第30話 家までが遠い

 俺はバイト先であるカフェでのんびりとコーヒーを啜っていた。うん優雅なひと時、その時間はのんびりと流れていく。ただ本音を言えば、優雅な時間は自宅で取ればいい。結論、既に今日は疲れ切っているので、本当は帰りたい。帰ってシャワーを浴びて、ゴロゴロしたい。ここでコーヒーを飲む時間は別に嫌いではないのだが、今この時、この瞬間はどこまで行ってもお家に帰りたい心境だった。


「圭介、暇なら片付け手伝ってよ。そしたら私も早く上がれるし、一石二鳥じゃない?」


 そう言ってくるのは我が偽の恋人奈々さん。俺が家に帰れない元凶である。彼女は今、フロアの備品の補充をし、席の空いた机などを拭き拭きしている。その合間に客である俺様に声をかけてきたのだ。


「申し訳有りません。当店は既に閉店してますので、そのお誘いは丁重にお断りさせていただきます」


「むー、ケチ。そんなに心が狭いと、今日帰ったら意地悪するからね」


 ふむ、意地悪と。家での奈々は慣れてきたとはいえ、まだまだ初心な女子だ。意地悪といえど、そう過激な事は出来ず、且つ圭介としては、やり返すチャンスも多分にあるので、余り脅威に感じない。あっ、但し理性を総動員する羽目になる可能性は高い。NO!ラッキースケベ!と内心で叫ぶ。とは言え、そんな意地悪程度、問題ないと余裕ぶった俺に奈々はニヤリとする。


「圭介の台所の棚に珍しいカップラーメンあったでしょう?今日の晩ご飯それにするわっ」


「なっ、奈々、何故それを?俺が奈々に見つからない様に、うまく偽装させたアレを何故知っている!?」


 それは俺がサークル合宿先で手に入れた秘蔵のご当地カップラーメン。お値段もそれなりに張るのだが、それ以上にご当地ものという事で東京では売っていない代物だ。ああ、もう少し寒くなったらとか思って食べ損ねて春が過ぎてしまった逸品。そこですかさず俺は嘘を吐く。


「あっ、あー、そう言えばそんなのあったなー。べ、別に隠してあったわけじゃ無い。ただ食べるタイミングが無かっただけだから。むしろ非常食的な奴だよ、奈々君、やっぱ非常食は食べられたら困るな〜」


「ん?なら非常食用は今度スーパーで買ってあげるから、食べても良いよね」


 クッ、こいつ、マウント取った気でいやがる。なので俺は仕方なく疲れた体に鞭打って、片付けの手伝いを始める。


「ほら奈々、女子が夜中にカップラーメンなんて、体に悪いぞ。片付け手伝ってやるから、帰りがけに何か食べにいくぞ」


「イェイ!圭介の奢りね。ならそのカップラーメンは諦めてあげる。ああでもそのカップラーメンは私のいる時に食べてよね。私もちょっと食べてみたいし、ねっ、ねっ」


 そう言ってシレッと条件を追加してくる奈々。あざとい、あざとすぎるぞ、難攻不落っ。しかしちょっとだけ可愛いと感じてしまう自分が悲しい。なので、このやるせ無い気持ちを盛大な溜息で表現する。


「はぁ、はいはい、奈々様には敵いません。お望みのままに致しますよ。お嬢様」


「ふふーん、苦しゅうない、苦しゅうないぞ、圭介衛門」


「そのセリフ、お姫様じゃなくて、お殿様だぞ……」


 という俺の弱々しいツッコミは完全にスルーされ、さて何を食べようかなと鼻歌混じりに片づけに精を出し始める奈々を、精一杯のジト目で僅かながらの抵抗を試みるのであった。


 ◇


 そして片付けも終わり、今は奈々の着替えを待っている途中である。俺は先に着替え終わった明美さんと駄弁っている。


「それで偽カップルの偽はもう外れたのか?」


 そう明美さんは、俺と奈々が偽のカップルという事実を知っている。奈々が明美さんを慕っているので、その辺りの情報がツーツーなのだ。


「いえ、絶賛偽の恋人関係継続中ですよ、ご存知ですよね、明美さんは」


「まあね、でもほらあんだけ可愛い娘が、毎晩の様に家に泊まっているんだろ?男なら手の一つや二つ出すだろう?圭介あんた相当のヘタレよ?」


「ぐふっ、何故だろう、むしろ相手を思って我慢している俺の努力に塩を塗りたくられている気がするんだが……、駄目なのか?やっぱ手を出さなければ駄目なのか?」


 俺は明美さんの言葉の暴力に、呆気なく膝を屈し、自問自答する。悪夢君は手を出せと絶賛俺を説得中。しかし俺の邪な心に更にナイフを明美さんは突き立てにくる。


「まあ手を出しても良いけど、責任はちゃんと取りなさい。あと、もし手を出すんなら、ちゃんと彼女にしてから手を出しなさい。そう言うのって、順番が大事なのよ。行為が先で付き合うって、どこか関係目的みたいで、不安になっちゃうからね」


「……それって、経験談だったりします?」


「ああっんっ」


「ひっ、勿論じょーだんっっす、まじ冗談です。あーうん、うん奈々まだか?って、あれ?珍しいなぁ、サークルの部長から電話だ」


 絶対零度の視線って有るんですね。いけない、人は考えて言葉を発しなければいけない。思いつきをノリで喋って良いのは、明石家さ○ま位だ。ただそんな死地を前に一本の電話がスマホを揺らす。


「はい、もしもし春日ですが……」


 因みに電話の相手はサークルの先輩。優しい人で後輩の面倒見が良い、しかも可愛い彼女持ちで、彼女さんはうちのサークルにもよく顔を出すので、すっかり顔見知りだったりする。


「あー春日か、遅くにすまん。確認したい事がある。単刀直入に聞くが、お前今、三枝瑞穂と一緒に居たりしないか?」


「あれ、先輩って瑞穂知ってましたけ?ああこの間のコンパで目をつけた?ならそれは彼女さんへの報告事項ですね。殺されて下さい」


「アホかっ、この間のコンパの仕掛け人は俺だ。女性は俺の彼女繋がりだし、ちなみに瑞穂は俺の彼女の後輩だっ、で、瑞穂と一緒じゃ無いのか?」


「一緒にはいないっすよ。晩飯を一緒に食べて別れましたんで、もう家に着いているんじゃないですか?SNSでメッセージでも送れば返信くるんじゃ無いですか?」


 心なしか先輩の声は焦っている気がするが、瑞穂とは大分前に別れたので、その旨を淡々と伝える。すると先輩は少し気落ちした口調で話出す。


「メッセージは送っているが、返信は来ていない。既読も付かないしな。お前は知らんかもしれんが、瑞穂は俺の彼女と一緒に住んでいるんだが、連絡なしにまだ帰ってきてないんだ。電話やメールをしても一向に反応がない。普段そんな人に心配をかける様な子じゃないだが、だから尚更な」


 うーん、確かにちょっと心配になる時間帯ではある。流石に拉致・監禁と迄はいかないが、トラブルに巻き込まれている可能性は否定できない。


「少し心配かもですね。取り敢えず俺からもメッセージ入れておきます。連絡ついたら教えますから」


「うん、済まないな。なんかあったら連絡くれ」


 先輩はそう言ったあと電話を切る。俺は取り敢えず返事を期待してた訳では無いが、SNSで瑞穂にメッセージを送る。


 ケースケ:今どこにいる?


 まあ返事は来ないだろうとタカをくくり、スマホをテーブルの上へと置く。すると置いたそばから、ブブブッとスマホにメッセージが届いた事を知らせてくる。


 ミズホ:今カラオケに来ています(ハート)


 随分と瑞穂っぽく無い。特に最後のハートが気持ち悪い。すると俺の気持ち悪さを裏付けるように、今度は一枚の画像が届く。


「圭介お待たせー、お家に帰ろっ」


 バックヤードから着替え終わった奈々が現れるが、画像を見て唖然としていた俺は、返事もできない。そして俺の様子がおかしい事に気が付いた奈々が俺の見ているスマホを覗き込む。


「げっ、これ前のサークルのゲスコンビじゃん、って、なんでそこにあの子がいるの?」


 そう俺が唖然としたのは、あのアホコンビと一緒に何故か瑞穂が顔を痙攣らせながら、写真の中でピースをしていたからだ。


「はあぁぁ、おうちのベッドでゴロゴロしたかったのに……」


 俺は打ちひしがれ、呆然としながらも、サークルのグループにその画像を上げるのだった。




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