本当に死にそうな声してたから、確かめただけよ。まあその様子だと、本当に彼女ができて、立ち直ったみたいだから、良かったわ。その彼女に感謝しなさいよね」


 流石は母上様、気にしていないようでしっかり気にしていらっしゃる。しかも声だけで俺の状態を察するあたり、頭が上がらない。因みに奈々は生身の人間という言葉に頭の中ではてなマークが溢れている模様。少し小難しい顔で眉間にシワが寄っている。ここで前後の説明文なく「ありがとう」と感謝したら、さらにはてなマークが増える事請け合いだ。うん、後でやろう。


「あーはいはい、後で言っとく。それとお盆前に帰る。多分一週間くらい。バイトもそんなに休めないからな。これで良いか、もう切るぞ」


「あー後で彼女の写真、送っておいて!私が値踏み、ブチッ」


 うん明らかに面倒臭いモードに入りそうだったので、思わずぶった切ってしまった。そもそも値踏みってなんだ!?嫁姑の確執でも起きちゃうの?俺的には二人が加担して息子旦那虐めが起きちゃう事が不安なんだけど!?まあアレは後で写真でも送っておきゃ良いだろう。その点我が偽の彼女は外見が良い。好感度爆上げする事間違いない。俺は軽く溜息を吐きつつ、目の前の偽彼女を真顔で見る。奈々は相変わらずはてな顔で、こっちが説明してくるのを待っている。なので俺は取り敢えず用意していた言葉を奈々に言う。


「ありがとう」


「はっ?何が、いや生身の人間って何?って言うか、圭介夏休みの予定はどうなったの?」


 矢継ぎ早に繰り出される質問を俺は無視しつつ、残った昼飯に手を付けるのだった。

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