第3話
翌日、スタート地点には、多くの暇な動物達が見物に訪れていました。
中にはどちらに勝つかで賭けをしようとするものもいましたが、誰もがウサギに賭けるものだから賭けが成立していませんでした。
カメは予定よりも早くスタート地点に着いて、自分の進むべき方角をジッと見ていました。
「先生」の言った事を、カメは完全には理解できませんでした。
カメは言われた事をそのまま理解するのがとても下手でした。
大抵の場合、言われた後しばらくして、ふと、理解できるようになるのです。
今回もきっとそうなのだろう、と思って、とにかく一歩一歩山の麓を目指そうと決めました。
スタート予定の9時になっても、ウサギは現れませんでした。
どうやらウサギは昨日の夜、勝って当たり前の勝負に本気で準備をするのは馬鹿らしいと、仲間と酒を飲んでいたらしいのです。
仕方ないので、カメは一人でスタートしました。
静かに、黙々と歩き始めました。
そのゆっくりとした歩みに、周りの動物達は囃し立てました。
カメは本当に鈍いな。
あれなら自分でもカメの倍は早く着くな。
観客たちの言葉に、カメは赤面して下を向きました。
自分では精一杯やっているのに、ゆっくりしか歩けない。
一歩一歩進む度に観客たちから笑われ、カメの心は傷つき、自分が情けなくて涙が出てきました。
ああ、こんなに恥ずかしい思いをするならいっそ死んでしまった方がマシかもしれない。
それでもカメは歩き続けました。
太陽に照らされて身体が乾き、ひび割れてキリキリと痛みました。
次第に足が重くなっていき、喉もカラカラに乾きました。
全身があまりに熱く、涙すら流れませんでした。
それでもカメは歩き続けました。
丁度カメが半分くらいの距離を通過した頃、ウサギは家で目を覚ましました。
ウサギは昨夜の飲み会で痛む頭をこすりながら、外を見ると、既に太陽が高く登っていました。
大体正午頃かな、などと思って痛む頭で池に水を飲みに行きました。
酒で痛んだ身体に水を飲むと、全身に染み込んで傷を癒していくような心地がしました。
さて、ノロマなカメはそろそろ半分くらい進んでいるかな、などと思い、ゆっくりと歩き出しました。
昨日の酒で少し足がふらつきましたが、それでもカメの歩みよりも軽快に進みました。
ようやくスタート地点に到着した時、遠くにカメがノロノロと歩いているのが見えました。
ようやく峠まで半分という所でした。
それを見たウサギは、なんだ、まだゆっくり寝ていても良かったな、と溜息をつきました。
ウサギはカメの隣まで来るとカメをからかいました。
やあ、カメ。遅くなってすまなかったね。
少しくらいハンデが無いと君が可哀想だと思って昼まで寝ていたんだけど、どうもこれでも全く足りなかったみたいだ。
ウサギはカメをからかい、挑発しましたが、当のカメはそれどころではありませんでした。
一歩一歩進むのが精いっぱいでウサギの挑発を聞いている余裕は無かったのです。
ウサギはつまらなくなって、カメを置いてサッサと先に行きました。
あと少しでゴールに着くという所で、ウサギは立ち止まりました。
このままゴールをしてしまってもいいけれど、それじゃ面白くない。
そうだ、カメがあと少しでゴールできるという所で自分がゴールしてやろう。
ウサギはそう思って座り、カメが来るのを待っていました。
太陽の光はサンサンと降り注ぎ、ウサギは段々と眠くなってきました。
昨夜の酒のせいであまり良く眠れていないというのもあり、ウサギはうつらうつらしてきて、ついには寝入ってしまいました。
カメはただひたすらに、一歩ずつ進んでいました。
いつしか周囲の動物達のからかいは少なくなりました。
何の反応も示さないカメをからかう事に飽きていた事もありますが、ほとんどの動物達は、懸命に前に進もうと必死に歩むカメの姿を見て、それを笑う自分達が急に虚しく思えてきたのです。
途中からカメは、自分は何故こんなことをしているのだろうと、不思議になりました。
カメとウサギは元々違う生き物なのです。
足の本数が同じで、目の数も同じで、尻尾も一本しか生えていません。
走る上での条件はカメもウサギも一緒です。
でも確かにカメとウサギは別の生き物なのです。
にもかかわらず、自分は一体何故同じ尺度でウサギと勝負しようとしているか。
カメはその意味が分からなくなったのです。
その時、カメは「先生」の言葉を思い出しました。
お前は勝負を経て、自らの力の限界を知るのです。
それは目先の結果よりも、はるかに大切なものとなるはずです。
「先生」の言葉の意味が、ようやく腑に落ちたような気がしました。
カメは山の麓を目指して歩き続けました。
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