第23話 三枝瑞穂は気づかない

 私は小さい頃からよく可愛いと言われていた。外見的には可愛いのだろうと自分でも思っていた。ただ小さい頃はチヤホヤされるだけで良かったのだが、それが年頃になると、その視線は過剰なものとなった。特に私は胸が大きい。母もそうなので、単に遺伝なのだが、中学に入るとその存在がより一層誇張されるようになった。正直これは私にとって邪魔でしかない。周囲の視線を集め、運動の際には邪魔になる。走ると揺れる。飛ぶと揺れる。前屈みになると誇張される。多分自意識過剰な部分もあるのだろう。でもそれを開き直って強みにする事まではその当時の私には出来ない事だった。


 そんな私にはこの胸を気にせず気さくに笑いかけてくれる存在がいた。幼馴染みのお兄さん。2つ年上の彼は小さい頃はそれこそ正義の味方の様に颯爽と現れて、私を守ってくれた。思春期に入っても、まるで妹のように優しく接してくれて、そんな彼に私は当然恋をした。でも、きっと彼は私のそんな恋心になんか気づいていない。私もただ側に入れるだけで幸せだったので、それ以上を望む事をしなかった。だから彼に彼女が出来たと聞いた時は、何が起きたのか直ぐには理解出来ない位だった。でも表向きは、驚きはしたが恋が終わった事に嘆いているようには見えなかったろう。そこは頑張った。軽口で揶揄う様な素振りも交えながら、笑顔を見せられたと思う。彼も照れながらも、感謝してたから多分大丈夫。でもそこから私の環境は少しづつ変わっていく。


 最初は冗談まじりの告白から始まった。私はそれを本気と取り合わず、はいはいとあしらった。すると次第に告白に対する熱が帯びてくる。そうなるとこちらも真剣に答えを伝えないといけなくなる。私に好きな人や彼氏がいればよかったのにと、思う事もしばしばだった。幼馴染みのお兄さんは大切な初恋だったけど、その時、好きな人と言われれば、そこの整理はついていたから、好きな人とは言えない。ましてや彼氏なんてもっての他だ。中には学校一の人気のある男子もいた。でも私とは殆ど接点はなく、何故に告白してきたのか、意味不明で付き合う気にはならなかった。


 幸い女友達には恵まれた。そんだけ告白されて振りまくっていれば、逆恨み的な事も有りそうだが、女子同士は上手く本音で付き合えた。先輩にも恵まれたのも大きかった。私は学生時代バスケをしてて、先輩達には可愛がって貰えた。先輩にも友達にも女子運はかなり良いのだ。反対に男子運はすこぶる悪い。初恋以来、自分から好きになる相手はいなかった。告白してくる男子も何処か信用出来なくて、付き合う迄には至らなかった。人付き合いはいいんだけどねぇ。友達で充分と思ってしまう自分がいる。だから私はどんどん奥手になっていった。


 大学に入ってからも状況は変わらず、いつしか私は撃墜王などという不名誉な渾名が付けられた。女子に撃墜王って何っ?私は別に振る事に優越感を覚えてる訳じゃ無いんだけどっ!?しかし周りはそれでも告白してくる。高校3年生の時は受験があるから恋愛なんてと断っていたのが、仇になった。地元の男子もそう、大学の同級生や先輩迄もが声を掛けてくる。正直、高校のバスケ部の先輩が同じ大学に居なかったら参っていただろう。彼女は自身でサークルを立ち上げて、私もそこに誘ってくれた。そこは大学では珍しい女子だけのサークルで、今では私の憩いの場でもある。やはり私の女子運は良いのだ。そして大学に入って1ヶ月が経とうとした時期にサークル主催でコンパの案内が来る。先輩の彼氏が所属するサークルとの合同コンパ。先輩曰く、気軽な飲み会だからと私は誘われてその会に参加する事になった。


『あれ?あの人は……』


 その人はこの間見かけた人だった。その人自身が有名な訳ではない。有名なのはその彼女さんで私につけられた撃墜王に匹敵する位恥ずかしい難攻不落という渾名を付けられた女子の彼氏だった。その人自身は特別イケメンっていう訳でもない。ああでも清潔感のある好感度は高いタイプの男子だ。そして私がその2人を見かけた時に思ったのは、女子の方が凄く幸せそうな笑顔をしている事だった。確かにこれまで多くの男子に言い寄られてもオチなかった難攻不落の女子。ただその彼の前にいる彼女は完全に彼にオチていて、逆にあれ程の女子がオチた相手がどんな人なのか、興味が湧いた。


「フフフッこんばんわー、あっ学内一の有名人がいるーっ」


 思ったより明るい声が出た。私は持ち前の明るい仕草から、その男子に話しかける。すると男子は訝しむ様にこっちを見て返答する。


「えーと有名人って、もしかして俺?」


「勿論じゃないですかー。この前学食で仲良くアーンとかしているの見ましたよ。あっ私、三枝瑞穂さえぐさみずほって言います。英文学科の1年生です。大学に入って学食であんなカップルがいるなんて、凄くビックリしたんです。流石は大学生って」


 私は相手の警戒心を解く様に、何故そう思ったのか、簡単に説明する。すると男子は何故か渋い表情で弁明をしてくる。


「いや、あれはちょっとからかってやっただけで、普段はしないから。そこ間違えないでね。ほんと、絶対ね。あ、俺は春日圭介、経済学部2年ね」


「えー、本当ですか?彼女さんも顔を赤くして、凄く嬉しそうで羨ましいなあって思ったんですけど。ああいうの見ると彼氏って欲しくなっちゃいますよね」


 私は彼の弁明を照れ隠しだと考えて、ついニヤニヤと思ってもない事を言う。正直私が彼女ならば、間違いなく恥ずかしくて、固まってしまうシチュエーションだ。ただそこで思った以上ににリップサービスをしてしまったらしい。何やら周囲の男子がざわざわと色めき出す。彼氏さんもその周囲の反応を素早く察知し、私に興味が無いとばかりに周囲の男子をアピールし始める。


「はははっ、三枝さん?だったら可愛いから、すぐ彼氏ができると思うけどね。なんなら、ほらここによりどりみどりの男子がいるよ?好みとかいない?」


 ただ私は周囲の男子に興味はなく、勿論、目の前の男子にも格別に興味があった訳ではないが、逆に全く自分に興味を示されないのもシャクだった事もあり、ちょっと揶揄い半分で言い寄ってみる。


「えー、なら私春日先輩が良いです。彼女さんと一緒にいる時優しそうだったし、それに顔も好みだし」


 ちょっと意地悪し過ぎかな?先輩はかなり周囲の反応に焦っている様で、明確に断りを入れてくる。


「いや本当にうれしいけど、俺、彼女持ちだから、彼女いない奴の中から選んでくれ。いや本当に残念なんだけど、俺の今日のこれからがかかっている」


「えー春日先輩以外に興味有りません。ああでも彼氏とかじゃ無くて良いんです。流石にあのレベルの彼女さんに対抗するつもりは今は無いんで」


 こうも簡単に断られると私も少し意地になってくる。でも別に春日先輩とどうこうなりたい訳では無いので、勘違いさせないように念押し。ただ私のそんな思惑は杞憂だった様で、溜息混じりに肩を落とす。


「ふーん勿体無いな。まあここで云々は良いけど、そんな感じだと奈々みたいになっちゃうぞ」


 あれ?もっと嫌がるかと思ったら、意外に簡単に受け入れられた。聞くと彼女さんも同じ様な被害に遭っているらしく、私はこの人の側なら安全なのかなと漠然と思うったりする。まあ今日はこの人の側にいれば安全だし、普通に楽しい。こんな感じ幼馴染みのお兄さん以来の感覚だ。もう彼女がいる所まで似なくても良いのになどとちょっとだけ残念に思う。


 その後、先輩は周囲の人に巻き込まれて、気付けばノックダウン。そしてふらふらした弾みで私の膝上に頭が落ちる。なっ、わざと!?と一瞬思ったが、先輩はうんともすんとも言わない。ああ、これマジな奴だ。先輩は私の盾役で周囲に飲まされた事もあり、私にも責任の一端はあるので、引き剥がす事も出来ない。しかも寝顔が微妙に可愛い。私はなんだか周囲の人が写真を撮りたがったので、膝枕をしながら、ピースをしてパシャリと写真におさまる。写真を撮られたのはちょっとした出来心。私に膝枕されて幸せそうに寝ている先輩が悪いのだ。きっと彼女さんに怒られるだろう。この浮気者位言われるかな、その後目覚めた先輩には言わず、ちょっとした置き土産だ。そしてその日は復活した先輩と上手くその場を切り抜けて、私は一人家路につく。先輩は途中まではSNSのやり取りに付き合ってくれたけど、やはり途中で返信がなくなる。きっと酔いつぶれたのだろうと、少しやり取り出来なくなった事にさみしさを感じもしたが、結局その後暫くは先輩の事を気にせずにいた。


 そしてその飲み会から数日後、再び先輩に出会う。まあ同じ学校だから見かける事もあるだろう。その日は次の授業が同じという事もあり、同級生の田中君が一緒にいる。彼は私に好意を持っているっぽいが、私はやんわり断っている。別に悪い人では無いのだが、男子というだけで警戒してしまう自分がいるのだ。


「……、で笹川の奴がさ……」


 彼は一生懸命私に彼の友人の面白話を聞かせてくれるのだが、そもそもその笹川って人を知らないので、いまいち面白みが伝わらない。それでも私は曖昧に笑みを浮かべた所で、見た事のある男子の姿が目に入る。


『あっ、先輩だ……』


 自動販売機の前にいた先輩を見て、つい私の悪戯心が湧く。田中君の話を一度遮って、私はそろりそろりと先輩の背後へと近付きニヤリとしながら声を掛ける。


「セーンパイ、おはようございますっ」


「うわぁっ」


 案の定、完全に油断した圭介先輩は、大きな声を上げて驚く。フフフッ大成功!私は満足気に先輩の顔を覗き込むと先輩は何やら絶望した表情を浮かべてる。


「ええっ、ミルクティー?しかも熱い奴……」


 おっと、まさにテンプレ的展開だ。先輩は驚いた拍子に適当なボタンを押してしまったらしい。しかも大分暖かくなった日にHOTである。


「先輩、今日結構あったかいのに、HOTなんですか?」


「いや、誰のせいでHOTを選んでしまったと?し、しかもよりにもよってミルクティー」


「えー、ミルクティー美味しいじゃないですか。私好きですよ、ミルクティー」


「ちっ、ならプレゼント、俺は冷たいコーヒーが飲みたい」


 このテンプレ的な展開で私は図らずもミルクティーをゲット!しかし先輩は事もあろうかこの可愛い後輩にやり返す様にそのミルクティーを放り投げる。


「あっつ、あ、あっつ、せ、先輩鬼ですかっ、女子に投げつけるもんじゃないでしょっ!?」


「失敬な、投げ付けてなんかいないだろう。ちゃんと手のひらで受け取れる様にコントロールして渡しただろう」


 私は慌ててポケットの中にあるハンカチを取り出してその缶を包む。因みにそんな私の状況を見て、先輩は非常に満足気だ。なので私は先輩をジト目で睨み、文句を言う。


「美味い」


「先輩、正に鬼畜ですね……」


 ただそんな風にあしらわれるのが少し楽しい。先輩は多分私の事をただの後輩として接している。端的に言うとそれ以上の関心がない。だからこそ気兼ねなく振る舞える。それが嬉しいのだ。すると隣にいた田中君が少し警戒する様に話かけてくる。


「お、おい、三枝、この人誰だ?」


「えっ、この人は圭介先輩よ。見ての通りただの鬼畜ね」


「おいコラッ、誰が鬼畜だっ」


 うんナイスツッコミ!私は自然と笑顔になる。こういう馬鹿なやり取りが普通に楽しい。しかし田中君はそんな2人のやり取りを悔し気な表情で睨んでいる。先輩は慌てて田中君にフォローを入れる。


「俺は清水圭介、経済学部の2年だ。あー、三枝さんとは偶々飲み会で一緒になっただけの関係だから、そう警戒するな」


「ひ、酷いっ、膝枕までしてあげた仲なのにっ。私との事は一夜限りの遊びだったって言うのっ」


「おいコラッ、微妙に事実を交えつつ誤解を招く様な事を言うなっ、あ、俺と三枝さんは別にやましい関係では、一切ないからなっ」


 確かに一切やましい関係では無い。膝枕も事故みたいなものだし、でも私が男子に膝枕したのは初めての経験だったけど。ただ流石にちょっと調子に乗り過ぎたかなと反省して、田中君を見る。


「ふふっ、田中君、ちょっと睨むのやめてあげて。先輩の言う通り、今のところただの先輩後輩だから。あっ膝枕は本当だけどね。先輩、彼は私の同級生で田中総司君、因みに彼氏でもなんでも無いから安心して下さいね」


 最後の部分は先輩への弁明というより田中君への駄目押しだったけど、一応先輩へのフォローを入れる。あっ、田中君ちょっとヘコんじゃった。でも友達としては、アリだから許してね。


 その後、何故だか3人で少し過ごす事になり、田中君は先輩と意気投合。結局、私は先輩と田中君に揶揄われた後、田中君と一緒に次の授業の教室へと向かう。


「でも意外だったな。三枝が、あんなに気安い態度を取るなんて」


 教室まで向かう道すがら、田中君はボソッと零す。


「いやあれ位普通だと思うけど?私そんなお高くとまるキャラじゃないよ?」


「ああ、うん、勿論そうなんだけど、女子同士と男子相手とでは勝手が違うというかね。でもそれって男側が悪いのかなって思ってね」


 文句を言う私に田中君が少し困った様に弁明する。ただ私は田中君の言葉に少し意外な表情になる。


「どうしたの、田中君?何か悪いものでも食べたの?少しキモいけど」


「ひどっ、ああいや、でもそれ。三枝って案外毒舌だよな、普段男子相手だとその毒舌っぷりは見せないだろ?」


「うーん、そう?……でも、女子相手とかの方がそういう言い回し多いか。あれ?でも圭介先輩とは最初からこんな感じだった様な?」


 確かにそう言われれば、あんまり自分では意識していなかったが、確かに普通の男子との会話ではあまりこの手の話はしない。むしろ避ける言い回しだ。別に男子に媚びてそうしている訳では無い。無意識で男子を警戒しているからだろう。


「そう、圭介さんの半端ない所がそう言う所だよな。よくよく考えたら圭介さん、あんま下心がないと言うか、ん、だから素でいられるのか?」


 何だか人に勝手に評価されると、イラッとくる。私は田中君を軽く睨みつける。そもそも圭介先輩に対し、特別という感覚はない。至って普通に接しているだけだ。確かに何故だか接しやすい面はある。幼馴染のお兄さんを思い起こす部分もあるけど、別にそれはもう終わった恋でなので引きづっている訳でもない。


「そもそも圭介先輩は彼女がいるから、お互い対象外なだけでしょ。素というより普通なだけよ、普通。変な勘繰りは止めてよね」


 そう何ら特別ではない、ただの先輩だ。一緒にいると楽しくて、普通の自分で接しられるだけの存在だ。そう、普通、普通。私は少しだけ胸の内でモヤッとしながら、呪詛のように普通、普通と繰り返すのだった。

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